Q私がやるべき事はなんでしょうか。Q私に出来る事はなんでしょうか。
翌日、休み時間にて。
「ねえねえ沙希恵ちゃん、雪菜ちゃん、今度近くのライブハウスで椎名さん達がライブやるらしいんだけど、去年同じクラスだったよしみでチケット安くしてくれるんだって。よかったら行かない?」
そう行ったのは、去年と今年、同じクラスの橘さんだ。
でも、同じクラスだったからと言ってライブのチケットを値下げしてもらえるほど仲が良かったかと言えば、正直微妙なところ。
「本当に? いいわね。いつ?」
興味を示したように身を乗り出す雪菜。
でも、雪菜はそういうミーハーなものに興味は無いはずだ。だからこれは演技だろう。私の昇天のバレンタインを雪菜が知っているように、私も雪菜の本音を知っている。
高校での雪菜は顔が広いから、その分友達も多い。その顔の広さだけ、多くの人に合わせられるようにしないといけない。
「来週の土曜日だよー。開いてるー?」
ちなみに、現在雪菜はバイトもしてないし彼氏も居ない。塾があるわけでも無いから、基本的に予定は開いているのがデフォルトだ。
しかし、雪菜は眩しすぎて前が見えなくなりそうなほどデコレーションされた予定帳を開き、
「ごめん、その日は予定が入ってるわ」
嘘つけ私との遊びの予定しか書いてないじゃん、そのページ。というか開いてるページがまず言われた日と違うし。
「そっかあ、じゃあ仕方ないねー」
苦笑いする橘さん。校則ぎりぎりでアウトの金に近い茶髪の影からピアスが見えた。しかもじゃらじゃらと何個も。フランケンかってくらい。
「じゃあ、沙希恵ちゃんは?」
「え、私?」
いきなりじゃないはずなのに、話を振られて驚いた。なんでだろう。
「えっと、私は……」
正直、ライブとかそういうのに興味が無い。一回行った事あるけど、プロのバンドとかコンサートと違って、インディーズというのか、まだCDも出していないようなバンドのライブは、殆ど何してるのか解からないくらいがしゃがしゃしてるんだよなー。つまり、行きたくない。
でも、ちらりと覗くピアスの群れが、言外に私に頷けと脅してくる。怖いよ橘さん。それはもう恫喝の一種だよ。
「ごめんね橘、その日は私と沙希恵で、大事な用があるの。だから沙希恵も無理なんだ」
雪菜からの助け船。おお、持つべきものは賢い友だ! まあ、つまり雪菜のこれも嘘だって事なんだけど。
「えー、じゃあ二人とも来なよー、きっと楽しいよー」
引き下がらない橘さん。人生諦めが肝心という言葉を知って欲しい。多分使うタイミング間違えてるけど。
「ダメなんだ、今この子、見ての通り落ち込んでるから」
言われて、ようやく自覚した。そうか、私、落ち込んでるのか。
「だからこそ、ライブですっきりしたほうがいいんだよー」
そういうのも有りなのかな、と思ったのは一瞬で、そういうのは違うんじゃないかな、と、すぐに我に返った。
「沙希恵は落ち込むと、暴れたり叫ぶよりも食べたい派なの。だから、今度一緒に、お昼食べ放題とケーキ食べ放題の二箇所、ちょっと有名な所に行くの。もう予約取っちゃったから、その日は、無、理」
なにそれめちゃくちゃ行きたい。私も連れてって、と言い掛けたけど、これも当然嘘だ、いや、半分本当かもしれない。私の食欲においては紛う事なき真実だ。……真実は時に残酷ですね。
「そっかー、なら仕方ないねー」
ようやく引き下がった橘さんは、苦笑して自分の席に戻っていく。雪菜はその背中を見ながら、私の袖を掴んで、立ち上がった。
何事かと思いながらも教室を出て行く雪菜に続くと、出たすぐの場所で止まった。
「チケットが残っちゃったから、形振りかまわずって感じ。チケットが売れない、つまり人気が無い。なら行く価値無し」
雪菜マジ悪魔。外道だわこの子。愚痴るために人をここまで引っ張ってきたの?
「で、あんたはその日、開いてるの?」
「?」
「来週の土曜日よ。開いてる?」
なんでこのタイミングでそんな事を聞くのだろうか。まさか、嘘を真実に変えるという高等技術を使うつもり? それを秘密裏に行うために場所を変えたのかしら。
「うん、開いてるけど……」
近くに誰も居ない事を確認しながら小さく頷くと、雪菜はふと、教室の前を見た。
教室の前、そこは、クラスの人気者達が集まる祭壇のような場所。
その中心に、彼、東条雄大君が居る。眩しくて前が見えません。東条君が先生だったらどれほど授業が捗らなくなるのだろう。なんて馬鹿な事を思いながら、ふと、昨日の事を思い出す。
――無差別な優しさが、辛い時もあるんだよ。
得意げな口調で、悟ったみたいな空気を出して、被害者面をひっさげて、私はそんな言葉をほざいた。
じゃあ、優しさを求めたのは誰? 縋ったのは誰?
自問。
違う、これはただの自己嫌悪だ。
自分を自分で否定してるだけだ。
小さい私。臆病な私。
私の仮想の絞首台。執行人まで私だったのだから、救いようが無い。弁明のしようも無いから、一戸君に謝ってどうにかなるとは思えなかった。
「振られた、はずが無いわよね。あんたがこんなに早く告白に踏み込めるとは思えないもの」
軽い微笑みを浮かべる雪菜。その横顔を見て、私はようやく、絞首台の縄から開放された気がした。
「うん。告白するための下準備で、やらかしちゃった」
たはは、と笑って見せるけど、彼女はこっちを見ていなかった。だから、あまり意味は無かったかもしれない。
「そのやらかしちゃった事への慰めとして、一週間絶食覚悟の馬鹿食い、なんてどう?」
こっちを見ないまま予定帳をひらつかせる。なんでこっちを見ないんだろう。
「……」
私は何故か、答えられなかった。喉に砂が詰まっているみたいな異物感があるせいで、何も言えなかった。
「あんたはとってもめんどくさい。正直見てらんないし、必要以上に見てあげるつもりも無い。だから、へこんでる理由は聞かない。でも、逃げ道にならなってあげるから。言い訳や愚痴くらいなら、少しは聞いてあげるわ」
私が朝からちょくちょく昨日の事を思い出していたことを知っていたかのように雪菜は言う。
いや、彼女は知っているのだ、私がどういう人間なのかを。この学校では唯一無二の存在。多分、私以上に私を知っている。
彼女が私に優しいのには理由がある。
雪菜は博愛主義者じゃない。博愛主義者という八方美人に憧れ、諦めてしまった人間だ。
だから雪菜は、手を差し伸べない。手を差し伸べる恐怖を知ってしまった彼女は、そんなことはしない。
「……あんたが、沙希恵がそれでいいなら、ね。もう、頑張るのをやめるんなら、の話」
だから雪菜は、見守る以上の事はしない。
「でも、それでいいの?」
言って、雪菜はようやく、私を見た。
その視線は真っ直ぐだった。
彼女は、傷つく事を知っている。
傷ついて、挫折する事を知っている。
それは、誰しもがいつかは味わう事だ。そこまでは、大抵の人の、共通ルート。
「……私、一戸君に、酷い事言った」
口は、勝手に動いていた。
「悪いのは私で、私は一戸君がしてくれた事を、仇で返した」
「うわ、さいってー」
雪菜は、本心から私を侮蔑する。
でも、雪菜のその手が、私の肩を掴む。
「じゃあ、やる事はひとつね」
私の体が、雪菜の力に沿って、廊下を向く。その先には、階段があった。
「あんたは馬鹿で、めんどくさいからね。こっから先はもう見ないわ。見てらんない事になる前に、無責任にほっぽり出して知らん振りする。休み時間はあと三分。これが制限時間。さて、問題です。あんたはこの後、なにをするべきでしょうか。あんたに何が出来るでしょうか」
そして、肩を掴んでいた手が、私の体を前に押し出した。
そのせいでふらつきながも振り返ると、雪菜は言った通り、何事も無かったかのように教室に戻っていった。
――問題です。私がやるべき事はなんでしょうか。
時間は限られている。思考を止めている時間は無い。
私は、階段を睨んで、歩き出した。
その階段は、二年生の棟を縦に繋ぐ。上った先には、私の知らない場所がある事だろう。特待生や特別進学科の人達が、異物たる私を奇妙な目で見るに違いない。
でも、行かないといけない。
私は、一戸君に謝らないといけない。これが、私のアンサー。
だから、その階段に足をかけた。
でも、その足が妙に重かった。
一歩一歩を、階段を凹ませようと踏ん張って、踏みしめて、進む。そのたびに、足は重さを増す。
でも、こんなペースじゃ、制限時間以内に一戸君が居るG組には辿り着けない。足が重すぎた。なんだこれ。錘でも着いてるんじゃないか。
でも、下を見ても当然、そんなものは無かった。錘も鎖も着いていない。スカートの下には自分の膝があって、踝までそれは続き、靴下と上履きがある。他に何も無い事は確認できた。
なのにそしたら、下げた頭まで重くなった。重すぎて顔が上げられない。
多分、この後雪菜は、本当に、この事を忘れた事にして、何も言って来ないだろう。
そしたら私は、それに甘えて、なにもしなくなる。誰かに焚き付けられないと何も出来ない人間なんだ。自分の意思だけじゃ動けない人間なのだ。
だから、今、行かないといけない。
やるべき事の答えは出ている。こんなのは、誰だって解かるサービス問題だから。なんなら原稿用紙にたっぷり証明を書き綴ってもいい。
厄介なのは、その後の問題。
――私に出来る事はなんでしょうか。
休み時間の終了を告げるチャイムが鳴った。
出題から開放されて、途端に頭が軽くなる。俯いていた頭を上げようとしてた反動で、そのまま天井を仰ぎ見る。
足は、階段を上りきれてすらいない。
これが私のアンサーだ。
本当に、真実は時に残酷だ。




