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Q愛の対義語について。Aマザーテレサファンの方へ謝罪を先述しておきます。

 私の弱さだ。キリッ、が、ここまで酷いとは思わなかった。


 なんの話かって? 毒物の話だよ!


 あれから三日が経った。


 私は未だに、私作の毒物を口にしていない。


 なんなの? いったいなにが起きてるの? クッキーを作りたいはずなのに、なんでこんなに異臭がするの?


 一戸君はそれでも顔色ひとつ変えずに食べてるし、なんだかいつもお馴染み水筒とセットで寛いでるようにも見えるし、その水筒の中身はなんですか。解毒剤かなにかですか。回復薬でも入ってるんですか。ポーションなの?


 昨晩、ついに嫌気が差した私はネットで『トリカブト』と検索をかけてみた。基本的に匂いはしないらしいですね。じゃあ私が作ってるのはトリカブトじゃないはずだ。安心した。


 じゃあ私は何を作ってるの?


 クから始まるあれだよ。……そう、クロロホルム! まあ私すごい! もうすご過ぎて消えてしまいたい。


「ううぅ……」


 家庭科室の机にうつ伏せて、もう疲れたー、と言外に主張する。その隣では一戸君が文庫を読んでいた。今は休憩中で、既に今日持ってきた材料は全て『クロロホルム』略して『黒いの』に変貌していた。おかしいな、クロロホルムって黒かったっけ。というか食べ物だっけ。


「おそらく、計量の仕方を根本的に間違えているのだろう。自分が使っている計量カップやスプーンをもう一度確認してみろ」


 言って、黒いのを口に運ぶ一戸君。


 そして合わせるように水筒に口を着け、ひとつ、浅い息を吐く。


「もしくは、使っている材料のほうに間違いがあるのかもしれない。クッキー作りには相応しくない、向いていない食材もあるかもしれないしな」


 彼の口調は、材料が殆ど無くなってゴミ入れと化したビニール袋の中にある、卵の殻のように固かった。そして、卵の殻はたんぱく質だ。淡白な彼にぴったし。まあ私ってば口が上手い。ほんと、自分の才能と感性に嫌気が差す。


「しかし、なにが原因かは解らない以上、いろいろと試してみる必要はあるな。咲川、もう少し休んでから、計量が本当に規格のもか確かめて、再開しよう」


「はあい」


 うつ伏せたまま返事をすると、一戸君が立ち上がった。


「どこに行くの?」


「トイレだ」


 即答。少しは恥じらいとかって無いのかしら。


 そのまま家庭科室を出て行った一戸君を見送って、気を使われていたのだからこっちも気を使わないと、という義務から解放される。そのことを体が安堵するかのように、ため息が漏れた。


 料理の才能が無い、なんて、もうずいぶんと前から解っている。


 でも、諦めたくないから、こうやって足掻くんだ。


 昇天のバレンタインの時だってそうだった。成せば成るというけど、成しても成らないときだってある。最初から無理だって解ってるのなら、精神衛生上、さっさと諦めてしまったほうが楽に決まっている。でも、成さないと成らないのなら、こうしたいって願う形があるなら、やるしかない。やってみるしか、成るかどうかを確かめる手段は無い。


 ……本当に私は、前に進んでいるのだろうか。


 不意に、そんな疑念が頭に産まれた。


 捕まったら決して離してくれない、呪いみたいな言葉。


 進めているに決まっている。私は私に言い聞かせる。


 だって、ここまで歩いてきたじゃないか。一戸君という救いの手を借りながらも、ここ四日程度とはいえ、頑張ってきた。純粋に楽しいとも感じた。頑張っている自分って輝いてる! なんて馬鹿みたいにハイテンションになって、寝れなくなった日もあった。


 たかだかクッキー作り。こんなもの、人によっては一日で出来る人も居るだろう。


 でも、私はそうじゃない。そんなにハイスペックじゃないからこそ、頑張らないといけない。それを自覚して、それを踏まえた上で、もう一度、心に産まれた鬼さんが問い詰めて来た。


 ……お前の足は本当に、前に進んでいるのか?


「……は?」


 頭が真っ白になった。


 自分で問うた事なのに、その意味が解らなかった。


 どっかの偉人さん曰く、私は、経験から学ぶ賢者だ。いや、経験から学ぶのは愚者だったかもしれない。でも、私の歴史は黒歴史ばかりだから、歴史から学んだって私は愚者だ。だから私は経験から学ばないといけない。


 でも、だとしたら、その経験が間違えている場合はどうなるのだろう?


「……やっば……」


 呟いた言葉のわりに、焦りは無かった。


 だって、それはもう終わっていた事だから。


 気づいたらもう、鬼に捕まっていた。心の鬼ごっこは決着していた。私の負けで、私の勝ち。つまり、もうおしまい。


 ……私の足は、本当に前に進んでいるのか?


 一戸君を疑うわけじゃないけど、三日間も頑張ってきたんだ。少しは進めてないと、報われない。


 だから私は、自分のクッキーに手を伸ばした。


 一戸君が味見して、偏見とかは持たないようにって事で食べていなかったクッキー。


 パキッ、と、心地よい音がした。


 さくさくと口の中に広がるクッキーの味、そして匂い。


「うん、成るほど」


 ふと、一戸君がいつも使っている水筒が気になった。彼はいつも、このクッキーと一緒にこれを飲んでいた。


 間接キスだとかなんとかとか、そんなのは全く気にならなかった。


 私は無断で、彼の水筒に口を付けた。






 だいたい一分くらいで、一戸君は戻ってきた。そして再会一番、こう言った。


「……なにをしている?」


 うん、まあ、気になるよね。そうだよね。


「片付け、かな? とりあえず、出たゴミをまとめてるんだ」


 材料入れにしていた袋はもはやただのゴミ袋だ。今日は随分とゴミが出たなあ。


「……」


 沈黙。一戸君が私の隣まで、無言のまま立ち並ぶ。


 そして、私の手を掴んだ。


 強く、動かせなくなるほどに強く、私の手首を締め付ける。


「……離して。痛い」


 出したゴミは片付けないと。ここは私の家じゃない。だから、ちゃんと綺麗に使わないと。


「ダメだ。離さない」


 一戸君は、私の手首を掴んだままだ。でも、どんな表情をしているかは知らない。私は彼なんて見ていないから。彼を見る事なんて出来ないから。


「自分で作ったものだろう。それをゴミ呼ばわりするなど、虚しくはならないのか」


 一戸君は、私の手首を離さない。


 自分で作ったクッキーを袋に詰めて、叩き割っていた手を、離さない。動かせないように、強く、強く。


 でも、もう手遅れだった。クッキーだったものは粉々になっていて、ところどころにある黒い点は焦げ目だろう。


 でも、断言しよう。こんなのはゴミだ。食べれたものじゃなかった。


 さくさくのダンボールに苦味が加わったみたいな、酷い味。口の中では今もそれが残っていて、私の口内から急速に水分を奪っていく。舌が下顎に張り付いた。引きつった、と言ったほうが正確かもしれない。とにかく、舌が動いてくれなかった。


 さらに、その最悪の後味を誤魔化そうとしているかのように強烈に農耕なコーヒーの味まで、舌根を痺れさせている。なにがなんだか解らなくなる程度には不味かった。そして、もう何も考えたくなくなるくらい、最悪だった。


「一戸君はさ、優しいよね」


 麻痺した舌でなんとか話す。


「自分が優しいと思った事は無い」


 やはり淡々と答える一戸君。そして彼は、私の手から力が抜けていることに気付いてか、ようやく手を離した。


「ううん、優しいよ。優しすぎるくらいに。だって、私がこういう頼み事をして、めんどくさがらなかった人、一戸君だけだもん」


 そもそも、雪菜以外にちゃんとした頼みごとをしたことが無かった。でも、今はそんなことどうでもいい。


 愛の反対は無関心だと、どっかの偉人は言っていた。でも、そんなのは嘘っぱちだ。


 関心が無いと人には優しく出来ないなんて事も無い。無関心だから、差し伸べられる手もある。


「一戸君ってさ、傷付いた事、ある? 体じゃなくて、心が傷ついたこと」


 痺れた舌では、途切れ途切れの言葉が精一杯だった。


 でも、相変わらず一戸君は、当たり前のように答える。


「無いな」


 と。


 当たり前だ。彼は傷付いた事が無い。


 だって、傷ついたことがある人は、こんなことはしないから。


「心ってさ、期待するから、傷付くんだよ?」


 始めから期待しなければ、傷付くことなんて無い。


 もし最初からダメだって解っていれば、そういう前提で頑張れたら、そこには頑張ったという結果しか残らない。でも、自己満足という多幸感は得られる。


 引き換えに、期待をしてしまえば、もしかしたらと思ってしまえば、そこに自己満足は産まれない。結果が全てという、冷たい現実と向き合わなければならなくなる。


 それは、私みたいに不器用な人間には、処刑宣告と同義だ。私は自分の足で、絞首台という失敗に向かって、努力という名の十三階段を登っていたんだ。


 期待させるから傷付くんだ。最初から諦めていれば、その幸福を知らなければ、そもそも傷つく事なんて無いんだから。無関心なだけなら、誰も傷付かないで済むのに。


 でも、一戸君は答えた。


「解らん」


 彼は俯いていた。


 なんとなく、彼がその後になんて言うか、予想出来た。


「……俺には、感情が無いからな」


 彼は、最初からそうだったでは無いか。


 面倒だとは思わない。


 迷惑だとは思わない。


 彼は、何を聞いても、「思わない」と答えるだけだった。


 その言葉には、どこにも、彼の心は無かった。


「そっか」


 そのとき、なんで私が笑ったのか、解らなかった。


「じゃあ、教えてあげるよ」


 ゴミ袋を摘みあげて、鞄の中に無理矢理つめて、出口に向かう。


「そういう無差別な優しさが、辛い場合もあるんだよ」


 愛の対義語が無関心という事なら、関心を持てば全部が愛になるって事にもなってしまう。


 愛があるから他人に優しく出来て、愛があったから人を恨めるのなら、愛なんてろくなものじゃないってことになってしまう。


 確信の無い言葉で突き上げて、保障の無い慰めで突き落とす。そこに愛があったとしても、それは間違いだ。だって、こんな結末を生んでしまうこともあるのだから。


 だから、愛の対義語は、気遣いだ。


 自分で出した答えだった。


 勝手に出した答えだった。


 でも、そうとしか思えなかった。


 口の中はかさかさに乾燥して、水分を求めて唾まで吸おうとした。でも、その唾にはさっき食べたクッキーの味が染み込んでいて、おまけに濃すぎるコーヒーの味まででしゃばってくる。


 扉を閉めて、廊下に出る。


 静寂に包まれると、私が置かれている現状がはっきりと解る。


 舌が痛くて、変なものを食べたせいか、お腹まで痛くなってきて、おまけに一戸君に助けてもらっていた恩を仇で返したという罪悪感で押しつぶされそうで、しかも手首もまだ痛くて、全身が痛くて、他の場所を傷つけてその痛みで誤魔化そうとしても、どこを傷つけていいかも解らない。それくらい、全身が痛い。

 

 最悪だ。


 最悪過ぎて、吐き気がした。

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