Qお前、今何を入れた?A青酸カリ
「お前、さっきなにを入れた?」
翌日の放課後、私がバターと砂糖と塩を混ぜていたら、一戸君が聞いてきた。
「砂糖と、バターと、塩」
「ふむ、そうか、成る程。……なぜ塩を入れた?」
お料理本を読みながら頭を捻る一戸君。
「バターの隣に『有塩』って書いてあるから」
だって有塩だよ? 普通入れるでしょ、塩。
「これは、塩を使っているバターという意味だ。一般家庭で使っているようなバターは基本的に有塩だから、塩を入れる必要は無い」
……なん、だと……?
「驚愕する前に確認しろ。知らない単語を勝手に解釈するのは危険だから、次からは気をつけろよ」
「そうですね。毒物にもなりかねないしね」
「そこまでは言ってないが……」
昨日の黒いアレとか、見た目と匂いがもう危険域だったからね、もはや毒物だよ。思わずメーデー(救難信号)を唱えたくなったし。
どうでもいいけど、メーデーってなんか祝日って感じするよね。ウェンズデー、ホリデー、メーっっデー! みたいな。よし、気合入った。
「とにかく、作り直しだ」
「はーい」
はいは伸ばさない。これ、常識です。
「では始まりましたクッキークキングのコーナー! 解説は私こと咲川沙希恵。ツッコミは彼、一戸君でお送り致します!」
「……どうも、一戸です。……これでいいのか?」
「ツッコミが無い、だと……?」
私の渾身のボケだったのにっ、行けると思ったのに! 乗ってくるとは思わなかった。いや、本当に。
「一戸君って、実はノリが良いタイプ? 特別進学科って聞いてたから、もっとお堅い人だと思ってた」
作り直したバターと砂糖の塊を混ぜながら、正直に言ってみた。私に付き合って面倒を見てくれたり、優しかったり、色々と印象が違ったからだ。
「ノリが良い、と思った事は無い」
なんでもないかのように、やはり淡々とした口調で彼は続ける。
「ただ、普段から神野とよく居るからだろうな。あいつは普段から、よく解らないノリを要求してくる。そういうのに合わせていたからか、常識的ではない対応をしてしまう事もあるのかもしれない」
予想外にちゃんとした意見が帰ってきました。びっくりし過ぎてレンジに入れたバターが溶けてしまった。溶かしちゃダメって言われてたのに……。
「そういえば、神野先輩もこの部活なんだよね。なんで居ないの?」
記憶が曖昧だけど、たしかそうだったはずだ。でも、ここ三日間、この部室では一度も神野先輩を見ていない。
「あいつは慈善活動でたまにここに来る程度だ。もともと、ボランティアみたいなものだったからな」
来ないのが普通なのだ、と、一戸君。
「あいつは良いやつだ。多分、俺も尊敬している。変なやつかもしれないが、会ったらよくしてやってくれ」
一戸君って、たまによく解らない所で伝聞調になるよね。恥ずかしがりやさんなのかしら?
「神野先輩とは昨日会ったよ。たしかに変な人だったけど、面白い人だった」
「そうか」
自分から言ったくせに、他人事みたいな扱いの一戸君。
しかし、
「黄卵とは卵黄のことだな。卵の黄身だ。白身の部分は取り除く。そのまま入れるな。あと、殻も入ってる」
「あ、うん。え、なんだって?」
花魁がなんだって? 玉子乃君って言うと、なんだか平安の貴族みたいな感じがするよね! しないね。うん、気のせいだった。
「つまりだな」
一戸君のお助けタイム。卵の白い部分をへんてこな道具を使って取り除いて、菜箸で殻を器用に取る。
「これで、かき混ぜろ」
「ありがとー!」
さっき温めたやつとガシャガシャしてエプロン汚して、小麦粉を入れて入れすぎて、型を取ったらアルミ板が破れて、気を取り直してオーブンに投入しようとしたら指を挟んだ。
すごい、私、全工程で毎回なにかやらかしてる。もう消えたい。なんなら親友のイカロスさんが出てきて「共に堕ちよう」とかって言ってくるレベル。それしか言えないのかしら、私の脳内の彼は。
「確かに、一人でやらせていたら危険だったな」
冷静なまま言う一戸君。この人はなんでこんなに優しいのでしょう。優しすぎて胸が痛いよ。
「完成まで時間がある。少し休もう」
一戸君はそう言って、文庫本を手に持つ。表紙はカバーのせいで見えないけど、少なくとも教材とかでは無いはずだ。
そういえば、一戸君はいつも本を読んでいる気がする。好きなのだろうか、とも思ったけど、その本を読んでいる間全く動かない表情を見ていると、とてもじゃないけど、好きなものに没頭しているようには見えなかった。
五分ほどの静寂が続いた。オーブンの中でたまにバチバチと音が鳴っている。焼けてる焼けてるう。それにしても、なんでオーブンに入れてもクッキーは燃えないんだろう。クッキーって、燃えそうな見た目なのに。
なんて無駄な事を考えても時間は進まない。手持ち無沙汰ほど時間が長く感じる時間はきっと無い。
「本、好きなの?」
なんとなく、暇つぶしがてら聞いてみた。すると一戸君は顔も上げないまま、
「どうだろうな」
と、曖昧に答える。どうだろうなって、いつも読んでるくせに。
「何を読んでるの?」
聖典とか言われても信じそうだ。そう思いながら質問を重ねると、
「今読んでるのは、ライトノベルだな」
鬼に魔法ステッキとはこの事か。意外にも程があった。
「へ、へえ。その、あれかな、ミステリー、とか?」
私もよく読むけど、ライトノベルの中にもたまに、「これのどこがライトなの? 軽くも右でも光っても無いのに」とか思う作品はよくある。そういうのだろうと勝手に妄想。
「ジャンルは、そうだな、ラブコメ、というものらしい」
鬼に魔法ステッキ。しかも防具はうさ耳メイド。そんな感じだった。本当にごめんなさい一戸君、もしかして結構ヲから始まるあれな人だったりします?
「神野に薦められてな。一人称の小説を優先して読むようにしているからかもしれない。ジャンルに偏りがあるのは認めるし、ライトノベルがまだ世間的に敬遠されているのも承知している」
パラ、とページを捲る一戸君。
しかし、ラブコメを読んでいるなら、どうして表情が動かないんだろう。
笑いどころもあるはずだし、私なら、かわいいイラストにニヤけちゃったりラブリーな展開にきゅんきゅんしたりするのに。もしかしてこれって私だけ? 漫画とか読んでて一人で笑った時、雪菜に気持ち悪がられるのと同じ感じ?
「そういうの、好きなの?」
神野先輩に薦められて、とは言ってたけど、小説を読むのと漫画を読むのとでは訳が違う。小説は読むのに時間がかかるし、既に描かれている漫画と違って、その文字からその場面を連想しなくちゃならない。
言葉という情報だけで、音も、風景も、感触も、感情も、全てを読み取らなくちゃいけない。結構な労力のはずだ。好きじゃなきゃ、薦められても読めないよね。「読んだよー、面白かったー」と言いつつもネットでネタバレしてる人探して概要を読んだだけだったりとか、よくやるよね。
でも、
「解らん」
一戸君は答えた。
「これを好きになる人間の気持ちも、これが好きだという人間を快く思わない人間の気持ちも、全く解らん」
淡々と、良く言えば冷静に、悪く言えば冷たく。
本を閉じた一戸君に違和感を感じたのは、多分彼が、読み途中なのに栞を挟まなかったからだ。小説ってさ、何も挟まないで閉じちゃうと続きがなかなか見つからなくなるよね。
本が好きだとしたら、そこにはなんらかの愛着があるはずだ。
安直な考えかもしれないけど、愛着は文字の通り愛が着くのだから、当然そこには愛が生まれる。でも、彼の行動は、手に持っている文庫に対し、あまりにも無関心だった。
無関心とは愛の反対語だと言う。対義語だったかな?
どちらにせよ、このふたつは間逆なのだから、当然両立はあり得ない。
彼は文庫に愛着が無い。それは見れば明らかだった。
でも、
「なら、なんで読んでるの?」
好きじゃないものを読み続ける。これは一種の苦行だ。私だったらページを破って食べてしまいたくなる。そんなものを朗読させる国語の授業っていったいなんなの? 国語の教科書はお昼のご飯なの? その誘惑で何回私を職員室に誘うつもりなの?
一戸君は、その問いに答えなかった。
代わりに、
「そろそろ時間だぞ」
と、立ち上がった。え、なんの時間?
……いや、もちろん解ってますよ? クッキーね。はい覚えてましたとも。私はそんな記憶力悪くないからねっ。
オーブンを開けると、そこは毒の国だった。
こんな感じで冒頭を開くと、私ってば文学少女っ、って感じがするよね! タンパクが焼けたみたいな香ばしい香りを漂わせる卵の殻。甘い匂いは一切無かったけど、代わりに塩をまぶした紙みたいな芳醇じゃない匂いが食欲を押さえ込む。もう本当に、こうやって現実逃避しないと発狂しそうなくらい酷い匂いだった。
「さて、どうだろうな」
その匂いに挫けることも恐れることも無く、一戸君はそれを皿に移し、ひとつをつまみ上げて口に運ぶ。
「……」
沈黙にも重みってあるんだなー、と思いました。まさか本当に食べるとは。毒も恐れぬ毒見さんはここに居ます。どこかの大奥に行ったら永久就職だね!
でも、人にばかり実験台はやらせられない。私自身も試してみないと。
そう思ってクッキーらしきものに手を伸ばすと、
ぐきっ、と、猟奇的な音がした。
鳴ったのは私の指だ。
お皿に伸ばした指はお皿に触れることなく床にチェストした。勝てるわけないじゃん、なにやってんの私。
もちろん、わざとでも事故でも無い。流石の私でも、止まっている物を掴み損ねたりはしない。一戸君が、何も言わずにお皿を動かしたのだ。
「……」
指を押さえながら、涙を堪えながら一戸君を見つめる。すると彼は何事も無かったかのように、持参していた水筒を手に取った。
「料理は、作った本人では正確な味見ができないらしい。自分で作ったという愛着のせいで、判断が大雑把になるのだろう。ならば、味見係りの居るお前の現状としては、自分で味見はしないほうが良いと思うぞ」
言いながら水筒を一口啜ると、彼はしかしとそれを置く。
「美味くは無い。だが、食べれなくは無い。練習すればなんとかなるだろう」
それは、機械的な世辞のようにも聞こえた。
不味かったから、気を使って私には食べさせないようにしたのかもしれない。
でも、その優しさに甘んじて安堵して、食べれなくは無いという苦し紛れのお世辞に喜んでしまうのが私だ。
「うんっ、ありがとう!」
そこまで解っているのに、自覚はあるのに、甘えてしまう。だからこれは、正真正銘、私の弱さだ。




