1-4 おにごっこ
たいっっっっへん長らくお待たせ致しました!
ようやく投稿できたでござります!
全力で地を蹴りつけ、硬質なコンクリートの反発感を足裏に感じ取りながら、結衣は昼の街を駆け抜ける。
周囲に人影はない。代わりにぬめぬめと気味悪く纏わりつく大気が、結衣の進行を押さえつけている。
──結界だ。以前の黒騎士とは違う種類だな。これは……、認識をずらしているのか。
「それ、どういう、ことっ」
──見えも聞こえも衝撃すらも生じないが、そのダメージだけは結界の内外にいる者に入っていく、比較的初歩的な認識阻害の結界だな。
要するに、触れられず、音も聞こえないが、じわりじわりとダメージだけは蓄積するということだ。
即時性はないが、知識を持った真っ当な人間に対して使う結界としては有効なものだろう。知っている人間ならば周囲への影響を考えてしまって、まともに動くことが出来なくなるのだから。
それに、ダメージが蓄積するのは結界の向こう側だけではない。
走っている結衣にも、何かにぶつかるたびにダメージが蓄積するのだ。
「面倒、臭いっ」
──ああいった手合いは魔力を辿って、核とのバイパスを探るのが定石だ、が。
「だ、がっ?」
──生憎、今の私の魔法にそんなものはない。感性で辿れ。
滅茶苦茶な言い分だった。
とは言え、そこに突っ込んでいる余裕はない。
市街地を駆けているこの間にも、ここに歩いている人たちの数人には痛みや疲労が蓄積しているはずだ。
それはこの結界が解除されたときに一斉に彼らに襲い掛かるだろう。
結衣としてはそんなことはどうでもいいが、そのダメージは結衣自身にも降りかかるのだ。早急に片をつけるのに越したことはない。
問題は、ケリをつける場所だ。
もしこんなところで全力でスライムを消したとして、残るのは巻き込まれて蓄積した疲労と傷で死に至る幾人もの一般人と、大きな魔法を使って残滓を漂わせる結衣だけ。
そうなれば、両手に縄が掛かるのはおそらく間違いない。それは避けたいのだ。
大通りを全速力で疾走しながら、チラリと後ろを見る。
路面を溶かしながらこちらへ迫るスライムは、子供が走っている程度の速度。魔力を通した今の体ならば全力疾走すれば振り切れるだろうが、この結界の効果範囲がわからない以上は無駄だろう。
「これ、結界、解く方法ないのっ?」
──このタイプには核があるはずだ。スライムの召喚と同時に展開されているのを考えると、核はスライムの物と同じだろう。壊せば結界が破壊され、契約不履行と見なされて疲労や痛みは消去される。
「もし、違ったらっ?」
──結界かスライム、どちらかが消滅するだけさ。もう一つを見つけなければいけなくなる。
頭の中に響くミコの声にうんざりしながら、とにかく走り抜ける。
目指す場所は、市街地を抜けた先。監視カメラがない廃工場だ。
昔は熱気と騒音に包まれていた工場通りは、既に幾重もの物言わぬ屍へと変じている。
工場の稼動が止まったのは今から二〇年ほど前だ。それまでは様々な工業製品を生産し、多くの職人が雇用されていたものだが、魔法技術の台頭によってより安価で職人芸が再現できるようになってしまい、今では工場のほとんどが稼動を停止、職人たちはそれぞれ別の職業に就いているという。
そんな経緯もあって、すっかり錆付いた廃工場。土地の権利がごたついているせいで、更地にも出来ない場所だ。
そこならば、誰もいない。気兼ねすることなく戦える。
そんな思考を巡らせながら、更に力を込めて地を蹴っていく。
やがて結衣の考えた通り、視界に入ってきたのは赤茶色に錆付いた廃工場の群れ。最早誰が動かすこともない、物言わぬ屍たち。
一目散に近くの工場へと駆け込むと、荒くなっていた息を整えながら後ろを振り向く。
大きな鉄の扉は横へ退けられ、底から日の光が差し込んでいる。
周囲には青々と生い茂る雑草が見え、小さな花もぽつぽつとその中に混じっていた。
「ここなら、大丈夫……っ」
──ああ、問題ないだろうよ。ではまずは、魔力放射で一度消し飛ばせ。
「でも、効果ないんでしょう!?」
半ば悲鳴のような声量で結衣が告げる。
しかし、途端に息を詰まらせ、それから大きく咳き込んだ。
当然だ。市街地はかなり大きい。街角の公園から市街地を横断して廃工場群まで駆け抜けたおかげで、肺には疲労が溜まっている。
魔力を通してミコが僅かばかりの身体強化を施したおかげか、筋肉に疲労は溜まっていないのが救いだった。
──完全に消し飛ばせば、再生のために核から送られてくる魔力が増大するはずだ。今の主様ならば見えるさ。
「それを、辿れってこと?」
──そういうことだ。なに、あれほどの溶解性と粘性を保つスライムだ。一度消し飛ばせば再生にはかなり時間を食うだろうよ。その隙に見つけ出せ。
ミコの言葉に、一も二もなく頷く。
鼻から選択肢などないのだ。この魔導書と契約を交わした時点で、結衣が荒事に巻き込まれ続けることになるのは確定事項。
ならば、せめて生き残る選択肢を選び取るしかない。それがたった一つならば、尚更の話だった。
ミコとの会話の最中、少しずつシュウシュウという音が近づいてきているのを、結衣は聞き取っていた。
スライムが、その強力な溶解性で地面を溶かしながら進んでいるのだ。
あんなものに触れられれば、どうなることか。少なくとも面白いことにはならないだろう。
意識を切り替えて、自身の奥底で煮えたぎっているそれに意識を向ける。
滾々と湧き上がって来る殺意にも似た、ドロリとした魔力を、魂とも呼べる体内の奥底から引き上げていく。
その度に全身の内側が生暖かい何かで舐め回されるような感覚が指先まで広がるが、不思議と結衣はその感覚が嫌いではなかった。
今まで感じたことのない不快感が、不思議と体に馴染む。
やがて、ほんの数秒で汲み上げられた魔力は、明確な意思と共に突き出された左手の前へと集束していく。
思い描くのは、黒騎士を消し飛ばした一撃。
あの濃密な魔力の奔流を脳裏に描く。そして、それを更にイメージで補強していくのだ。
現在の魔法は体系化され、呪文を唱えてある程度のイメージを固めれば大体誰でも使えるものになっている。
しかし、結衣にはわかった。
遥か太古の昔から続いてきた、力ある五つの書だからこそ未だ失わずにある、魔法を改竄する力。それが、結衣の中にも息づいていることに。
だから、想像する。
無造作に放たれたあの一撃を綿密に、一筋の閃光へと束ねていく様を。
それは確かに、彼女の左手の先に集束する膨大などす黒い魔力の姿を変えていく。
歪んだ球体から、徐々に美しい円形へと整形されていくその様は、今まで結衣が見たこともないほど美しく、そして絶望的なまでにおぞましかった。
同時に、地面を焼きながら追って来るスライムが、ようやく彼女の姿を捉え、
「遅いよ、待ちくたびれちゃった」
──はははは! さあ解き放て主様! この身の程知らずな使い魔君に、たっぷりと教え込んでやれ!
「うん」
ぐにゃり、と。
脳内で響くミコの哄笑に似た、裂けた笑みを浮かべながら、結衣が脳裏に浮かんだ言葉を呟く。
口ずさむように、歌うように。
「──魔砲・黒帯」
直後、その言葉を吸い込んだように、手の内にあった黒々とした魔力の球体が弾けた。
爆ぜた球体は流体へと変化し、水がホースの中を流れるように真っ直ぐスライムへ目掛け伸びていく。
ただ只管にスライムの方へ向けて放たれた一撃は、黒騎士を消滅させたあの一撃とは比べ物にならないほどの威力を秘めていた。
ジッ、と僅かに掠ったような音がしたかと思えば、スライムを飲み込んだ黒の奔流はその勢いを一切失わずにその後ろの廃工場の壁を貫通する。
融解、という言葉ですら生温い。純粋な力の奔流に押し流された壁は一瞬で消滅し、その向こう側にあったテナントの入っていない空きビルと、横に建っていたマンションを同時に吹き飛ばす。
圧倒的だった。
学校で教える魔法など、話にならない。いじめの首謀者達が使う魔法など、児戯にも等しい。
「く、ふっ」
ぽつりと、声が漏れた。
「ふふ、あはは────」
ゆっくりと、腹を押さえるようにして右手を添える。
「──ははははははははははハハハハハ!」
声が、高笑いへと変わった。
ぐわんぐわんと大きく廃工場へ響くその声に含まれているのは、愉悦。
心地よかった。
目を見開き、涙をボロボロと零してしまうほどの愉悦が結衣の全身を満たしていた。
快楽、と言い換えてもいいだろう。力が彼女にもたらしたのは、それほどの物だったのだ。
──ほう……。見立て以上、か。
主の陶酔の念を心地よく感じながら、ミコが彼女の中で一人ごちる。
結衣の魔法によって消し去られたのは、スライム本体だけではなかった。
その圧倒的な破壊力は、スライムと核を繋ぐ魔力のバイパスすら消滅させていたのだ。
──これは、初代に勝るとも劣らぬかな。善哉善哉……。
くぐもった嗤いを洩らしながら、ミコがまた続ける。
核こそ消せてはいないものの、それでも当面の危機は去った。
後は、支柱の一つを失ってバランスを崩した魔力の塊を、この町から探し出してやればいい。
そう考えながら、ミコは静かに哄笑を続ける主の声に耳を傾けていた。
パシンッ! と高い音が爆ぜる。
「あっ! ぐっ……ぅ……」
その度に、女の声が響いた。
若い女だ。どこかの制服を纏った、黒髪の少女。長く伸ばされ、丁寧に手入れされていたはずの髪は所々で切れ、あるいは焼け焦げている。
制服の方も、幾つか切れ目が入っていた。
体は縄で縛り付けられ、その縄が天井から降りているせいで彼女も身動きが取れない。
そんな彼女に、文字通り鞭を打つ者がいた。
「──失敗だ」
「あ、あ……? しっぱ、い?」
落胆の色を隠そうともしない、ハスキーな女性の声に、少女は虚ろになっていた瞳を向ける。
白衣姿で紫に染められた長い革の鞭を片手に持った女性は、その視線を受け止めることなくまた片手を動かす。
空気を裂く音と共に鞭が動き、
「ぎぃ……っ!」
パァン、と大気の爆ぜたような音が皮膚で鳴る。
少女は苦痛に呻き、しかし、
「ぁ、は、あはぁ……」
少女の頬に朱が差し、甘いため息が漏れる。
少女にとっては、女性から与えられるあらゆるモノが褒美となるのだ。
例えナイフで目を抉り出されようと、息が出来なくなるまで蹴られ、殴られようと、それは彼女にとって報酬にしかならない。
それを、女性もわかっている。
ただ苛立っているというポーズを見せたいだけなのだ。
「次はもっと上手くやれ。褒美は多い方がいいだろう」
「くひっ……。っ、ぁ、はい、ご主人様……」
蕩けた顔で応えた少女に、もう一撃。
高い音に、今度こそ嬌声が混じる。
「──あの魔導書を、確実にご主人様の元へ……」
「そうだ。いい子だよ、お前は」
いい下僕だ。
そう続けた女性に、少女は媚びた笑みで返す。
いつからこんな生活だったか、もう思い出せない。
女性は本当の親ではないし、そんなことは少女も知っている。ただ、生まれたときからこう教育されてきたように、少女は女性に盲目の服従を誓っていた。
だから、彼女の褒美を貰うためなら、なんだってできる。
「貴女も、一緒に──、クヒッ」
快感で澱んだ胡乱な瞳に、澱んだ欲望が滲み出た。
ざっと四ヶ月ほど、走り続けていた結衣ちゃんでした。
肺とかどうなってんだ。いや、実際には街を駆け抜けただけですが。
この辺で普通の魔法使いも出しとかないと比較対象に困りますね、うん。
で、まあ今回のお話の黒幕さん的な可能性を持つ人も登場。
次回、できるだけ早めに更新したいです。
魔法がドイツ語と英語混ざってるのは、厨二病だから。
まあよくあるし、いいよね。(帯のドイツ語がわからなかったなんて嘘や)
よろしければまた感想などいただけるとありがたいです。っていうか生き返ります。
執筆時には、以前までの感想で大いに励ましていただきました。ありがとうございます!




