1-2 力
基本5000字程度で更新になりそうです。短い……。
出来れば毎話1万字くらいで更新したいものです。
騎士襲来事件から二時間ほどが経った頃、結衣は一人で人気のない公園の隅にいた。
平日の昼間ということでただでさえ周囲には人の気配がない上に、元々人が寄り付かない公園だ。
そこで、結衣は膝の上に置いた『ネクロノミコン』に視線を注いでいる。
その雰囲気の色は明らかに黒い。
「……結局、アナタは誰なの?」
公園の隅に設置された昔ながらの木製ベンチに腰掛け、結衣は膝の上に乗せた本に目を落として言った。
──有史前の存在、分断されたモノの集うもの。[ネクロノミコン]だと言っただろう?
「なにそれ。……あなたの言うことが全部嘘だって断定することはできないけど、喋る魔本なんて聞いたこともない。新手のいたずらだって言われた方がしっくりくる」
人間が魔法を使うために必要な、魔法を書き留めておく紙の束はその本状の形から『魔本』と呼ばれている。
大判から文庫本サイズ、果ては単語帳サイズまで選り取りみどりだが、こんな異質な、悪く言ってしまえば気味の悪い魔本など見たことがない。
ところが、ネクロノミコンは不満そうに声を返した。
──主様、私をあのような雑魚どもの使う劣悪品と一緒にするなよ。私は魔導書、最も力ある五つのうちの一つだ。
「なにそれ」
──有史前に作られた、世界を変える力を持った五冊の本さ。私たちは互いにページ、魔導紙を奪い合い、そして世界を滅ぼしかけた結果、意図的に作られた空間の歪みに封ぜられた。無数のページを現実世界に散らされ、封印されてな。
くつくつと笑ったネクロノミコンに、結衣は途端に寒気を覚えた。
彼女──あるいは彼──の言葉が正しければ、世界を変えてしまうほどの力を何の目的もなく自分が呼び覚ましてしまったことになる。
がちがちと歯の根が噛み合わずに音を鳴らし、寒気が足先から上ってくるような錯覚。
「い、いや、私アンタなんて」
──手放したい? それは無理だ、主様はあのとき契約してしまった。契約は絶対、あらゆる存在も違えることはできない。
「な、なによ契約って!? 私、そんなことしてな──っ!」
言葉が止まる。
行っていたのだ。あの夢の中で、結衣は確かにその手を伸ばしていた。
そのことを思い出し、今度こそ息が詰まりそうになりながらユイが喘ぐ。
「……なんで、私なの……? どうして……っ!」
──そういう決まりになっているからだとも。私の力の源は暗い感情だ、主様はそれが特に優れているのだよ。
暗い感情、結衣には心当たりがある過ぎるものだ。
嫉妬、嫌悪、憎悪、ふっと思いつくだけでも自分の中にはそれだけの感情がまるでヘドロのように沈殿しているのが良く分かる。
仕方がなかったのだ。
そうしなければ、彼女は壊れてしまっていたから。
あるいは、もう壊れているのか。彼女には判断できないが。
嫌悪感を丸出しに唸った結衣は、
「……まあ、いいや」
あっさりと、理解を放棄した。
「それで、私はこれからどうなるの?」
──くは、随分とあきらめるのが早い主様だ。
「人生は諦めで出来ている。バイ私」
どうせ逃れられないのなら、諦めてしまえばいい。
そうすれば頭はいくらかすっきりするし、次に来る物事への対処もしやすくなる。
誰も気になどかけない自分だ。どうなったって知ったことか。
思考でそう続けながら、結衣が声を聞く。
──なるほどなるほど、確かにその通り。有史以来、世界は矛盾と混沌に苛まれ、流され諦める者たちが大多数。その言は決して間違っていないな。では説明しようか、まずはこれを見ろ。
ネクロノミコンが独りでに開き、そこにあった数枚の紙が風に揺られる。
難解な何らかの言語によって綴られた文の書き記された紙だ。
今でも使われているような普通の紙ではない。かと言って、魔本に使われるような羊皮紙でもない。
それは、表面ががさがさとした硬い紙だ。
端はきちんと本に収まるように裁断されているが、手触りは粗雑な和紙のようだった。
「これが、なに?」
──これが魔導紙さ。魔法文明時代の末期に、我等魔導書と共に作成された百枚の力ある紙の束。私たちの力の源。
じっと紙を見ていると、なんだか眩暈がするような感覚に襲われた。
ぐらりと視界がぶれた直後、ばたんと本が閉じる。
──あまり見続けるな、まだ馴染んでいないのだから倒れるぞ?
「っはぁ、はぁっ……」
視線から伝った魔力だけで眩暈が起こるなど、結衣は聞いたことがない。
魔力は基本的に体内にあるものだが、外部から取り入れるのも不可能ではない。
内から外ではなく、外から内への魔力放出は人間の構造的に考えられていないものであり、それを行うための術は確立されているとはいえ学ばなければ使えないものだ。
とはいえ、視線を介した魔力の流入が一瞬で眩暈を引き起こすなど、結衣には全く心当たりがなかった。
つまり、それだけ魔力の量は膨大であるということで、たかだか紙だと侮ることは出来ないことを意味している。
──我等五つの魔導書は、その百枚の紙を互いに奪い合うことを宿命とする。百枚全てを手にしたとき、その魔導書には世界を変えるだけの力が宿るのだよ。
「……つまり、殺し合い?」
──ははは、主様は殺伐とした思考回路をお持ちだな。だが正解だ、その紙は持つものに力を与える。そういう連中は得てして力に酔い、それを手放そうとはしなくなる。だから、殺して奪い取れ。今の主様ならばその力がある。
あっさりと言ってのけたネクロノミコンは、そして続ける。
──それと、まともな戦いになるのは精々が同じ魔導書保持者くらいだろう。ほかは戦いにすらならん、狩りだよ。
その裏の冷笑が透けて見えるようで、結衣は寒気を感じて身を震わせる。
それと共に、心の奥底で澱んでいたどす黒い思いが噴出してくるのを感じた。
力。
それは、今までの結衣に最も欠如していたものだ。
力がなかったから、魔法が使えなかったからいじめられた。
じゃあ、今はどうだ。
力はある。あのわけの分からない鎧を一瞬で消し飛ばしてしまえるだけの力がある。
いじめている連中に報復してやる事だって簡単だ。
でも、それでどうなるというのか。
面倒なだけだ。いっそ学校を丸ごと消し飛ばしてしまえば、いくらかはすっとするだろうか。
と、そこでふと疑問が湧いた。
「……ねえ、どうして私は魔法が使えるの?」
魔力が使えなかったから、魔法が使えなかった。
つまり、今の結衣には魔力があるはずだ。
その問いに、
──それは、元々主様の魔力が我等魔導書にしか適していなかっただけだろうよ。あの頃の魔法文明にも同じようなものがいた。先代も主様ほどではなかったが、鬱屈したいい主であったよ。
くつくつとまた笑い、それが頭の中に響く。
初めから定められていたことだと言ってのけたネクロノミコンに、結衣はそれでも大した感慨を抱けなかった。
「……それで、私はどうすればいいの?」
──したいようにすればいい。まあ、魔導紙が近くに来れば私が知らせよう。そのときには存分に力を振るうがいいさ。
「……そっか」
頷き、そして結衣はふと空を見上げる。
うんざりするような快晴だ。青と白だけしかない空。
さて、これからどうするべきか。
学校にいくのは面倒だ。サボってしまった以上、後から行ってもどうしようもない。
というか、なぜ今まで律儀にいじめられに行っていたのかがわからなくなった。
復讐なんて、どうでもいい。もうそんなことを考える段階は当に超えて、既に何もかもがどうでもよくなっているのだから。
しかし、だからと言ってどこに行くわけでもない。あてがないのだ。
学校か家か、そのどちらかしか結衣の行く場所はない。買い物なんてする金はなかったし、普段使っている学習用の学校支給の端末は先月とうとう壊された。使えるものは鞄とスカートのポケットに入っている五百円玉だけだ。
さてどうするかと考え、それから一つ思い当たるところがあった。
そこへ行こうと頷いてからネクロノミコンを鞄へしまいこもうとして、
「そう言えば、貴女のことはどういえばいい?」
困ったのは呼び方だ。
ネクロノミコンなんて、一々そんな長ったらしい名をいちいち呼ぶ気にはならない。
何かないのかと尋ねると、ネクロノミコンはふむ、と一つ呼吸を置き、
──先代にはミコ、と呼ばれていたよ。そう呼ぶかな?
「それでいいや」
言って、無造作に鞄の中へミコを放り込む。
それからゆっくりと立ち上がると、溜息をつきながら歩き出した。
公園からしばらく歩いたところに、それはあった。
大きな白い建物。図書館だ。
このご時勢には珍しく本物の本が置いてあるここは、結衣も初めて来る場所だ。
大通りから少し入り組んだところを入ったところにあるこの市営図書館には、毎日多くの人間が足繁く通っているらしい。
置いてある本の種類は多岐に渡り、魔法を使用するための教科書や辞典はもちろんのこと、小説や学術書、洋書に児童書までが取り揃えられている。
市民IDカードがあれば貸し出しも出来るが、持っていなくても中に入って読むならできる。しかもタダだ。
初めてきたはずなのに、なぜか奇妙な懐かしさを感じたのは、ここが小学校のときに入り浸っていた図書室と同じ香りだからだろうか。
しかし、今は平日の日中ということで人は少ない。
静寂そのものといった様子の図書館を進むと、結衣はある場所で立ち止まった。
周りとは違う雰囲気の、重苦しさを漂わせているその本棚に打たれた銘は『魔法書』。
つまり、魔法の教科書がわんさかと詰め込まれた棚である。
魔力が扱えるようになったということは、ページさえ追加すればその魔法を使えるようになるかもしれない。そう考えたのだ。
魔本も魔導書も根本的には違いはない。
単純な出力の違いがあるだけだ。少なくとも結衣はそう考え、
──言っておくが、私を使って普通の魔法を使おうとしても無駄だ。私は魔導紙しか使えない。
「……普通の魔法は?」
──私が使う最低限の魔力に耐え切れず、消滅するのがオチさ。私達は強すぎるから、魔本用に作られた魔法は使えない。
きっぱりと言い切ったミコへ僅かに落胆の色を見せながら、結衣は溜息混じりに魔法書の棚から離れる。
次に目に入ったのは学術書の棚だ。
洋書の棚と隣り合っているそれは、半分ほどが英語やドイツ語で書かれたもののようだった。
気まぐれにそれらを手にとって、ぱらぱらとめくっては本棚に戻す。
時折ギリシャ語にぶちあたることもあったが、安定してどれも読めなかったため問題はなかった。
日本語の学術書も読めたものではない。何しろ一ページ内に十個は専門用語が飛び出してくるのだ。一高校生の頭では、いくら頭がいいといっても限度がある。
「……はぁ」
パタン、と手にしていた厚めの学術書を棚に戻すと、視線を走らせて小説の棚へ移動する。
物体としての本の体裁を為した小説は、最近になって廃れ始めている。
電子書籍の方がコストがかからず、容易にマーケティングを行えるというのがその理由らしいが、なるほど確かに、手に取ってみればこれを一々印刷して販売するのは面倒だろうと思う。
だが、同時にこちらの方が読んでいるという気分になる。そんなことも考えた。
適当に一冊を抜き出し、それが三巻だということに気づいて一巻と二巻も抜き出す。
利用者用の椅子に座り、テーブルに三巻と二巻を重ねて一巻を開いた結衣は、早速文章の世界に没入しだした。
小さな頃は絵本に夢中になったものだが、中学校に上がった頃で本からはとんと縁を失ってしまった。理由は特にないが、見るものの趣味が変わったせいなのかもしれない。
小説は、ライトノベルと呼ばれる部類の物だった。
それなりに面白いことには面白いが、正直に言って暇つぶしにしかならない。
それでも、学校でいじめの相手をしているよりはよっぽど有意義で楽な時間だ。
図書館の職員が結いの方をちらちらと見てはいるが、話しかけようとはしてこない。
──いつの世も、異端は迫害され嫌われる。
「知ってる」
それが今の自分だ。
分かりきったことを面白げに言われ、結衣はどこか不満そうに返した。
ということで、図書館で初の学校さぼりをする結衣ちゃん。
どう考えても巫女になれないミコさん。
まあ、説明回は状況動かないことがほとんどですよね。うん。
感想お待ちしております。




