第98回 揉め事
ミーファとルナが出て行き、静まり返った部屋は、重苦しい空気が流れていた。
鋭い眼差しを向けるワノール。その手はいつでも剣を抜ける様に柄を握り締めていた。
そんなワノールとは対照的に、落ち着いた物腰のブラストは、フレイスト・カシオ・ウィンス・ワノールの順に視線を動かす。そして、一呼吸置いてから、意を決した様に口を開く。
「さっきも言ったが、俺達はこのままグラスター・フォースト・ニルフラントの三つの国へと移動する。移動方法は――」
「まだ、そんな事を言ってるのか! それじゃあ、偵察に行った連中は――」
「お、落ち着けよ。まだ、話は終わってないって。きっと、何か事情があるんだよ」
ブラストの話を最後まで聞こうとせず、ワノールが掴みかかろうとする。それを必死になってとめるカシオは、ワノールの後方で壁にもたれて立つウィンスに目で助けを求めた。だが、ウィンスはそれを無視する様に視線を逸らし、鋭い目付きでブラストを見る。ワノールと同じく、ブラストの言った事に納得していない様だ。
実際、カシオだって納得はしていない。それに、フレイストも。本当はワノールの様にブラストに掴み掛かりたいはずだ。それでもこうしていられるのは、ワノールが自分達の言いたい事をブラストにぶつけているからだろう。
「ふざけるな! 敵の拠点への危険な偵察に行かせといて、俺達はのうのうと他の国へ行くって、納得できるか!」
「だから、最後まで話を――」
「カシオ! お前は黙ってろ!」
ワノールがカシオを突き飛ばした。突き飛ばされ、横転するカシオは頭部を機材に打ちつけ、その場に蹲る。それすら目に入らないワノールは、ブラストの前に立ちはだかるフレイストを退け様と手を伸ばし動きを止めた。
首筋に伸びる刃。太い刀身に鱗模様。それは、フレイストの持つ鱗龍と言う名の大剣だった。鋭く光る刃に輝く刀身の鱗模様。鋭い眼差しを向けるフレイストは、穏やかだが何処か怒気の篭った声で言葉を綴る。
「控えてください。冷静さを欠いた今の貴方に、何が正しいのか判断する事が出来ますか?」
「クッ……。何が正しいとかじゃない。他の連中が戦場の中に居るのに、俺達だけ他の国へ逃げるなんて出来るか……」
「貴方は何故、逃げると? そもそも、我々がここに赴いたのは全ての決着を着ける為です。そして、ブラスト殿も同じ考えの下我々を集めた。それなのに、ここまで来て怖気づくわけがありません。まずは冷静になり話しを聞く事が先決だと、私は思います」
淡々と述べるフレイストは、静かに剣を下ろす。渋々と身を退くワノールは、強く拳を握った。まだ納得はしていない様だ。フレイストもそれに気付いているのか、鱗龍の刃をむき出しのままにしている。
皆に全く心配されないカシオは、渋々と言う感じで体を起す。額から流れる血を拭ったカシオは、不満げな顔を四人に向けるが、全く相手にされなかった。怒りが湧き上がるが、カシオも空気を読み言葉を必死に呑み込む。
そんな事とは知らず、ブラストが重々しく口を開く。
「色々と話さなきゃならない事があるが、時間が無い為、余計な事は省いて話す。それで、お前達が納得するとは、思えないが……」
「とりあえず、話は聞きます。私も今の状況には納得していない方に入りますから」
この中では一番落ち着いた様子のフレイストの言葉に、ブラストが僅かに笑みを浮かべた。ブラストも今の状況に困惑している様だ。腕組みをするウィンスは、静かに壁から背を放すと、二・三歩足を進め静かに口を開く。
「なぁ……。それって、俺は居なきゃいけないのか?」
「ああ。キミも必要だ。と、言うよりここ居る五人全員の力が必要だ」
真っ直ぐな目にウィンスは静かに息を吐いた。倒したい奴がいる。そう言葉を告げたかったが、あのブラストの目に言葉を呑むしかなかった。ウィンスのその意を察したのか、ブラストは「申し訳ない」と一言告げ、頭を深々と下げ、更に言葉を続ける。
「キミがどうしたいのかは、分かっている。でも、憎しみだけでは――」
「分かってる。分かってるさ。俺だってこのままじゃダメだって。だが、奴は――」
「大切な人を奪われる気持ちは分かります。ですが、感情に流されては見えるモノも見えなくなってしまいます」
静かに述べたフレイスト。その言葉に、ウィンスは下唇を噛み締める。フレイストの言葉の意味を理解しているからだ。現に怒りに任せ戦い、ロイバーンに敗れた。今またロイバーンと戦えば、ウィンスは怒りに呑まれ暴走するだろう。結果、敗北。今のウィンスには、感情を抑える事など不可能だ。
悔しそうなウィンスの表情を、フレイストはただ真っ直ぐに見据えた。自分はどうなるだろう、と少なからず考えた。父を殺した相手と対峙した時、冷静で居られるだろうか。もしかすると、ウィンスの様に暴走するんじゃないだろうか、と不安になる。それでも、平然を保ち静かに息を吐く。
「話の腰を折ってしまいましたね。それでは、ブラスト殿。話を続けてください」
「ああ。それじゃあ、これを見て欲しい」
ブラストが取り出したのは一冊の本だった。真っ赤な表紙に何やら文字が刻まれている。その文字は旧式の文字なのだろう。その場に居た誰もが読む事が出来なかった。異様な雰囲気の漂うその本を広げるブラストは、ゆっくりとページを捲る。ページを捲る音だけが室内を支配し、時が刻々と過ぎていく。
そして、遂にブラストの手が止まる。静まり返った室内で、ブラストの低音の声がゆっくりと言葉を告げる。
「これは、フォースト王国で発見された予言書だ」
「予言書の事は前にも聞いた。それが、なんだと言う」
冷やかな口調でワノールが述べる。まだ、怒りが収まっていないのだろう。何処か棘がある。その棘のある言葉に、ブラストは静かに返答する。
「この予言書には特に俺達の事が事細かく書かれている。次にこの世界の事が書かれている。今後に何が起きるかも」
「この飛行艇が落ちる事も書かれていたのか?」
鋭い目付きを向けるワノールの言葉に、ブラストが険しい表情を見せた。その表情で四人はすぐに悟る。この墜落が予言書には書かれていないと言う事を。
この事について、ブラストは一つの結論を出していた。
「その事だが、この予言書では飛行艇は無事にディバスターの手前まで行く事になっている」
「そ、それじゃあ、その予言書は――」
「デタラメと、言う可能性もありますね」
フレイストの冷静な口調にブラストが首を左右に振った。
「そうでも無い。俺達はお前達と合流した時、予言書通り魔獣達が襲ってきた」
「それは、魔獣達の仕掛けたワナの可能性も――」
「あると思う。だが、この予言書には他におかしな点がある」
「おかしな点?」
相変わらず、棘のある声質でワノールが問うと、ブラストが頷く。
「書かれていない人物の登場。そして、結末」
「結末? お前、そこまで読んだのか?」
呆れ顔のワノール。さっきまでの怒りが飛ぶほどだった。
普通、希望を残す為、結末だけは読むのを避けるのが鉄板だが、ブラストにはそれが欠如している様だ。
小さくため息を吐くワノールを尻目に、ブラストは照れ笑いを浮かべながら、
「俺も結末は読まないつもりだったんだが、研究者としての血が騒いでな」
大らかに笑うブラストに、四人が呆れた様にため息を吐いた。