第93回 残虐
「な、何だアイツは!」
「クソッ! 退くぞ! 皆逃げろ!」
「グアアアアッ」
「た、助け――ウオオオオッ」
悲鳴や叫び声が飛び交う。
飛び散る血飛沫が周囲を赤く染め、大小様々な肉片が辺りに散乱する。
悪臭とも言える異様な臭いが漂い、その中心でもう一度咆哮が鳴り響く。
「ウガアアアアッ!」
大気が震え、大地が揺れる。木々が振動で真っ二つに裂け、地面に亀裂が生じる。
全てを破壊する咆哮が止み、黒い影がケタケタと笑う。口が裂け白い歯が剥き出しになった。整った綺麗な歯が糸を引く。周囲を見回し、影は重々しく右足を踏み込む。すると、爆音を残し影が消える。直後、悲鳴がこだまし、血飛沫が舞う。
地面に横たわるカインは、その光景が目に焼きつく。おぞましい姿のあの生物は、間違いなく飛行艇の監視カメラに映っていた生物だった。
魔獣の頭を力で引き千切り、その肢体を捻じ切っていく。血と肉片が地面に落ちる。黒い影の手が血で赤く染まり、それを口へと運ぶ。舌が指先の血を舐め取り、黒い影がケタケタと笑い出す。
その笑いが周囲を凍り付かせる。ある者は腰を抜かし、ある者は意識を失う。その場に居た誰もが恐怖に震え上がる。
「クケクケケケケッ」
「なめるな!」
魔獣の一体が、意を決した様に突っ込む。だが、その体が突如ずれ、血飛沫を上げ肉が地面に転がる。何が起こったのか分からないが、何か鋭い糸状の物が張り巡らされていた。いつの間にそんなものが張り巡らされたのか分からないが、糸状の物に付着した血がシトシトと地面に滴れる。
「な、なんだ……。今、何が――」
「くっ、来るぞ!」
魔獣達がザワメク。黒い影が糸状の刃の中を縦横無尽に駆け、魔獣達へと迫る。逃げようとすれば、見えない刃が牙を向き、逃げなければ得体の知れないバケモノに引き千切られる。
完全に逃げ場を失い、戦意を失くす魔獣達は、次々と悲鳴を上げ肉片と化して行く。悪臭と血の池。残骸が転がり、悪臭が漂う。そこへ、甲高い声が響き渡る。
「カイン!」
「あやつは、飛行艇に居た……。何でこんな所に?」
「そんな事どうでもいい。今はカインとフォンを――」
「待て! 動くな」
駆け出そうとしたティルをバルドが制しさせ、その場に転がる木の枝を投げた。すると、木の枝が何かに触れ細切れになった。驚くティルとノーリンに、バルドは更に眼を凝らし言う。
「既に囲まれてる」
「動こうものなら、ワシ等もあの木の枝の様になる、と言うわけじゃな」
「こんな物!」
ティルは天翔姫を両手に握り、力一杯に振り下ろす。澄んだ鉄音が響き、火花が闇を彩る。空中で止まる白と赤の入り混じった刃が、小刻みに震える。奥歯を噛み締め、右足を踏み込むティルだが、刃はピクリとも動かない。それ所か天翔姫の方が軋み始める。
一向にやめ様としないティルの肩を、ノーリンが掴む。肩からスッと力が抜け、天翔姫を下ろす。
「くっそ!」
「そう熱くなるな。まだ、出来る事があるはずじゃ」
「この状況で何が出来る!」
「冷静になれと言うとるに」
「俺は冷静だ!」
怒鳴るティルに、小さくため息を漏らす。後ろの方では黙り込んだバルドが、鋭い眼光を闇に向け、ブツブツと言葉を呟く。誰にも聞こえない位の小さな声だが、ノーリンの耳にはハッキリと聞こえていた。しかし、無言でその様子を窺う。
闇の中でもティルやノーリンよりは鮮明に見えているバルドは、次々と倒されていく魔獣達の姿に、バケモノの動きに目を奪われる。圧倒的な強さと恐ろしさ。体中の血が血流を速め、体が慄く。
「勝てない……。勝てないぞ。俺達では」
「そんな事分かってる! でも、カインとフォンをどうにかしないと――」
「バカか! 助ける前に俺達が殺される!」
「なら、見捨てろって言うのか!」
もめる二人に対し、落ち着いた様子のノーリンは、深々と息を吐く。呆れた様に首を左右に振り、二人の間に入る。
「止めるんじゃ。ここでおぬし等が争っても何にもならんじゃろ!」
「分かってる! だが――」
「いいか、今は自分の事だけを考えろ。奴からどうやったら逃げられるかを」
「ふざけるな!」
ティルが声を荒げる。
「いいか、俺は仲間を見捨てない」
「なら、自分の命を捨てるのか?」
「じゃから、止めろと言うとるに!」
ノーリンが二人を制止しようとする。だが、二人はその言葉を聞かず、つかみ合い刃を向ける。白に赤い亀裂模様の入った天翔姫の細い刃がバルドの首筋に向けられ、一方で妙な切れ込みの入った刃の長いナイフがティルの喉元に向けられる。
息のかかる程顔を近づけ睨み合う二人。両者の首には僅かに赤い線が走り、刃に血が流れる。
「剣を退けろ」
バルドが怒気を含んだ低い声で言うと、ティルも怒りを込めた声で言い放つ。
「ふざけろ。お前こそ、そのナイフを退け」
両者共譲らず、ギリギリと奥歯を噛み締める。
呆れるノーリンは怒りを堪え、二人を止め様とした時、突如咆哮が轟き、衝撃波が三人を襲う。衝撃が土煙を舞い上げ、周囲を包み込む。大小様々な石粒が飛び交い、目を開ける事も出来ない状況の中、ノーリンの耳に一つの足音が聞こえた。それは、軽快でとても軽々とした足音。それが、土煙の中を駆け、ノーリンの目の前を何かが通過する。
思わず身構えてしまったが、何事もなく足音が遠ざかっていく。訝しげに顔を顰め、ティルとバルドを確認する様に声を上げる。
「ヌシら、何事もないか?」
「ああ。何かあるとしたら、コイツがナイフを向けてること位だ」
「黙れ! お前こそ、とっとと剣を退けろ」
「やめぬか! 今、ワシ等は袋の中のネズミじゃ。こんな所で揉めている場合じゃない。それに、今しがた何かがワシ等の間を駆けてったんじゃぞ!」
ノーリンの言葉に二人が動きを止める。と、同時にカインとフォンが空から落ちてきた。ノーリンは何事も無かった様に二人の体を受け止め、見開いた鋭い眼差しを土煙の中へと向ける。
甲高い澄んだ金属音が次々と響き渡った。何が起こっているか分からず、辺りを警戒する三人。その三人に、幼さの残る綺麗な声が告げる。
「その二人を連れてここから去れ! 今すぐだ!」
その声にティルが返答する。
「誰だ!」
「誰だっていいだろ。いいから早く去れ! 僕が奴は引き止める」
「誰だか知らぬが、感謝する。しかし、ヌシが誰か分からぬ以上、その言葉を信じるわけには行かぬ」
ノーリンが渋い声で問う。暫く沈黙が続く。やはり、何かのワナなのかと、疑念を抱くノーリンは、静かに口を開く。
「何も言わぬなら、ヌシの言葉を信じる事は出来ぬ」
「――だ」
「何じゃ?」
僅かに聞こえた声に、ノーリンが聞き返すと、次はハッキリとした声で、
「僕は、十二魔獣第二席フォルトだ! いいからここから消えろ!」
空を二本の閃光が閃き、小柄な体を屈めて地面に着地する。周囲を包んでいた糸状の刃が切り刻まれ地面へと降り注ぎ、ティル達の後方に退路が出来た。身を屈めるフォルトが僅かに顔を横に向け視線だけを三人に向ける。鋭い眼差しの奥にギラめく赤い瞳が、三人を睨む。