第90回 必要ない
陽が落ち月が昇る。
静けさ漂う闇の中で、フクロウの声だけが聞こえる。
時折吹き荒れる木枯しが、木の葉を舞い上げる。
茂みに身を隠す三人は、白い息を吐きながら寒さに耐えていた。
「さむっ……」
「全くじゃな」
「……」
寒さを凌ぐ様に体を小刻みに震わせるティルとノーリンに対し、微動だにしないバルドは双牙の手入れをしていた。奇妙な切れ込みの入った大小二つのナイフ。どれも手入れなど必要ない程美しく刃を輝かせる。闇の中でもそれは美しく見えた。
呆気に取られるティルとノーリンは、小さくため息を漏らし、ゆっくりと顔を見合わせた。
「どう思う」
「何がじゃ?」
「あれだよ。あれ」
ティルがバルドの方を指差すと、ノーリンも納得した様に頷く。
「そうじゃな。ワシには分からん」
「幾らなんでもやりすぎだろ」
「まぁ、手入れを怠るよりましじゃろ?」
「そうだけどな……」
もう一度ため息を吐くと、白い息が闇へと消えた。
森へと墜落した飛行艇が、月明かりに照らされ色鮮やかに光る。
機内では複数の足音が慌ただしく行き交う。
「居たか?」
「いや。コッチには居ません」
「あーっ。もう、何処いったんだよ!」
「それじゃあ、私達は他の所を探してきます」
また複数の足音が慌ただしく機内を移動する。残されたのは背丈の低い民族衣装を纏ったウィンスと、オレンジブラウンの髪を揺らすフレイスト。小さくため息を漏らしたウィンスは切れ長の目をフレイストの方に向ける。
「なぁ、どう思う」
「さぁ。私にはさっぱりです」
「ったく、こんな時に何してんだか……」
ウィンスがもう一度深いため息を吐くと、フレイストは穏やかな笑みを向ける。
「心配してるんですね」
「何だよ。心配するのは普通だろ? 仲間なんだから」
「そうですね。それじゃあ、私達は外を探してみましょう」
笑みを浮かべるフレイストに、面倒臭そうに頭を掻きながらウィンスはもう一度ため息を吐いた。
操縦室ではブラストが一人飛行艇のデータを修正していた。まだ、機内で起きた事件については何も知らされていない。飛行艇の修復に集中して欲しいと言う、ワノール達の最大の配慮だった。
一方で、ワノールと行動を共にするカシオは、森の中で野垂れ死んでいた。
「あうううっ……。も、もう限界だ……」
「それは、コッチの台詞だ。いいから、さっさと立て」
「うるせぇ。お前みたいな冷酷非道な奴に、俺の気持ち何て分かんないだろうよ」
「フッ。お前の様なお喋りな奴には分からんだろう。無駄話を聞かされるコッチの気持ちは」
軽く馬鹿にした様な態度のワノールに、うつ伏せに倒れていたカシオが立ち上がり怒鳴る。
「なんだとコラー!」
「それだけ元気があれば十分だろ。行くぞ」
「ガウウウッ! 謀ったな!」
「謀った? 何を言っている。さっき言った事は本気で思ったことだ。少しは理解しろ」
ワノールの言葉に唖然とするカシオは、顔を真っ赤にし、雄叫びを一つ上げた。夜の静かな森に、その声は何処までもこだました。
その森の奥で、二つの影があった。
一方は金髪の髪を揺らし、黒の衣服に身を包む。
一方は空色の髪を揺らし、見透かした様な空色の瞳が闇の中で煌く。
両者の距離はおよそ三メートル。二人の視線が交わり、口から白い息が漏れる。
「何処へ行くつもり」
「…………」
空色の髪をした少女の声に返答は無く、静かに時が過ぎる。沈黙の後、空色の髪の少女がもう一度問う。
「質問に答えなさいよ!」
「…………」
沈黙。金髪の少女は一切質問に答える気は無い様だ。その態度に苛立つ空色の髪をした少女は、静かに歩み寄り肩を掴む。
「ルナ!」
その言葉に、ルナと呼ばれた金髪の少女が、乱暴に少女の手を払い除ける。その目に浮かぶ水滴に、少女は驚く。ルナは静かに雫を拭い、背を向け口を開いた。
「私の事は放っておいてください」
声色がいつもと違う。何処か感情的、そんな風に感じる。言葉を掛けようと少女が一歩前に歩み寄ると、ルナが更に言葉を続ける。
「止めてください。もう、本当に……私を……」
最後は涙声で聞こえなかった。彼女の目から零れる涙。今まで抑えていた感情が湧き上がってきたのだろう。
戸惑う少女は暫し言葉に詰まる。どう言葉を掛ければ良いのか分からなかった。戸惑い黙っていると、微かにルナの言葉が耳に届く。
「私は……必要ないんです……。あそこに……居る意味は……無い……」
「何言ってるの? ルナが必要無いだなんて誰も思っていないよ」
「治療する事の出来ない私に、あそこで何が出来るって言うんですか!」
怒りの篭った言葉に少女はたじろぐ。かつて無いほどの強い眼差し、溢れる感情。それが少女にピリピリと伝わる。
一方、ルナも感じたことの無い感情に、苦しんでいた。どうしたら良いのか分からず、ぶつけようの無い気持ちを少女にぶつける。それがただの八つ当たりだと分かっていながら。
「私は力になりたい。彼を死なせたくないの!」
「それは、フォンだって一緒だよ。だから――」
「一緒じゃない。彼はいつだってそう。何かを守る為に自らの命を削る。それなのに、私には何も出来ない。もう……彼の傷を癒す事も……」
零れた涙が地上へと落ちる。一滴、一滴が、乾いた土に弾けて消えた。それと同じ様に彼女の鳴き声も闇へと消える。一つ一つの言葉の重さを少女も感じた。そして、ルナがどれだけフォンの事を想っているのかを、知った。彼女がどれ程苦しんでいるのか理解し、少女も涙を流す。
しかし、同時に少女は怒りを覚える。フォンがこれから何をしようとしているのかを知り、フォンが何を守ろうとしているか分かっているから。そして、フォンの想いが彼女に伝わっていない事が、尚少女に怒りをもたらす。
「バカァ! あんたは何も分かってない! フォンがしようとしている事も、フォンの事も!」
「私に、知る権利はありません。私には未来が無いから……」
「そんな事無い! フォンは未来を変える。あなたの運命を変える。その為に、フォンは戦う。フォンはあんたの為だけに戦ってるの!」
その言葉がルナの胸に突き刺さる。胸が張り裂けそうな程痛んだ。感じた事の無い痛みに、涙が一層溢れ出す。
涙を拭いた少女は、涙を堪えルナへと歩み寄り優しく彼女を抱き締めた。少女の胸に顔を埋め泣きじゃくるルナの頭を、少女は優しく撫でる。
「もう苦しまなくていいよ。運命は変えられる。私も頑張る。自分の手で未来を切り開く為に」
涙を流しながら少女は願う。自分が見た結末が変る事を。変えられる事を。