第89回 もう一つの人格
静かに流れる風。
両者の足元を転がる木の葉は、二人を避ける様に脇に流れていく。
赤毛の髪が揺れ、朱色の刃が木の葉を燃やす。それを見ただけで刃に高温の熱を帯びている事が分かる。
腕を組む少年は、困った様に右頬を掻く。なるべく戦いを避けたい、と言うのが少年の考えだろう。しかし、カインの方は退く気は無く、冷たい視線が真っ直ぐに向けられる。
「退いてはくれない様だね」
「当然だ。仲間を傷付けられて、退けるか」
口調と声質が違う。別の人格になってしまった、そんな印象だった。危険な雰囲気だが、平然とする少年は、思い出した様に口を開く。
「もしかして、キミはあれかな? 彼のもう一つの人格って奴」
「だとしたら?」
「随分と変わってるね。キミは」
「それはお互い様だ。バケモノ」
黒い瞳が僅かに赤みを帯びる。口元が緩み、不適な笑みを向けた。怪訝そうな表情の少年は、渋々と拳を構える。
両者の視線が交わり、それぞれが相手の動きに合わせる様に足を動かす。一定の距離を保ち、視線はジッと相手を見据える。切っ先が地面を抉り、土を焦がす。嬉しそうに微笑むカインは、つま先に体重を掛け、前傾姿勢をとる。同時に少年も僅かに前傾の姿勢に入る。
そして、同時に地を蹴った。地を抉る切っ先が火花を散らし、少年が間合いに入ると下から上へ閃光が走る。
「おっと」
右足を踏み込みスピードを殺した少年は、それを予測していたのか、バックステップで刃から逃れた。だが、続け様に切り上げた青天暁が振り下ろされる。
一瞬、驚いた表情を見せるが、それも容易く体を捻りかわした。
「今のは驚いたよ」
「驚くのはこれからだ」
不適に微笑み振り下ろした青天暁を持ち直し、素早く突き上げる。その高速の突きをかわせないと判断した少年は、足元に在った木の棒を蹴り上げ右手に取ると、それで青天暁の側面を叩く。刹那、木の棒が燃え上がる。
「チッ!」
大きく舌打ちをする。刃は僅かに少年の顔の横に逸れていた。僅かに軌道をずらされていたのだ。
「残念だったね。三連撃も――」
「安心しろ。俺のは四連だ」
白い歯を見せ笑うと、青天暁を引く。ノコギリ状の刃が少年の服に引っかかり、少年は逃れる術を失う。全てはこの為の布石。そう思うと、今まで大振りだった太刀の意味が良く分かった。
カインと少年の視線が一瞬出会う。そして――……肉を裂く短い音が響いた。
闇を彩る鮮やかな赤い飛沫。
花弁の様に散り、雨の様に地上に落ちた。
静寂が辺りを支配し、風が優しく吹き抜ける。
指先からシトシトと滴れる赤い液。それと同じ様に、切っ先からも赤い液が落ちる。
緊迫した空気が両者の張り詰めた心境を物語った。
ジリッと右足を前に出すカイン。青天暁は下段に構える。
「驚きだな。まさか、腕であの牙から逃れるとは」
静寂の中でカインが述べる。微かに口元を綻ばす少年は、深く傷付いた右腕を見て静かに答えた。
「フフフッ。致命傷を避けるのを最優先に考えた結果、こんな形になってしまったんだよ。まぁ、この程度の傷なら治癒できる」
「その傷だけで済むと思ってるのか?」
鋭い眼差しに、少年は穏やかな視線を向ける。
「もちろん。そのつもりだよ。これ以上、戦う意味が無いからね」
「俺が簡単に逃がすと思っているのか!」
地を駆け刃が風を切る。鋭い刃音。太刀風が吹き、木の葉が舞う。上半身を退け反らし刃をかわした少年は、そのままバク転でその場を離れる。距離を取った少年は、静かに息を吐く。
間合いを取られ渋い表情を見せるカインは、青天暁を構えず少年を見据える。赤毛が徐々に元の金髪へと戻り、青天暁も元々の蒼刃へと戻る。時間切れ――と、言う所だろう。急激な変化に疲弊しているカインは、青天暁を地に刺し体を支えた。
「ハァ…ハァ……」
「あれは、体を酷使するみたいだね。長期戦には不向きだ」
「ハァ…ハァ……。何が……望み……だ」
「俺に望みは無い。ただ……」
彼は静かに呟く。その声は突如吹いた突風に掻き消され、誰にも聞こえなかった。
「さて、落ち着いた所で話しておく事がある。これは、キミ達にとってとても重要な事だ」
「重要な……事?」
「そう。特にフォンとティルの二人に関する事だ」
真剣な表情を見せる少年に、カインの顔と引き締まった。緊張が走り、少年が告げる。
「あれは、外させるな」
「あれ?」
「右腕に付けたリングの事だよ。あれを外した時、フォンはフォンで無くなる。言ってる意味は分かるよね」
「…………」
何も言わず少年の目を真っ直ぐに見つめる。何故だか何が言いたいのか分かった。あの右腕は危険だ。そして、あのリングはその力を抑えている。外せばフォンはあの腕に呑み込まれる。そう言う意味だろう。
賢いカインならすぐに色々と理解が出来た。だが、それが一体何処まで本当なのか、その事が脳裏に過る。
鋭い視線に少年も鋭い視線を向ける。両者の視線が交錯し、カインは剣を抜き切っ先を向けた。
「クゥ……。もし……もしも……、それが嘘だった時は……」
青天暁を持ち直し、鋭い眼光で少年を睨む。
「キミをこの手で殺す」
「ああ。もしもの時は、この命をキミに差し出そう」
軽い口調で了承する少年は、胸に手を当て穏やかに微笑む。何処までが本気なのか分からない。その為、警戒するカインは、青天暁を握ったまま動かない。
少年は動かないカインに僅かに頭を下げると、そのまま闇に消えた。少年の姿が見えなくなり、緊張の糸が切れたのかカインは仰向けに倒れた。持っていた青天暁が澄んだ金属音を奏で地面に転がる。大きく息を吸い込み、腹から息を吐き出した。思い出すだけで体が小刻みに震える。自分が生きている事を確かめる様に、両手で肩を握った。