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第88回 圧倒

 静寂が森を包み込む。

 闇に浮かぶ少年の姿が僅かに揺れ、足元に獣と化したフォンが横たわる。両者の動きが止まり、数分。ただ無駄に時間が過ぎる。

 遠くでそれを見据えるカインは、悔しげに奥歯を噛み締め青天暁の柄に手を添えた。

 次第に風が強まり、地上に散ばった木々の葉を舞い上がらせる。周囲の倒された木々の枝が風に僅かに揺れるが、弱々しく音は小さく風の音の方が大きく聞こえた。もうあの二人の周囲は森と言う面影は無く、木片や木の残骸が散ばっているだけだ。

 苦痛からようやく目を見開いたフォンは、飛び起き静かに息を吐く。ゆっくりと、腹の奥から息を吐き出し、鋭い眼光を少年の方へと向ける。尻尾がフォンの後ろで左右に動き、右手の爪を地面に減り込ませる。

 全ての動きを見据えるだけの少年は、小さく息を吐くと、荒んだ瞳でフォンの顔を見た。濁りのある淡い黄色の瞳に、フォンの尻尾が動きを止める。


「ガアアアアッ!」


 ――咆哮。だが、少年は動じない。フォンが迫り、右腕が空を裂く。

 拳が顔面に迫る。広い視野の端に見える拳。それを、左手の甲で払う。拳が顔の横を通過する瞬間、少年は体を横にずらす。勢いを抑えきれず、フォンは少年の横を通過する。

 すれ違う瞬間、二人の視線がぶつかった。怒りを滲ますフォンの眼と、感情など消え失せた様な少年の眼。両者の視線が火花を散らせ、交錯する。

 体を反転させ相手の方に体を向けたフォンは、右手で地面を引っかき勢いを殺す。土煙が僅かに舞い、両者が睨み合う。額から一筋の雫が流れ、地上に落ちる。一定のリズムを刻み、少年を見据えたまま、口を少しだけ開いた。二本の牙から涎が滴れる。


「まだ、分からない様だね。力の差を」

「ガウウウッ」

「威嚇のつもりかい? でも、威嚇ってのは強い者にしても効果は薄いんだよ」


 身構える事も無く、無防備に立つ。だが、隙が無い。周囲三六〇度全てを見えている様で、何処から攻撃しても当るとは思えなかった。フォンとて、その事を理解しているのだろう。尻尾を左右に動かすだけで、少年の事を真っ直ぐに睨みつけて動かない。

 その場が沈黙してから数分。先に行動を起こしたのはやはりフォンだった。

 右手で地面を掻き揚げ、石つぶてを飛ばす。しかし、大小様々な石つぶが、少年の右手によって軌道をずらされる。まるで少年を避けている様だ。


「小細工は通用しない。もう少し本気でやったらどうだ?」

「ぐっ……グオオオオッ!」


 咆哮と同時に、フォンが右手でもう一度石つぶを飛ばす。その行動を見据える少年は、誰にも聞こえない小さなため息を漏らす。


「同じ事を繰り返しても、同じ結果しか生まれない」


 飛んで来る石つぶを次々と弾く。刹那、巨大な石つぶが少年の視界を遮った。目付きが変わり、左手で拳を握る。これは弾けない、と瞬時に判断したのだ。

 左足を踏み込み、拳に力を込める。足の指に力を加え、地面を蹴る様に体を前へと押し出す。上半身が捩れ、背骨が軋む。そして、回転させる様に右腕を引くと、枷を外した様に左拳が勢い良く突き出された。

 轟音が周囲を包み、衝撃波が広がる。少年の目の前に迫っていた巨大な石つぶが、跡形も無く消滅した。

 塵が舞い、風が吹き抜ける。その場を静寂が包み、少年が静かに顔を上げた。視界には闇だけが映り、フォンの姿は無い。逃げた? とは、考え難い。ならば――。

 素早く右足が風を切り、上空から振り下ろされたフォンの右拳とぶつかる。骨が軋み、一瞬少年の表情が歪む。一方で、フォンの口元が僅かに微笑む。同時に死角から尻尾が現れ、少年の顔に向って飛ぶ。しかし、それは少年に届かなかった。拳半個分の所でピタリと止まる。


「甘い。実に甘い。あの一撃は俺の油断。もう、あんな事二度と無い」

「グウウウウッ」


 右手が尻尾を掴んでいた。強靭な尻尾が動きを封じられ、フォンの体が地面に落ちる。尻尾を掴んだまま地面に這い蹲るフォンを見据える。無様なその姿に哀れむ様な眼差しを向けた。冷やかな笑みを浮かべ、「期待はずれだよ」と、述べると少年は手を放す。

 倒れるフォンは、喉の奥から声を発しながら真っ直ぐに少年を睨む。だが、少年は何も言わず背を向ける。音も無く立ち上がったフォンは、その背中を見据え不適に微笑み、鋭い爪を少年の背中に突き立てた。

 爪先が少年の背中に触れ、異変に気付く。だが、気付くのが遅すぎた。少年の姿が消え、フォンの腕が大きく空を切る。


「不意打ち? 姑息だね。まぁ、勝負だから卑怯とは言わないけど、プライドとか無いんだね」


 少年の声が頭上から聞こえる。右手をフォンの頭に着き、逆立ちする少年。足先まで綺麗に直立し、微動だにしない。


「それじゃあ、終わりにしようか。俺も急がしいんでね」


 呟き声と同時に膝を折ると、体を前に倒す。右手を軸にして大きな円を描く様に、少年の体が倒れる。そして、重力に引かれた膝が、勢いそのままにフォンの背中に突き刺さった。背骨が軋み、口から血が飛び散る。意識が薄れ、フォンの体が崩れ落ちた。

 地面にうつ伏せに倒れ、体が元に戻る。尻尾が消え、侵食が引いていき、右腕も傷痕だけを残し元通りに戻っていた。意識を失い、体の制御を失ったのだろう。そんなフォンの背中に足を置く少年は、体を屈めてフォンの耳元で囁く。


「俺は待っている。お前との約束を果たす為に」


 意識を失っているフォンに伝わったか分からないが、それを告げるとフォンの右手首にあの銀色のリングをつける。翡翠の宝石が不気味に輝く。

 背中から足を退けると、カインの方へ体を向ける。瞬時に身構える。だが、少年は穏やかに笑みを見せ、視界から消えた。


「安心しな。キミに危害は加えない」


 耳元で囁かれた。背後に感じる気配に、息を呑む。緊迫した空気に動悸が激しくなる。思考が色々な事を思い出させる。まるで走馬灯の様だった。コイツには勝てない。殺される。そんな言葉が脳裏に過ったと同時に、脳内にプツンと音が響き思考が途切れた。

 美しい金髪が赤く変色する。白煙が上がり、鉄の擦れる音が微かに聞こえた。

 刹那、反転し青の閃光が飛ぶ。バックステップでその場を退き、変わらぬ笑顔でカインを見据える。

 思考の完全に停止したカインの眼差しは、不気味だった。穏やかだった表情も、何処か殺気だって見せる。青天暁の刃がその心に共鳴する様に、鮮やかな朱色に変化していた。危険なニオイに少年も気付く。


「俺は疲れている。キミの相手までするつもりは無い」

「……」


 何も言わず切っ先を向ける。両者の視線が重なり、風が吹き抜けた。

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