第87回 森の中の戦い
森の中を探索するフォンとカインは道に迷っていた。
「ここは何処だー!」
「ダメだよ。フォン。そんな叫んでたら魔獣にバレるって」
苦笑するカインが辺りを見回す。何処を見ても森、森、森。同じ木ばっかり。これでは何処から来たのかサッパリだ。
ため息を吐くカインは、空を見上げ困った様に頭を掻く。戻ったらきっと怒られるんだろうと、思いながらもう一度ため息を吐いた。
そんなカインを尻目に両肩を抱えて震えるフォンは、ぎこちなくカインの方に顔を向ける。
「あううううっ……。寒い……」
「そうだね。もう世間では冬だから……んっ? そう言えば、フォンは鼻が良いんだよね?」
「普通の人に比べたらな」
「じゃあ、臭いで戻れない?」
笑顔のカインに、フォンは静かに鼻を動かす。僅かに漂う臭いはフォンの嗅覚を狂わす様な血の臭い。これでは臭いで戻るなど不可能だった。両肩を落とし、表情を歪めるフォンは、申し訳無さそうに、
「すまねぇ〜。血の臭いしかしないんだよ」
「そっか。でも、困ったね」
「全く困った……。こんな時に……」
「どうかした?」
「いんや。なんでもないよ」
作った様な笑みを見せたフォンは、すぐに眉間にシワを寄せる。右腕が疼く。もうすぐ夜が来るからだろう。体の中の獣がうごめき始めているのだ。必死に抑え込むフォンは、ゆっくりと深呼吸をしてから、静かに立ち上がる。そろそろ限界だと悟ったのだ。
「カイン。悪いけど、暫くオイラから離れて欲しい」
「どうしたの? 急に。トイレかな?」
「いや……。もう……抑え――」
刹那、腕に巻かれた包帯が裂かれ、化物の様な鋭い爪が地面を抉る。別の生物の様に膨れ上がっていく右腕に、聊か驚いた表情を見せたカインだが、すぐに真剣な面持ちをする。こうなった原因を、カインは覚えていた。全ては自分の責任だと言う事も。だから、何も言わずフォンの背中を見据えた。
唸り声が森に響き、腕が自らの意思で動いているかの様に地面へと振り下ろされる。鋭い爪先が地面を抉り、土の塊を握りつぶす。右腕が完全に化物化し、それが首筋から顔の方へと上がっていく。
「ぐうっ……ううっ……ウガアアアアアッ!」
咆哮が響き、衝撃波が広がる。森の木々が衝撃を受け横倒しになっていく中、カインは衝撃に耐えながら真っ直ぐにフォンの姿を目視していた。
ゆっくりと振り返ったフォンの視線がカインとぶつかる。右目が獣の様に鋭く血に飢えた目をしているが、左目はまだフォンの目をしていた。だが、何処か切なく寂しそうな目だった。
「わりぃ……。もう、限界っぽい。早く逃げろ」
「僕は逃げ――」
「退け!」
カインの声を遮り、闇の中に少年が現れる。姿は見えないが、細々とした肉体に黄色の眼光がカインを見据える。体が硬直し、脈が早まる。殺気だろうか、それともプレッシャーだろうか、体が痺れる感覚があった。
息をする事さえ忘れてしまう様な緊張感の中、カインはようやく息を吸い込んだ。普段汗など掻くはずの無い炎血族のカインが、何故か手の平に汗を滲ませていた。右足を退き、腰の青天暁の柄に手を掛けたカインは、ゆっくりと呼吸を整える。
「誰だキミは……」
「もう一度言う。退け。死にたくないのならな」
「キミに指図される覚えは無い」
「そうか……。なら、自分の身は自分で守れよ」
彼はそう言うと同時に地を駆ける。標的は確実にフォンだろう。青天暁を素早く抜刀したカインは、少年に向かい足音も立てずに駆け出す。だが、闇で風を切る音が聞こえると、金髪の髪を揺らしカインの体が吹き飛んだ。
「――ぐふっ」
何が起こったのか全く見えなかった。何か強い衝撃を腹部に受け、気付いた時には地面に叩きつけられていた。口の端からツーッと血が零れ、左腕でそれを拭い真っ直ぐに目を向ける。弾けんばかりに膨れ上がったフォンの右腕が、唸りを揚げもう一度地面に拳を叩き込む。大地が揺れ亀裂が走る。衝撃に地面を転げるカインは、体勢を整え苦しそうに前方を見据えた。
もう自分が手を出せる状況ではない、と悟った。青天暁を静かに鞘へと戻ったカインは、悔しさに奥歯を噛み締めながら静かに二つの影を見据え、拳を握り締める。
距離を取る少年は、カインが動きを停止した事を確認して、右拳を握り締める。その手首に煌く銀色のリング。鮮やかな色の翡翠が細かくリングを彩り、薄気味悪く光る。
「キミにはまだやって貰わなきゃ行けない事が沢山ある。ここで、喰われる何て許さないよ」
「ググググ……」
獣の様な黄色い瞳が暗闇に浮かぶ少年の顔を見据え、強靭な右腕を一閃する。風を斬り突風が吹き抜け、木々が根をむき出しにし横転する中、平然と立ち尽くす少年は飛んできた大木を片手で受け止めた。
「分かってるはずだろ? キミの今の力じゃ俺に届かないって」
「グググッ……グウウウウッ」
「分かってないみたいだね。キミの中の獣は」
「ガウアアアアッ!」
地面が砕け、破片が宙を舞う。低い姿勢のまま地を駆けるフォンは、右手で地面を抉り真っ直ぐに少年を見据える。次々と舞い上がる破片の数々が、雫の様に地面に降り注ぎ弾けた。
目前に迫るフォンの姿に、表情を変える事の無い少年は、スッと左手を伸ばし、左肩をフォンの方に向け右腕を引く。一呼吸置き、少年が右足を踏み込むと同時に右拳を突き出す。突き出した拳に衝撃が走り、衝撃波が前方に広がる。木々が弾かれ根元の方からバキッと音を起て真っ二つに折れる。直進していたフォンの体も、その衝撃に弾かれた。
「グガアアアッ!」
咆哮と同時に体勢を立て直したフォンが、地面に着地する。両者の視線がぶつかり、ほぼ同時に二人が地を蹴った。
距離が縮まり、フォンの右腕がしなり空を切る。少年は左手で軽く拳を受け止め、右膝を突き出すが、頭を後ろに引かれ空を切る。それと同時に、フォンの右腕が引かれた。少年はすぐに何かが来ると判断し、右腕の動きを視界の端に置きながら、折りたたんでいた膝から先を振り出す。足先が僅かにフォンの顎を掠めた。
「ガウッ!」
掠めただけだが、フォンの体がよろめく。刹那、少年の右側頭部に衝撃が走った。右腕――は警戒していた。それじゃあ、何がと、倒れながら視線を向けると、そこには不気味にうごめくモノがあった。尻尾だろう。だが、一体いつ――。
倒れるのを堪えた少年は、真っ直ぐにフォンを見据えた。いつの間にか侵食が体の方まで進んでいたのだろう。お尻の辺りから尻尾が出ている。
額から流れる血を拭い、少年は不適に笑った。
「フフフフッ……。そうか……。加減は必要ないみたいだね。俺も本気を出すよ」
少年はそう告げると、右手首に煌くリングを外した。
ゾワッと広がる禍々しい殺気。足元から湧き上がる憎悪。獣と化したフォンですら一瞬怯んでしまう。だが、一瞬だけだ。
すぐに少年へと襲い掛かる。右腕がしなりもう一度少年に迫る。しかし、少年はそれを左手の人差し指だけで受け止めた。二人の顔が至近距離まで近付き、少年が言葉を囁く。
そして、フォンの右手首を右手で掴むと体を反転させて地面に叩き付けた。