第84回 足りないモノ
飛行艇の一室で精神統一をするウィンスの姿があった。
自らの精神の弱さを知り、それを克服する為だ。
あぐらを掻き、背筋を伸ばし目を閉じ、ただ静かに呼吸を繰り返す。何も考えず、無心を貫く中、あらゆる音が耳へと入る。翼が風を切る音、廊下から聞こえる足音、部屋を流れる風の音。全てがウィンスに囁きかける。
静かに瞼を開くと、スッと立ち上がり戸の方へと目を向けた。すると、戸が静かに開かれ長い黒髪を揺らしセフィーが入ってきた。吊りあがった鋭い目がウィンスを真っ直ぐに見据え、ウィンスも真顔でその目を睨み返す。
「今日は何しに来たんだ?」
「あら。随分な口の利き方ね」
「うるせぇ。今、俺は忙しいんだ。とっとと出て行け」
怒鳴るウィンスに対し、意味深な笑みを見せるセフィー。両者の視線が火花を散らし、静かに室内の風がうごめき始め、二人が同時に床を蹴った。
中央で二人が組み合う。力はセフィーの方が上なのか、ウィンスの体が僅かによろめく。
「クッ……」
「まだ力であんたには負けないわ」
「だったら、これならどうだ!」
足の裏に風を集め、同時にセフィーの体を押し返す。が、すぐに視界が一変し、床に背中を打ち付ける。
「あうっ……」
「力が全てじゃないわよ」
「っつ、お前が言うかよ」
「お前?」
セフィーの笑顔が僅かに引き攣り、ウィンスもその変化に気付いた。だが、既に時は遅く、セフィーの突きがウィンスの頬を掠め、地面へと突き刺さっていた。うごめいていた風が、一瞬にして消滅する。
頬が切れ血が流れ、ウィンスが恐怖で歪んだ笑みをセフィーに向けた。
「殺す気かよ」
「あら? 感じなかった? 私の殺気」
笑みのウラに隠れた禍々しい殺意を僅かながらに感じ取り、ウィンスは死の狭間を見た気がした。
床に減り込んだ拳をゆっくりと抜くと、小さな舌打ちをして、指の骨を鳴らす。今度こそ確実に殺されると、錯覚するウィンスは僅かながら目尻に涙を溜めていた。その顔を目を輝かせながら見下ろすセフィーは、拳を振り上げ息を静かに吐き出す。目が完全に殺意に満ちている。確実に殺られる、と目を閉じた瞬間、戸が開く音と同時にノーリンの声が聞こえた。
「何だ? 兄弟喧嘩か?」
「違いますよ。ノーリンさん」
声色が変わり、優しい笑顔を向けるセフィー。その隙を見逃さず、ウィンスはその場からすぐに立ち上がり間合いを取る。だが、セフィーは全くウィンスを見ておらず、笑顔でノーリンへと歩み寄っていく。
「今日は、どうなさったんですか?」
「いやなぁ……。ウィンスに話があってのぉ」
その言葉に微かにセフィーの表情が沈んだ。眉間にシワを寄せるウィンスは、首を傾げる。
「俺に話? 何の話だ? 恋沙汰はゴメンだぞ」
「お主に恋沙汰の話などするわけなかろう。話と言うのは牙狼丸についてじゃ」
「牙狼丸について? 何で、お前にそんな事――」
刹那、弾丸の如く拳が飛んだ。表情を引き攣らせるウィンスの目の前には、セフィーの姿があった。いつの間に間合いを詰められたのか分からないが、拳が顔の横を通過する瞬間に聞こえた風音からして、本気だと言う事は分かった。
不思議そうな表情のノーリンは、ウィンスとセフィーの二人を見据え、楽しげに微笑む。ウィンスもセフィーも大分元気になった様だ。特にセフィーは明るくなった。ウィンスがいる事でそうなっているのだろう。そんな光景が、微笑ましく見えた。
だが、いつまでもその光景を見ている訳にも行かず、渋々と言葉を掛ける。
「悪いんじゃが、少しの間ウィンスと二人にしてくれんか?」
「こいつとですか? ……分かりました。ノーリンさんが言うなら……」
「へへーン。とっとと出てけ!」
「くっ……この!」
セフィーの拳が完璧にウィンスの腹を抉った。声を出す事も出来ずその場で悶えていると、セフィーがノーリンにお辞儀をして部屋を出て行くのが見えた。何を言ったのかは聞き取れなかったが、良い事じゃないのは確かだ。
部屋に静寂が戻り、暫くしてウィンスが立ち上がった。腹部に残る激痛に膝が震える。あの怪力の拳を受けたのだ、それだけで済んだのが奇跡的だ。
「ウウッ……。それで、話って何だ」
「牙狼丸の事だが、アレは抜くな」
「う、うるせぇ! お前にとやかく言われたくねぇ!」
「まぁ、そう言うな。ワシとて、お前が憎くてそう言っているわけじゃない。アレは、危険な代物じゃ。お主が本当に守りたいと想う人が出来た時だけ抜け」
「何でだよ」
じと目でノーリンを見据え、不満そうに腕を組む。渋い表情のノーリンは右手で頬を掻きながら静かに口を開く。
「お前にはまだ覚悟が足りない。誰かの為に命を掛けると言う覚悟が」
「……? 何で、人の為に命を掛けるんだ?」
「ハァ……。まぁ、それが分からん様じゃ、また牙狼丸に呑まれるだけじゃ。抜くだけ無駄じゃ」
「うるせぇな。だから、精神統一してんだろ?」
「ウム……。精神統一なぁ……」
馬鹿にした口調に、ウィンスが青筋を浮かべ、右拳を硬く握り締めると力一杯に振り抜く。が、ノーリンはそれを軽く受け止め、呆れた様に首を振り言う。
「じゃから、まだまだ子供じゃと言われるんじゃ」
「誰もそんな事言ってネェよ!」
「いや、内心思っとるはず――」
「ハズってなんだ!」
蹴りを入れようと右足を上げると同時に、ノーリンの右足がウィンスの左足を叩いた。瞬間、ウィンスの体は床へと倒れた。
「止めんか。お主じゃ勝てんよ」
「ば、馬鹿にすんな!」
すぐに立ち上がったウィンスはノーリンの顔を鋭い目付きで睨んだ。相変わらずの糸目の為、何を考えているか分からないが、ノーリンは小さくため息を吐き、頬に刻まれた三ツ星の刺青をボリボリと掻いた。
呆れていると言うより、困り果てている様だ。睨みを利かせるウィンスは、右腕に風を集める。その刹那、ノーリンが素早く回し蹴りを放った。一瞬にしてウィンスの体が吹き飛ぶ。防御をすると言う行動すら与えない速さの蹴りに、ウィンスは壁に腰を打ちつけ悶絶する。
「はううっ……。てめぇ……」
「すまぬ。思わず加減するのを忘れてしまった」
「ウグッ……動けネェ……」
あまりの痛みに動く事が出来ない。セフィーとは比べ物にならない力だ。
蹲るウィンスに歩み寄るノーリンは暫し心配そうな目を向け、恐る恐る声を掛ける。
「大丈夫かのぅ?」
「ウグッ……俺は、強くなれるか?」
「どうじゃろうな。後半日で強くなどなれんだろ?」
「じゃあ、俺は――」
「まぁ、強さとは人それぞれだ。ワシの言う強さと、お主の思う強さはまるっきし違うものかもしれん。そう深く考えるな」
ノーリンの言葉に首を傾げる。言っている意味が良く分からなかった。強さが違う? 何を言っているんだ? と、訝しげな表情を見せるウィンスに、渋い表情を見せるノーリン。言っている事が分かっていないのだと、すぐにわかった。
深く息を吐くノーリンは、渋々と言った様に右手を差し出す。
「まぁ、やるだけやれ。お前はお前の思う強さを極めろ」
「何言ってるか分かんねぇ」
「そう言うな。時期に分かる時が来る」
笑みを向けると、不貞腐れた様に頬を膨らした。