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第81回 右腕

 深夜。

 飛行艇に備え付けられたトレーニングルームに人影があった。幼さの残る顔に茶色の髪を揺らし、額から溢れる汗が頬を伝い顎から落ちる。呼吸は荒くただひたすら拳を振るっていた。

 立てかけていた幾枚の鉄板には幾つもの拳の痕が残され、無残な姿で床に転がっている。包帯を巻かれた右拳には僅かに血が滲み、腕に力が入らないのか右肩が項垂れていた。


「ハァ……ハァ……。も…ングッ、もう一度だ……」

「少し休んだらどうだ?」


 幼く穏やかな声色に対し、少々冷たい声色が聞こえた。振り返ると、そこにティルが居た。相変わらずの切れ長で鋭い眼に、腰に揺れる白に赤い模様の入った天翔姫。流石にコートは着ておらず、薄着のティルは天翔姫のボタンを押し棍へと変える。白に赤い亀裂模様の入った棍の両端には龍と虎の顔が彫刻されており、それが金色に輝いていた。


「お互い相手がいる方が修行になるだろ?」

「悪いけど、オイラは一人でやりたいんだ」


 ティルにそう述べ、鉄板の方へと体を向ける。その刹那、風を切る音に合わせ棍が振り抜かれた。だが、それをフォンは軽く受け止める。


「何すんだ」

「…………」


 無言でティルは棍を振るった。それをあしらい距離を取るフォンは、拳を握るとティルの顔を睨んだ。張り詰めた空気が室内を包み、ティルとフォンの二人が間合いを計る様にゆっくりと横に動く。一定の距離を保ち、互いにけん制しあう二人は、遂に動きを止める。

 静寂に包まれ二人が静けさを裂く様に駆け出した。閃光が走り棍がしなり襲い掛かるが、拳でそれを弾き蹴りを見舞う。体を捻りそれをかわすティルは、体勢の崩れたフォンに向って鋭い棍を突き出す。体勢が崩れながらもそれを左腕で払い、フォンは距離をとる様にその場から飛び退いた。

 呼吸を整えるフォンに対し、落ち着いた一定の呼吸法を保つティル。対峙する二人の睨み合い。黄色の瞳が血に飢えた獣の様に変化し、薄らと口元に牙が二本煌いていた。獣化なのだろうか、と不審に思うティルは棍を握る手を強めた。


「フゥゥゥゥッ……フゥゥゥゥッ……」


 押し殺した呼吸法に、ティルは更に距離を取り棍を構えた。一瞬でも油断すれば首元を掻っ切られそうな程の殺気が眼に宿っていた。


「こりゃ、俺も本気でやんなきゃな」


 額から冷や汗が流れ、引き攣った笑いを見せる。

 息を吐くフォンが、身を屈めた。来る、と思った瞬間には、残像だけが残されその場から姿が消え、刹那に衝撃がティルを襲う。


「うぐっ!」


 右の膝蹴りを間一髪で棍で押さえたが、体が僅かに後方に仰け反る。棍で押さえたと言え、衝撃だけは防ぎきれなかったのだろう。腕が痺れ肩まで痛みが走る。

 体勢を何とか保つティルに、続け様にフォンの踵が振り下ろされた。


「チッ!」


 小さな舌打ちをすると、棍を上げフォンの踵を受け止める。両腕に圧し掛かる衝撃がティルの体を押し潰そうとする。奥歯を噛み締め堪え、フォンをなぎ払う。空中で数回回転して着地するフォンは、獣の様に手を床に着きティルを真っ直ぐに睨み付けていた。

 呼吸を整えるティルは、流石に焦りを感じていた。半獣化状態のフォンを相手に、無傷で済むはずは無い。それ所か、本気で殺されるんじゃないかと、思うほどだった。

 冷や汗が流れ、この先どうするかと考えるティルは不意にある事に気付く。包帯を巻かれた右腕が、明らかにオカシイ。通常の二倍程に膨れ上がり、異様な動きをしている。


「お前、その腕……」

「ウグッ……かはっ……」


 突如苦しみだすフォンは右拳を鉄板に向って突き出す。自分の拳を砕かんばかりの勢いに、鉄板が衝撃を受け鈍い音を起てた。包帯の合間から血が吹き出、鉄板に血の色を残している。拳形に窪んだ鉄板は真っ二つに折れ床に落ちた。

 濁った鉄音が室内に広がり、静けさが漂う。右肩を落とし深い呼吸を繰り返すフォンは、顔を僅かにティルの方に向けた。


「分かったろ……。今、オイラに近付くな……」

「どういう事だ? それに、その腕……」


 フォンの右腕。それは、もう人の腕ではなかった。獣――いや、獣と言うには大き過ぎ、怪物と言う方が正しい右腕だった。真っ赤な鋭い爪が、一滴の雫を零す。鮮やかな真っ赤な血の雫を。


「もういいだろ? 早くここから出て行ってくれ……」

「だが、その腕は……獣化じゃ――」

「頼むから出てってくれ! オイラは……誰も殺したくないんだ」


 俯くフォンの眼に僅かに涙が浮かんだ。天翔姫をボックスに戻したティルは、背を向け歩き出す。フォンの想いを悟ったのだ。歩き出したティルの背後から、苦しそうにフォンが口を開く。


「頼みが……ある」

「何だ?」


 振り返ること無くティルは尋ねる。その声に、フォンの唇が僅かに動き、ティルもその言葉に頷いた。


「わかった」


 静かにそう呟きティルは下唇を噛み締め足を進めた。二人の距離が遠ざかる。ティルが出て行くのを見届けたフォンは、変わり果てた右手でもう一度鉄板を殴りつけた。拳が裂ける様な音が響き、血飛沫が闇に舞った。

 部屋の前に無言で立ち尽くすティル。中から聞こえる呻き声と鉄板を殴る音に、静かに天井を見上げた。


「あんな頼みを聞いてよかったのか?」


 突然、そんな言葉が廊下の奥から聞こえた。低く渋い声に、天井を見上げたままのティルは、ボソッと呟く。


「お前、知ってたのか?」

「ああ。アイツが初めてここに来た時にな。それで、俺がここに案内したんだ」

「それじゃあ、あの時から……」

「随分前かららしいぞ」

「何!」


 驚きの声を上げるティルに、穏やかな視線が向けられた。闇に浮かぶ灰色の短髪の髪と、黒い瞳を真っ直ぐに見据える。二人の視線が交わる。ブラストと言う男の凄さが、ヒシヒシと伝わった。そして、何も気付かなかった己の未熟さに、拳を固く握り締めた。


「自分を責めるな。誰だって気付くわけ無いんだ。俺だってあんな事が無ければ気づかなかったさ」

「あんな事?」

「襲われたんだよ。あの右腕に」


 ブラストはそう言い上着を脱ぎ背中を見せる。右肩から左脇腹にかけて深々と爪痕が残されていた。あのブラストが不意を突かれたと言え、ここまで酷い手傷を負うなどと、ティルは想っても見なかった。それ程まで、アイツの右腕は危険な存在なのだ。

 上着を着直すブラストは、真剣な眼差しでティルを見据える。沈黙するティルに、ブラストは言い放つ。


「ちゃんと、奴の頼みを聞いてやれよ。まぁ、死なない程度にな」

「ちょ、チョット待て! お前――」

「んじゃ、俺は寝る」


 背を向け歩き出す。右手を軽く振りながら。そんなブラストの背中を見据え、ティルは静かに息を吐いた。そして、ゆっくりとその場を去った。

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