第77回 ワノールの想い カインの決断
足音が二つ。
燃える森の中で聞こえた。合わせて、澄んだ金属音が響き、青白い火花が美しく散る。
淀んだ蒼の刃と輝く漆黒の刃。何度も交差しぶつかり合う刃同士が共鳴する様に刀身を震わす。
「少し腕が鈍ったか?」
漆黒の上着の脱ぎ捨てたワノールが、ゆっくりと視線をカインに向ける。呼吸が僅かながら乱れていた。流石にカインの動きを片目で追い続ければ、息も上がってしまう程体力を消耗してしまう。その為、持久戦に持ち込まれればワノールに勝ち目はない。
額から溢れる汗を拭う事すらせず、ただ目の前のカインを見据える。カインの体が右へ傾き、ワノールの左目もそれを追う様に左へ流れた。
その瞬間、ワノールは気付く。この動きがフェイントで、既に次の動き出しの予備動作をカインが終えている事も。
「チッ!」
右手に持った烏を瞬時に逆手に持ち替えたその刹那、カインが視界から消え、耳元で鈍い金属音が広がる。振り抜かれた青空天を、逆手に持った烏で受け止めるが、既にカインの二発目がワノールを襲っていた。
「ぐふっ!」
強烈な膝蹴りがワノールの腹部を捕捉し、体ごと宙に蹴り上げる様に一気に振り抜かれた。両足が地から離れる感触と同時に、口から鮮血を噴出す。背中を激しく地面に打ち付けても勢いは止まらず、そのままニ・三度地面を転げた。
ワノールは仰向けに倒れ、口元に残る真っ赤な液を左手の甲で拭う。左手の甲と口元で擦れた赤い液は、薄らと線を残す様に頬の方まで広がった。
「いつまで手を抜くつもりだ? 俺はあんたの本気を知っている」
静かな足音と内に秘めた殺気をワノールは感じ取り、ゆっくりと上半身を起こす。膝蹴りをまともに受けた為、まだ腹部に痛みは残っており、体は重かった。
それでも、何食わぬ顔で、堂々とした表情で立ち上がり、カインの目を真っ直ぐに見据える。
「クッ!」
苛立ちがカインを襲う。ワノールの堂々とした表情に、胸がザワメキ何かが込み上げてくる。感じるはずの無い恐怖を感じ、自分と言う存在が薄れていくのが分かった。
そして、悟る。砕かれた存在――もう一人の自分とは正反対のカインが――闇の中でそれがあがない僅かな光りを放つ。それは、本当に小さな消えてしまいそうな灯火だったが、とても温かく自分と言う存在を包み込む。
心に生まれたちっぽけな存在に、カインは戸惑い動きが止まる。青空天がゆっくりと下ろされ、地面に切っ先を向け宙ぶらりになった。
様子がオカシイ事は、ワノールもすぐに気付いた。だが、迂闊に手を出す事が出来ず、その様子を窺う事しか出来なかった。
「うぐああああっ! この体は俺の物だ! 俺は消えん! 俺にはなすべき事がある! 誰にも俺の邪魔はさせん!」
カインが吼え、青空天を高らかと振り上げる。それだけで熱風が吹き、ワノールの体を襲う。
「うっ……」
右手で顔を庇いながらその場に踏み止まるが、足場が圧力に耐え切れず砕け、ワノールは吹き飛んだ。体が空中で一回転し、大木に腰から激しく激突する。
「ぐあっ!」
短音の声を上げワノールの体が地面に転がった。
「ハァ…ハァ……」
荒々しい呼吸で、ワノールを見据えるカインの表情は、焦りから僅かに強張っていた。
振り上げた青空天は炎を纏い、空へ昇って行ってしまいそうな程高らかと舞い上がる火の粉が、蒼い空へと消えていく。
うつ伏せに横たえるワノールは、乾いた咳をニ・三すると、弱々しく顔を上げた。右の口角が切れ、大袈裟に唇の先から血が滴れ、それが地面を赤く染めた。
「うああああああっ!」
咆哮が轟き、大気が震え、地面が砕け上がる。宙を舞う破片は音も無く粉と化し空へと消えた。
禍々しい炎がカインの体を包み、紅蓮の髪が逆立つ。全ての炎が青空天へと集まる。森を焼き払う炎すらも吸収し、青空天が高熱を帯び鮮やかな赤い光りを放つ。炎が消失し黒煙が上がり、焦げ臭さが周囲を包んだ。
体を起したワノールは、烏を構えると、ゆっくりと静かに息を吐く。体の痛みが引いて行く、そんな感覚を覚え、不思議と体が軽くなった。単なる錯覚なのだが、今のワノールにはその痛みを忘れる程の想いがあり、全神経を研ぎ澄まし、カインの全てを見据える。振り上げた青空天から足のつま先までの僅かな動きすらもその眼で確実に確認する。
「カイン。この一撃で全てを終わらせる。お前の悪夢も、お前を縛る鎖も、全て断ち切る」
「うおおおおおっ!」
「斬撃一閃! 飛翔・黒烏!」
右足を踏み込むと同時に、黒刀が素早く右方向へと地面と平行線を描きながらスライドされた。斬撃が飛ぶ。翼を広げた鳥の様に、宙を滑走し、カインへと向う。
だが、その斬撃にカインも振り上げた刃を振り下ろす。斬撃と刃が触れた瞬間、青空天の刃に亀裂が走り、紅蓮の炎が一挙に弾けた。
爆音が周囲を呑み込み、深紅の火炎が衝撃と高熱を波紋状に外へと広げた。黒焦げた木々が衝撃を受け砕け、高熱を浴びて消滅する。
烏を地面に突き刺し衝撃に耐えるワノールは、その眼で衝撃の中心に居るカインを見据えるが、炎がそれを遮った。
「クッ……カイン!」
呻くような声は、衝撃音で掻き消され、その姿も炎の中へと呑みこまれた。
吸う息が熱く、喉が焼ける様な刺激を受ける。意識を何とか保っていたワノールも、遂に崩れ落ちる様に地面へと倒れこんだ。
『ワノールさん……』
微かに聞こえた声。
(誰だ?)
『僕は――』
聞き覚えのある懐かしい声。
(この声……)
『自ら――』
金髪の髪に幼い笑顔が浮かぶ。いつも自分の横を歩いてきた幼い少年。自分とは正反対の優しく笑顔の絶えない少年。記憶の中で走馬灯の様に思い出が繰り返し流れていき、あの笑顔を最後にプツンと全てが途切れた。
『――ありがとうございました』
(カイン!)
声と同時に視野が広がる。意識が戻り、瞬時に炎の中心に居るカインの姿を捉えたが、火力が強く詳しい状況は見えない。だが、次の瞬間、火力が急激に弱まり、弾ける様に全ての炎が消滅した。
「…………」
無言で立ち尽くす影。それは、紛れも無いカインの姿だった。乱れた金髪の髪が、美しく風に揺れる。終わったのだ。あの悪夢が――。
「カイン!」
立ち上がるが、体が思うように動かずバランスを崩して地面を転げた。体中に激痛が駆け巡り、足が鉛の様に重く感じ、すでに立つ事も出来なくなっていた。相当、足に来ていたのだろう。ここまで動けたのが奇跡の様なモノだ。
動くのが無理だと判断したワノールは、顔だけを上げてカインの方に眼を向ける。
右手が腹部の前で拳を作り、親指側を腹に押し当てていた。無傷で立ち尽くすカインがフラフラとよろめき、口の端からツーッと血を流す。一滴の血が零れ落ちた。だが、それは口から流れた血ではなく、右手の中から零れた血液だった。
突然の事に驚くワノールだが、立ち上がる事も出来ず、ただひたすら叫んだ。
「カイン! ど、どうした!」
「…………」
返答は無くカインの体がゆっくりと膝から崩れた。そこで初めてワノールは真実に気付き、腹に押し当てていた右拳の意味を知った。




