第75回 それぞれの想い
火の粉が舞い、森を炎が覆いつくす。
外へと広がりつつある炎は、更に火力を増していく。
その炎に包まれた森の中に、ワノールとウールの姿もあった。
ワノールは燃え上がる木々を黒刀・烏で切り倒し、火の手がウールの方まで届かぬ様に最善を尽くす。
「クッ! 一体どうなっているんだ……」
「あなた。もうここはいいから」
「ダメだ! これでは、お前が――」
ワノールの言葉が遮られる。ウールの唇によって。
突然の事に困惑するワノールは、動く事が出来なかった。
唇が離れ、ウールがニコッと笑みを浮かべる。そこでワノールはようやく自我を取り戻す。
「な、何をしてるんだ! お前は」
顔を真っ赤にし怒鳴るワノールに対し、ウールはいつもの様に答える。
「少しは落ち着きましたか?」
「ば、馬鹿を言うな!」
「ダメですか?」
「ダメじゃないが……。場所と状況を考えろ」
平然とした態度を保つワノールだが、心臓はバクバクと脈を打っていた。そんなワノールの気持ちを知ってか知らずか、笑みを浮かべるウールは優しい口調で聞く。
「こうでもしなきゃ、私の言い分は聞いてもらえないでしょ?」
「当たり前だ!」
当然だと言う様に怒鳴るワノールに対し、小さなため息を漏らすウールも、当然だと言わんばかりに答える。
「当たり前だじゃないですよ。少しは私の言い分も聞いてください! それとも、私の話は聞けませんか?」
「そ、そんな事は無い! ただ、今の状況を――」
「今の状況じゃなきゃダメなんです。大体、貴方はいつもそう」
クドクドとウールが日頃の不満をぶちまける。流石のワノールもそれには言い返す言葉も無かった。それは、ウールを十数年も一人にしていた事から生まれた不満だった。
はいはい、と小さく頷くワノールは、完全に尻に敷かれて居る様だった。
そんなワノールを助けるかのように、上空から声が聞こえる。
「うおおおおい! 何をしとるんじゃ! そんな所で」
ノーリンの声だ。その声の方へと顔を向けるワノールは、先程までとは打って変わって力強い口調で返答する。
「それより、この炎はどういう事だ?」
「カインじゃ」
「な! か、カインだと!」
「それじゃあ、本当に……」
ウールが悲しそうな目をする。ウールはカインの事を息子の様に思っていた。あの日、ワノールがカインを連れてきた時から。
だから、カインがあんな風になってしまった事を、ワノールの口から聞かされた時、信じる事が出来なかった。
胸の前で手を組むウールに目をやるワノールは、ノーリンの方に目を向け静かに言う。
「悪い。ウールを頼む」
「うむ……。分かった」
「すまんな」
「気にするな。それより、どうするつもりじゃ?」
深刻そうなワノールは、その問いに静かに背を向ける。
瞬時にその行動の意味を悟るノーリンは、小さく頷く。
「そうか。ワシもすぐに後を追う。無理はするな」
「分かっている。ウールを頼むぞ」
「あなた!」
潤んだ瞳を向けるウールは、ワノールを後ろから抱き締め呟く。
「気をつけてください。それから――」
「大丈夫だ。俺に任せろ」
ワノールの手がウールの手に触れる。
「あいつは、必ず取り返す」
「あなた……」
「熱いのは周りだけにしちゃくれねぇか?」
呆れた口調でノーリンが言う。
その言葉に二人は赤面し背を向け合った。
半笑いを浮かべるノーリンは、小さく息を吐き頭を左右に振る。
「もういいのかのぅ?」
「あ、ああ。も、もういい」
「そ、それでは、よろしくお願いします」
テレを隠す様に早口の二人をノーリンはじと目で見た。今更テレを隠してどうすると、言いたげな眼差しのノーリンは、短く息を吐きウールを抱える。
ワノールとノーリンの視線が一瞬だけ交わるが、すぐに背を向け合った。
一方は火の海に向って。
一方は空へ向って。
言葉を交わす事無く走り出した。
宙を舞うノーリン。その背後には炎上する森。灼熱地獄。熱風が吹き、火の子が弾ける。その音にセフィーが意識を取り戻した。
「うっ……こ、ここは?」
まだボンヤリとしているのか、セフィーの眼は虚ろだ。しかし、状況を把握したのか、鋭い眼差しをノーリンの方に向け叫ぶ。
「は、放して! この手を放せ!」
「な、なんじゃ! 暴れるでない!」
「セフィーさん! 落ち着いてください!」
「うるさい! 放せ! 私は……私は――……」
暴れていたセフィーが大人しくなり、声を殺し涙を流す。
自分の無力さを改めて知った。自分ではウィンスを救うことは出来ない。それ所か自分の身すら守る事が出来ない。
どうしていいか分からず、涙だけが流れた。
その思いがノーリンにも痛いほど伝わる。ノーリン自身も自分の無力さをよく知っていたからだ。それでも、今の自分に出来る事をやり遂げようと足を速める。
そして、森を抜けノーリンは小高い丘へと二人を下ろした。
「ここなら安心じゃろ。ワシはちぃと戻る。やらねばならん事があるんでな」
「ありがとうございます」
「なーに。礼には及ばん。ワノールとの約束じゃ」
「あの人をよろしくお願いします」
「わかっちょる。心配せんでまっちょれ」
「はい……」
小さく頷く。
ノーリンは恐持ての顔で微笑み、ゆっくりと背を向ける。
その大きな背を向けたままのノーリンの野太い声が、僅かにセフィーの耳に届いた。
「まっちょれ。あやつの目を覚まさせてやるからのぅ」
その言葉に、セフィーは更に涙を流す。
「ありがとう……ございます」
「泣くな。女子は笑って待ってるだけでいいんじゃ」
ノーリンはそれだけ告げ空へと翔ける。そして、燃え盛る森の中へと消えていった。
静まり返ったその場に、火の粉の弾ける音だけが聞こえた。
ある者は願う。
(あなた……あの子を――)
ある者は決意する。
「この命に代えても取り戻す」
ある者は無力さに涙を流し、祈りを捧げる。
(お願い……ウィンスを――)
そして、ある者は――
「怒り、悲しみ、苦しみ。全てを解き放つ。我の拳で」
目覚める。己の力に。
そして、誓う。己の拳に。