第74回 風と炎
「な、何じゃこれは……」
辺りに黒煙が立ち込め、森の一部がさら地となっていた。
燃えカスや木々の残骸が散乱し、ここで何があったのか全く検討が付かない。
驚くノーリンは、辺りを見回す。何があったのか、手がかりになりそうなモノを探したのだ。だが、セフィーはそんなノーリンの横を通り過ぎ、さら地の真ん中で叫ぶ。
「ウィンス! 居るんでしょ! 出てきなさい!」
力強いセフィーの言葉に、返答は無い。
ノーリンも近くに人の気配を感じず、糸目を凝らし辺りを見渡す。やはり誰かいる気配は無い。糸目を堅く閉じ、周囲に耳を澄ませる。
静かな風の音。
木々のザワメキ。
この中に、動物の声や虫の声などは聞こえない。
「おかしいのぅ」
ボソッと呟く。これほどの事があったのなら、どこかで動物達の逃げる足音が聞こえてもいいはずだった。だが、それが一切無く、異様な空気が漂っている。
その時、ノーリンはウィンスを呼ぶ声が聞こえない事に気付き、セフィーの方へと顔を向けた。そこに、ウィンスがいた。ボロボロの民族衣装の所々には血が染み、目は血走っている。一瞬、ウィンスだと気付かない程だった。
「ウィンス……」
セフィーが呟きウィンスに歩み寄る。しかし、ウィンスの目はセフィーを見ておらず、牙狼丸を握り締めると、無言で走り出す。セフィーの横を通り過ぎ、ウィンスは直進する。
ノーリンは瞬時に気付く。ウィンスが誰かと戦っているのだと。しかし、その相手が見えず、何処にいるのかをさぐる。
「待って! ウィンス」
セフィーはウィンスを追う。だが、ウィンスは徐々に加速し、セフィーを引き離していく。そして、暴風が吹き荒れセフィーの体を弾き飛ばす。
「うぐっ……」
地を転げセフィーは木の根に頭をぶつけた。頭部からヌルッと血が流れ、セフィーの意識は遠退く。その視界の中には、確りとウィンスの後ろ姿が映っていた。
血を流し倒れるセフィーのもとにノーリンは駆け寄る。血は出ているものの呼吸は安定していた。安堵の表情を見せるノーリンは、ゆっくりとウィンスの走って行った方へ目を向ける。
「あやつ。正気を失っておるな」
静かに呟いたノーリンは、妙な音を耳にする。何かを燃やす様な激しい音。木々が怯える様にザワメキ立つ。
「なんじゃ? この音は……」
音が聞こえてくるのは、ウィンスが走っていった方角。何か嫌な予感が脳裏を掠め、ノーリンは咄嗟にセフィーを抱え空へと舞う。
直後、巨大な炎の塊が森を焼き払うかの様にノーリンの下を通過した。その間ものの数秒。一歩間違えば、ノーリン達まで黒焦げになるところだった。
燃え上がる木々は、悲鳴を上げるかの様に倒れていき、次々と他の木々を巻き込み炎は大きくなっていく。だが、こればかりはどうする事も出来ない。火を消そうにも、規模が大きすぎる。空から燃え盛る木々を見据え、ノーリンは感傷する。
そんなノーリンの視界に、二つの影が見えた。一つはウィンス。そして、もう一つは――。
「フハハハハッ。燃えろ! 燃え上がれ!」
燃える様な深紅の髪を揺らし、甲高い笑いを響かせる少年。間違いなく、その姿はカインだった。すでにあの頃の面影など無い。
そんなカインと対峙するのは、ウィンスだった。呼吸が荒いウィンスは、牙狼丸を地から抜くと、ゆっくりとカインに目を向ける。
「ハァ…ハァ……」
「チッ……。まだ、動けるのか。しぶとい奴だ」
「俺の……邪魔を……するな!」
怒りに任せ牙狼丸を振り下ろす。風が渦を巻いたかと思うと、鋭い刃と化し地面を裂きながらカインに向う。
「学習能力の無い奴だ」
右手を前に突き出すと、その風の刃を受け止めた。刃はカインの手を切りつけ、血飛沫が舞う。だが、次の瞬間血飛沫が発火し、風の刃を焼き尽くした。風の刃が消滅し、カインの手の平に炎だけが球体状に螺旋を描く。
「うおおおおっ!」
叫び声を上げ、ウィンスはカインに向って行く。下段に構えられた牙狼丸の切っ先が、地面を切り、更に風を纏う。
「叫べば強くなれるとでも、思っているのか?」
冷静な口調でそう述べたカインは、腰の青空天を抜くと軽く一振りする。淀んだ蒼の刃が牙狼丸を弾くと同時に、青空天を掴むカインの右手から血がニ・三滴飛ぶ。それが空中で発火し、ウィンスを襲う。
「クッ!」
地を蹴り後方に飛び退いたウィンスは体勢を整え、牙狼丸を振り上げる。切っ先が地を削り、風と共に砂埃が舞い上がった。その砂塵が一瞬だけカインの視野を覆う。
「チッ! なめたマネを!」
「風は全てを裂く!」
砂塵が二つに裂け、風の刃がカインを襲う。
「ぐぅ!」
咄嗟に青空天で風の刃を防いだカインだが、その体は弾き飛ぶ。空中で体勢を整えたカインは、青空天を持ち替え右手から流れる血を淀んだ蒼い刃に滴らせた。一滴目で蒼い刃が赤く変わり、二滴目で高熱を帯びる。白煙が上がり刃を覆う。微かに聞こえる蒸気の上がる音に、呼吸の荒いウィンスは身構え牙狼丸に風を集めた。
二人の睨み合いが続く。辺りには風一つ吹かず、静けさに包み込まれる。両者の右足がジリッと地を踏み鳴らし、間合いを計る様にゆっくりと動きだす。
視線を外す事無く一点に集中するカインは、口元に不適な笑みを浮かべると同時に、間合いを一瞬で詰めた。
「クッ!」
刃が閃き、風が吹き荒れる。
牙狼丸が空を切り、カインの体が空中を華麗に舞った。
距離を取りカインがもう一度不適に笑う。
「一発目」
カインの小さな呟き。それは、ウィンスにも微かに聞こえていたが、その言葉の意味を理解できず、ゆっくりと牙狼丸を構え直す。
「次は……逃がさん」
「逃げる気など無い」
カインは笑みを浮かべたままそう述べると、腰を落とし低い姿勢で青空天を構える。
一方、ウィンスは牙狼丸を頭上に構え、右足を踏み込むと同時に勢い良く刃を振り下ろす。纏っていた風が一斉に放出され、地を抉り一直線にカインに向う。
「我が血は意のままに発火し、全てを焼き喰らう!」
低い姿勢のまま青空天で向って来る風を切り上げる。すると、青空天の刃が発火し、風を炎が呑み込んだ。風が炎上し、巨大な火柱が昇る。そして、火の粉が森に降り注いだ。
森が焼け、黒煙が昇る。木々の焼き焦げる臭いが周囲に漂い、森は一瞬にして火の海へと変わった。木々は音を立て崩れ落ちる。
「分かっただろ? お前の風じゃあ、俺の炎を吹き消す所か、更に火力を強めるだけだ」
「黙れ……。俺は……負けん」
「頭の悪い奴だ」
カインがそう言い首を振る。奥歯を噛み締めるウィンスは力一杯に地を蹴ると、一瞬でカインとの間合いを詰め牙狼丸を右へと振り抜く。
刃の動きを確りと目で捉えるカインは、切っ先を紙一重でかわしてみせると、もう一度距離を取る。
「芸の無い攻撃だな」
カインがそう呟くと、突如右頬から血が流れた。牙狼丸を取り巻く風が、カインの頬を掠めたのだ。
「フフフッ……フハハハハッ……。そっか、分かったよ。殺す――……。殺すよ。お前は、俺の手で」
怒りをあらわにするカインは、先ほどまでとは明らかに目付きが変わっており、右手に持った青空天を静かに構えた。