第73回 出来る事
闇に光が満ちる。
自分を呼ぶ声。温かくもあり、冷たくもあるその声に、ゆっくりと瞼を開く。
すると、声がハッキリと聞こえてきた。
「おい! 起きろミーファ!」
「ン……んんっ?」
まだ朦朧とする意識の中で、ティルの顔が視界に入る。心配している様な、呆れている様なそんな表情のティルに、微かに微笑んだ。呆れた様に目を細めるティルは、小さくため息を吐くと、静かに口を開く。
「あのな。何で、お前の方が魘されてんだ。ったく、眠れもしないだろ」
「ご、ごめん……」
「まぁいいさ。それより、何を見た」
急に真剣な顔付きになるティルは、すでに気付いていた様だ。ミーファが未来を見たと言う事を。
鋭い眼差しを向けるティルに対し、その場を流す様に笑みを見せたミーファは、少しだけ震えた声で答えた。
「ううん……。何も見て無い……。少しだけ、怖い夢を見ただけだから……」
「……そうか」
それ以上、ティルは何も聞かなかった。ミーファの辛さを知っているからだ。変えられぬ運命に、一人抗い続ける彼女の辛さを。
誰かに話してしまえば、きっと楽になるだろうし、未来だって変ってしまうかもしれない。だが、それにより新たな運命が生まれ、それがもっと残酷な結果を生むかも知れない。そう考えると、誰にも話す事が出来ず、自分の力でどうにかするしかないのだ。
全ては幼い頃の教訓だった。この力があったばっかりに、多くの民を犠牲にする事になった。その事を今も鮮明に覚えており、自分の力を呪った。こんな力さえなければと。
「ごめんね。寝てるの起こしちゃったみたいで」
「いや……。気にするな。悪かったな妙な事聞いて」
「ううん。大丈夫。ゴメン、私――」
ミーファはこれ以上話す事が出来ず、その場を逃げる様に後にした。そのミーファの目に涙が浮かんでいるのを、一瞬だけ見たティルは、小さな吐息を吐く。
「ったく……」
「大丈夫なのか?」
突如隣りのベッドから声がする。カーテンが敷居となり顔が見えないが、棘のある声にすぐにバルドだとわかった。その為、ティルは眉を顰め、鼻から息を吐く。それが聞こえたのか、バルドが小さく舌打ちをした。
「オイオイ……。舌打ちは無いだろ」
「黙れ……。これは癖だ」
「変な癖だな」
含み笑いをするティルに対し、渋い表情をするバルドは、刺々しい口調で言う。
「お前にとやかく言われたくない」
「ハッ……言ってくれるな」
「それより、アイツは大丈夫なのか?」
唐突に話を戻すバルドに、呆れつつもティルは静かに答える。
「分からん。ただ、俺に出来る事は彼女を信じる事だけだ」
「フッ……。案外、消極的な答えだな……」
「消極的……か。そうかも知れないな。まぁ、アイツとは見ている世界が違うんだ。仕方ないさ」
ため息混じりのティルは、首を左右に振った。
アルバー大陸の西。
静寂漂う森の中に、ワノール達がいた。真っ黒な衣服を身に纏うワノールは、後ろを歩くウールを気にしながらも足を進める。その更に後ろには巨体のノーリンと、独特の民族衣装に身を包んだセフィーが続く。長かった黒髪は、肩口まで短くなっており、乱暴に切ったのか毛先はバラバラに乱れていた。
ワノール達が、セフィーと一緒にいるのには訳があった。
遡る事三日程前になる。ノーリンが破壊した町の修復作業を行っていたワノール達のもとに、ボロボロのセフィーが辿り着いた。飲まず食わずだったのだろう、やつれてフラフラとしていた。
そんなセフィーをウールは気に掛けていたが、セフィーは休むより先に、ウィンスの事、里に起きた事をワノールに告げた。
初めワノールはどうでもいいと、断るはずだった。だが、話を聞いたウールに丸め込まれ、結局はセフィー事を助ける事になったと言う事だ。
その後、セフィーに案内され、この森まで辿り着いたが、ワノールは不安でしょうがなかった。
「本当にここで間違いないのか?」
足を止め振り返ったワノールの問い掛けに、セフィーが微かに頷く。何を根拠に頷いたのか分からず、ワノールは怪訝そうな目を向ける。そんなワノールの目に気付いたのか、セフィーは右手を開くと、手の平に風を集めた。球体を描く風が、僅かに乱れる。
「この近くにいる……」
「なぜ、そう断言できる?」
「ワシもそれは気になるのぅ。風牙族の能力か何かかのぅ」
「風の乱れがある……。きっとウィンスのせい」
静かな口調のセフィーは、風を握りつぶしワノールの目を真っ直ぐに見据える。訝しげな視線を向けていたワノールも、渋々前を向き足を進めた。その後に続く様にウール・セフィー・ノーリンと歩みを進める。
ふら付くセフィーを心配するウールは、何度も後ろを確認してから、ワノールの隣りにならんだ。
「あなた……少し休みませんか?」
「疲れたのか? ウール」
「いえ……。私ではなく……」
ウールは後ろを歩くセフィーの方に目を向ける。流石にワノールもウールの言いたい事が分かった。
「そうだな……。少し休むか……」
ワノールが足を止めるのとほぼ同時だった。爆音が轟き、暴風が吹き荒れたのは。
「な、なんじゃ! 一体」
「クッ! ウール」
「私は大丈夫です。でも、セフィーさんが」
ウールが指差す先に、セフィーが走り去っていくのが見えた。だが、すぐに立ち込める砂煙によって、その姿は見えなくなる。ワノールとノーリンの脳裏に何やら嫌な予感が過った。
「ノーリン!」
「わかっとる。ワシに任せておけ」
「俺も、後から行く」
ワノールの言葉を聞きノーリンは一度だけ頷き、空へと飛び上がった。その姿を見据えるワノールは、ウールの手を左手で握り締める。右手には黒刀・烏の柄を確りと握り、いざと言うときに備えていた。
風が静まり、砂埃だけが舞い上がる。目を凝らすワノールは、ウールが左手を握り返してくるのを確認して声を掛けた。
「ウール。平気か?」
「はい……。大丈夫です。それより、セフィーさんは無事でしょうか?」
心配そうな声で問いかける。この状況でも、自分よりも人の心配をするウールに、ワノールは少しだけ呆れた。と、同時にウールの胆のでかさをヒシヒシと感じた。
安心するワノールは、ウールの手を引きゆっくりと歩き出す。何があるか分からない為、辺りにはいつも以上に気を張っていた。
「何があったんでしょうか?」
「良く分からんが、セフィーの言う事が確かなら、ウィンスが原因だろう」
「ウィンスさんですか……」
「ああ。奴は稀に強大な力を発揮するからな」
呆れた様な笑いを見せるワノールは、深いため息を零した。何か面倒な事が起る気がしてならなかった。それに、何か胸騒ぎがする。胸騒ぎの原因は分からないが、戦わなければならない奴がいる気がした。