第70回 限界?
真っ赤な飛行艇を囲む無数の翼の生えた魔獣。
バルドの見た数よりも、何十倍もの数の魔獣に囲まれ、苦戦を強いられるティルとバルド。それに加え、足場は最悪、向かい風は強い。これでは、ティルもバルドも、思う様に戦う事が出来なかった。
鋭い爪を持った魔獣や、鋭い牙を持った魔獣。それぞれ、違う特徴を持つ魔獣達の波状攻撃に、ティルとバルドは遂に防戦一方となった。しかし、奥歯を食い縛り、激しい攻撃を凌ぐ二人に対し、余裕の窺えるブラストは小さな動きだけで、攻撃をかわしている。
そんなブラストの動きに、ティルは少なからず疑問を感じていた。何故、攻撃しないのかと。武器を持ってないわけでもないし、どこかを怪我しているわけでも無い。それが、不思議で戦いに集中する事が出来なかった。
(くっ! 一体何を企んでいる……)
頭の中で色々と考えるティルは、後方から迫る鋭い爪を持つ魔獣に気付いては居なかった。もちろん、他の魔獣達もそれを悟られまいと、何度も正面からティルに攻撃を仕掛けている。そして、ティルが正面からの二発目の攻撃を、天翔姫で受け止め右に体をそらした瞬間だった。
背後に迫っていた魔獣が、鋭い爪を背中へと突き立てる。茶色のコートを貫いた鋭い爪は、ティルの背中へと食い込み、すぐさま真下へと引き裂かれた。茶色のコートに鋭利な爪の痕が残り、鮮血が舞い上がる。
「ぐあっ!」
背中に走る激痛に、ティルは完全にバランスを崩した。右膝が赤い飛行艇の右翼に落ち、ティルの体は逆風に耐え切れず、翼を転げる。
「ぐっ!」
翼のギリギリで体勢を立て直したティルは、天翔姫を翼に突き刺し体を支えた。苦しそうな表情のティルの背中からは、大量の血が溢れている。そんなティルを、魔獣達は更に数を増やして追い込んでいく。
「チッ! ……足を引っ張りやがって」
バルドは素早く短い刃のナイフも取り出す。そして、右から飛んできた鋭い爪を受け止めると、長い刃のナイフを魔獣の胸に突き立てた。背中から突き出た鋭いナイフの切っ先から、点々と血が滴れる。
「邪魔だ」
ボソッと呟いたバルドは、突き立てたナイフを抜く。すると、魔獣の体は風に飛ばされ、海へと落下していった。左手に持った短い刃のナイフで、次々と魔獣の攻撃を防ぐバルドは、右手に持った長い刃のナイフの方で、魔獣の胸を貫いてゆく。
しかし、数が多くバルドはその場から移動する事も出来ずにいた。そんな状況に、苛立つバルドは、二本のナイフの柄を合わせ双牙へと変換する。短い刃が下を向き、長い刃が上を向く。腰を低くし、小さくゆっくり息を吐くバルドは、右腕を前方に真っ直ぐ伸ばし、双牙を寝かして構える。
「がうううっ!」
空を舞う魔獣の一体が、背後からバルドに爪を突き立てる。だが、バルドは瞬時に半回転すると、短い刃で魔獣の爪を弾き、親指で長い刃を押して前に突き出すと、魔獣の首を刎ねた。頭を失った魔獣の体は、血飛沫を舞い上がらせ風で吹き飛んだ。
返り血を浴び、バルドの顔に幾つか血痕が付着した。鋭い目の奥の茶色の瞳が、殺気を放ち周りを囲む魔獣をけん制する。凄まじい威圧感に、圧倒される魔獣達の動きが止まった。それを、狙っていたバルドは、瞬時に右手に左手を近づけると、矢を構える様に、ゆっくりと左手を引く。
「……消えろ」
誰にも聞こえぬ小さな声で呟いたバルドが左手を放す。すると、双牙から風の矢が何発も放たれ、空に舞う魔獣の額を的確に射止めていく。もちろん、額を射抜かれた魔獣は、大量の血を撒き散らし、海へと沈んでいった。
その後も、バルドは風の矢で数体の魔獣を同時に海へと沈めて行く。だが、この数ではバルドの体力が先に底を尽きそうだった。
「クッ……。数が多過ぎる……」
額から汗を流すバルドは、静かに呼吸を繰り返し、右手に持った双牙を魔獣達に向ける。魔獣に狙いを定め、左手を右手に添えてから、ゆっくりと引いた――その時。突如バルドの視界に、鋭い爪が三本右方向から現れた。突然の事で、一瞬動き出しが遅れが、地を蹴り後ろへと飛び退く。だが、振り抜かれた魔獣の真ん中の爪の先が、僅かにバルドの右脇腹を掠めた。
「うぐっ……」
後方に飛び退いたバルドは、地に着地すると、足がもつれ右膝を落とした。右脇腹から滲み出る血色。大した傷では無いはずだが、バルドの表情は厳しかった。
「大丈夫か? バルド」
のん気な口調でブラストが尋ねる。この状況で、のん気にしていられるブラストを、横目で睨むバルドは、奥歯を噛み締め言い返す。
「この程度。問題は無い」
もちろん、これは強がりだ。先程切られた脇腹から、血が結構流れていた。それに、少しだけ体が痺れ始めている。魔獣の爪に何らかの毒が仕込まれていたのだろう。
視界がボヤケ、次第に平衡感覚が失われ、今の状態を保つので精一杯だった。
「ハァ…ハァ……クッ……」
荒い息遣い。苦痛の色を隠せないバルドに、ブラストも聊か焦る。今の状態では、ティルもバルドも持ち堪える事が出来ないと、ブラストは判断し、遂に腰にぶら下げていた黒のボックスを手に取った。
天翔姫の試作品だったこのボックスを、手動で組み替えるブラストは、飛び交う魔獣の鋭い爪を相変わらず紙一重でかわす。澄んだ金属音を響かせるボックスは、ブラストの手によって漆黒の鋭い刃をあらわにする。
「あと五分程粘れると思ったが、限界らしいな」
ブラストがティルとバルドに対し、そんな言葉を投げかけ、向ってきた魔獣を切り捨てる。一瞬の出来事で、魔獣も自分の体に何が起こったのか、気付いていなかった。だが、すぐに白目を向くと、体が真っ赤な飛沫を上げ、真っ二つに裂かれ海へと消えていった。
その場を動かず、向って来る魔獣の攻撃を紙一重でかわし、こちらは致命的な一撃を一瞬にして与える。そんなブラストの動きに、ティルもバルドも言葉を失う。これが、ブラストの実力。そして、ティルとバルドの二人との格の違いだった。だが、それが逆に二人の闘志に火をつける事となる。
「チッ……」
「ふざけんな……」
バルドの舌打ちとティルの言葉が重なり、二人はゆっくりと立ち上がった。完全にブラストの先程の言葉と今の動きが、二人を奮い立たせたのだ。天翔姫を構えなおすティルは、背中の痛みなど忘れてしまったのか、軽く天翔姫を回しながら魔獣を見回す。バルドの方も、左手で右脇腹を押さえながら、双牙を構え静かに息を吐く。微かに痛みがあるが、この程度なら十分戦えると、バルドは判断した。
「何だ? 二人とも、無理する事は無いぞ」
「大丈夫だ。この位なら」
「消し去る」
ティルとバルドは鋭い眼差しを魔獣に向けながらブラストに返事を返す。
「ガウウウッ!」
不気味な鳴声を発し、魔獣がティルに襲い掛かる。その瞬間、ティルは天翔姫をボックスに戻し、素早く武器を変換した。ティルの手に握られるグリップ。そして、長めの銃身が現れ、大きめの銃口が向って来る魔獣の眉間に向けられる。手の甲を上にし、銃を構えるティルは、静かに息を吐き、右腕を振り上げる魔獣を睨む。
「悪いが、手段は選んでいられないんでな」
言い終えると同時に引き金を引く。衝撃と共に銃声が響き、正面に居た魔獣の頭が吹き飛び、体が翼の上を転げ海へと落下する。白に赤の亀裂の走るその銃を横に構え、ティルは周りの魔獣をけん制した。