第66回 白龍香の記憶
グラスター城の屋上。
咲き乱れる真っ白な花、白龍香の中心に立つフレイスト。風がオレンジブラウンの髪を美しく揺らす。
もうすぐ冬だと言うのに、花弁を枯らす事無く咲き誇る白龍香。時折吹く強風に幾枚の花弁を舞い上がらせ、雪の様に美しく静かに町へと降りそそぐ。
この時期になると、毎年この様な現象が起き、レイストビルに暮す人々はこれを、『冬の始まり』と呼んでいる。当然、その言葉通り、この白い花弁が止んだ時、レイストビルに冬が訪れるのだ。だが、白龍香の花弁は全て散らず、冬の間も綺麗に花を咲かせている。年中花を咲かせる白龍香は、まるでこの国を見守っている様にも見えた。
空に舞う白い花弁に目を奪われるフレイストは、ふと自分が涙を流している事に気付いた。無意識の内に流した涙を、右手で拭うフレイストは父カーブンの事を思い出す。父もよく屋上に白龍香を観賞しに来ていた。父を思い出したのは、きっとそのせいだろう。
自分も少し父に似てきたと思い、薄らと笑みを浮かべた。そんなフレイストに聞き覚えのある穏やかな声が聞こえる。
「フレ……フレイス……フレイスト」
自分を呼ぶ声に不意に振り返ったフレイストは、目の前に居た人物に驚愕する。そこに居たのは、死んだはずの父カーブンだったのだ。
「カ、カーブン様!」
驚きの声を上げるフレイストの頭の中は混乱する。死んだはずのカーブンが何故、この様な場所にと――。戸惑うフレイストに、カーブンは暖かく優しい笑みを見せると、静かに口を開いた。
「驚かせてしまったようじゃな」
「な、何で――」
「まぁ、そう驚くでない。今から説明する」
落ち着いた様子のカーブンに対し、困惑気味のフレイストは眉間にシワを寄せ、怪訝そうな表情を見せる。
「そう怖い顔するでない。これは、白龍香が見せる記憶の様なモノじゃ。実際に、ワシは死んでおる」
「どういう……事ですか?」
相変わらず怪訝そうな表情を崩さないフレイストに、カーブンも少しだけ困った表情を見せた。
「頭の硬い奴じゃのぅ」
「カーブン様に言われたくありません」
「相変わらずじゃな。それより、実の父を、何故名前で呼ぶのじゃ?」
「あなたは、国王じゃないですか……」
「今は、ただの白龍香の記憶だ」
少しだけ寂しそうな顔をするカーブンだが、すぐに笑みを浮かべる。フレイストはいかんせん信じられないといわんばかりの目で、カーブンを見据え、ため息を吐く。そのため息を聞くなり、カーブンは複雑そうな表情をする。
「フレイスト……。まさか、兵士達の前ではため息を吐いてないだろうな?」
「私とて、今は一国の王です。兵士達の前でため息など吐きませんよ」
「なら、いいんじゃが……」
不安そうなカーブンに、フレイストは少しだけ笑みを零す。何と無く嬉しかった。久し振りに父の顔が見れて。少し浮かれ気味のフレイストに、カーブンも少しだけ嬉しそうな表情を窺わせた。
「それで、何故カーブン様が?」
「おおっ……。そうじゃったな。実は、ワシがここに居るのはな。白龍香のお陰なんじゃよ」
「白龍香の? どういうことですか?」
眉間にシワを寄せるフレイストに、少しだけ自慢げな表情を見せるカーブンは、得意げに笑みを浮かべ答える。
「お前や、他の者は知らんと思うが、白龍香には別の呼び名があるんじゃよ」
「白龍香に……別の呼び名が?」
「そうじゃ。その名も、“記憶花”じゃ。その名の通り、死んだ者の魂を記憶する花じゃ」
「死者の魂を記憶する花ですか? でも、それじゃあ、何故今まで僕はその死者に会えなかったんですか?」
「死者の魂がこうして現れるのは、この白龍香の花弁が舞う時期だけじゃ」
のん気にそう述べるカーブンに対し、少々焦った様子のフレイストが慌てた声で言う。
「えっ、それじゃあ、カーブン様はすぐに――」
「もちろん、すぐに消えてしまう。だから、これだけは伝えておこうと思ってな」
「これって、白龍香の事ですか?」
「うむ」
「もっと他に話す事があるでしょ? 普通は……」
唖然とするフレイストに、大声で笑うカーブンは、「まぁ、一年後にまた会えるんじゃ。気にする事はない」と、明るく言う。その言葉に、フレイストはあんぐりと口を開け、目を細めてカーブンを見据える。
「ど、どう言う事ですか! すぐ消えるんじゃ――」
「そうじゃよ。すぐに消えてしまう。だが、またこの時期が来れば、白龍香の記憶から解き放たれて現れることが出来るんじゃ」
「そ、そそ、それじゃあ……」
「来年になれば会えるというわけじゃ。ついでに、ワシは毎年リューナに会っておったぞ」
その言葉に目を丸くするフレイストは、少しだけ唇を震わせ、徐々に目尻を吊り上げ怒声を響かせる。
「ど、どど、どういう事ですか! 何で、カーブン様だけ母さんに!」
先程、カーブンが言ったリューナとは、フレイストの母の事だったのだ。
そんな怒りを滲み出すフレイストに対し、カーブンは「フォッフォッフォッ」と、上機嫌な笑い声を吐く。その態度に、更にフレイストは声を張り上げる。
「笑ってないで、私を母さんに会わせて下さいよ!」
「それは――無理じゃ」
「ど、どう言う事ですか!」
「実はのぅ、去年枯れてしもうたんじゃよ。リューナの魂を記憶した白龍香が――」
その言葉に愕然とするフレイストは、両肩を落とし小刻みに肩を震わせる。泣いているのだと思ったカーブンは、少しだけ悪い事をしたと思い、落ち着いた様子の声で謝った。
「すまんのぅ。リューナがどうしてもお前には秘密にしておいてくれって言うもんじゃからな」
少しだけ、フレイストは悲しかった。母が、会うのを拒んだことが。そのフレイストの気持ちが伝わったのか、カーブンが優しく声を掛ける。
「リューナはな。お前と会えば、別れが辛くなるからと言ってな……」
「それでも、私は母さんと話がしたかったです……」
「まぁ、そう言うでない。リューナだって、考えに考え抜いた末の結論だ。辛かったと思うぞ」
それでも、一目位は母と会いたかった。もう母の顔すら薄らとしか覚えていないが、それでも――。
奥歯を噛み締めるフレイストは、静かに肩から力を抜くと、ゆっくりと口から息を吐き、顔を上げた。カーブンの方へと向けられたフレイストの顔は、笑みを浮かべていたが、その目は少し寂しそうだ。無理に笑みを作っているのだろう。
「分かってます。母さんは――」
少しだけ間を空け、フレイストは自分に言い聞かす様に言う。
「母さんは優しい人です。きっと、私に迷惑を掛けたくなかったのでしょう。母さんらしいです」
「お前……」
「さぁ。そろそろ行くよ。父さん」
フレイストは少しだけ強張った笑みを見せ、カーブンに背を向けた。その背中を見据えるカーブンは、何の言葉も掛ける事が出来なかった。屋上から立ち去るフレイストの背中を見据えるカーブンの背後から、女性の声が聞こえてくる。
「随分とフレイストには厳しいんですね」
「リューナ……」
白龍香の花弁舞うその奥に薄らと見える影。やや低めの身長に、滑らかなウェーブの掛かったグリーンの髪。それは、美しい顔立ちの女性だった。寂しげな黒い瞳が、僅かに潤む。