第65回 立ち去る者と待つ者
ティルが茂みへと入っていた後、バルドは一人焚き火を見据えていた。静かに揺れる炎が、火の粉を舞い上げ、タキギがバチッと弾け炎の中で崩れ落ちる。何も言わず静かにタキギを投げ入れるバルドは、おもむろに立ち上がると、ゆっくりと茂みの前まで足を進めた。茂みの前で足を止めるバルドは、暫し間を空け茂みの中へと入っていった。
暫く茂みの中を進むバルドが足を止めたのは、カシオの目の前だった。既に意識のハッキリとしているカシオは、バルドの姿を見ると、怪訝そうな表情を一瞬見せ静かに問う。
「何だよ……。俺の命でも……奪いに来たのか?」
弱々しく掠れた声。飲まず食わずだったせいだろう。目も虚ろで、灰色の瞳が少し濁っている様に見えた。そんなカシオを見下すバルドは、「フン」と鼻で笑うと静かに口を開く。
「今の貴様の命は、奪う価値など無い」
「ヘッ……そうかい……。なら、何しに来たんだ……」
「忠告だ」
「忠告……だと?」
カシオが聊か不思議そう表情を見せると、バルドはカシオに背を向け答える。
「お前……また、あの娘を傷付けるつもりか?」
「うるせぇ……。お前には……関係ないだろ……。俺がどうしようと……」
「お前が、ここで死のうと俺には関係ない。だが……少なからず、悲しむ者もいる」
鋭い眼差しをバルドの方に向けるカシオは、「何が言いたい」と少しだけ強い口調で言う。だが、バルドは何も言わず歩き出し、静かにその場を後にした。実際、カシオ自身気付いていた。バルドの言いたかった事に――。その為、カシオは唇を噛み締めると、目を伏せ悔しそうに拳を握った。
清めの泉の前へと戻ったバルドに、一足先に戻ってきていたティルが不思議そうな顔で声を掛けた。
「何処に行ってたんだ?」
焚き火の前のティルに目を向けるバルドは、何も言わずに足を進める。ため息を漏らすティルは、焚き火の前に腰を下ろすバルドを見据え、呆れた声で言う。
「散歩に行くなら、俺が戻ってからにしろ。あと少しで焚き火消えてたぞ」
「それなら、また火を熾せばいい」
「あのな……簡単に言うなよ」
「……」
だんまりとするバルドは、ティルを無視する様にその場に横になった。呆れるティルは、深々とため息を吐くと、「俺も寝るか」と小さく呟き、そのまま横になり、目を閉じた。
カシオの横たわる茂みの中。
そこに、セラの姿があった。寝巻きの為、少しだけ薄着のセラは、夜風に身を震わせる。カシオを庇い、背中に弾丸を受けた為、まだ少しだけ背中の傷が痛む。それでも、セラはゆっくりと足を進めていた。
吐く息が白く凍りつく。体が冷え、手の指先の感覚が少しだけなくなっていた。体の震えを押し殺す様にして、カシオの前までやって来たセラは、口を開く。
「カ、カシオさん……」
少しだけ震えた声。それに、カシオは少しだけ目を開き、静かに答える。
「何……してんの?」
「わ…私は……」
「悪い……俺……行くよ」
「――えっ?」
カシオの突然の声に驚くセラ。頭が少しだけ混乱した。そして、セラが「何処に?」と、聞くより早く、カシオが静かに答えた。
「ここに居られちゃ……迷惑だよな……」
「えっ…あの……そんな――」
「分かってるって……。セラの怪我は…俺のせいだからな……医療費は置いていくよ……」
セラの言葉を聞かない様に、カシオは言葉を繋げて行く。そして、ゆっくりとカシオは体を起した。全身の傷が疼き、動くのがキツイが、カシオはそれを堪え立ち上がる。立ち眩みを起し、一瞬カシオの体が傾く。セラは駆け寄ろうとしたが、カシオは右足を踏み込み何とか倒れるのを堪えた。
呼吸の荒いカシオは、セラに背を向け左手を大木に付く。こうしていないと、体が倒れてしまいそうだった。そんなカシオの後姿を見据えるセラは、切なそうな瞳を向ける。
「それじゃあ……。俺は――」
歩き出そうとしたカシオだが、セラがそのカシオの背中に抱き付いた。傷が僅かに疼く。奥歯を噛み締め、それを堪えるカシオは、そっとセラの手に触れる。
「ごめん……」
「私……待ってますから……」
その言葉に、カシオの返事は無い。腕をそっと解いたカシオは、セラの顔を見る事無く真っ直ぐに歩く。フラフラと足を引き摺り歩むカシオの背中を、セラはジッと見詰めていた。
傷の痛みに耐え、茂みの中を進むカシオは左手で脇腹を押さえ、口角から血を流す。治りかけだった体の傷が悪化していたのだろう。全身に走る激痛に、その場に蹲るカシオは、右膝を地に着き口を大きく開け呼吸をする。
「ウッ……クッ……ハァ…ハァ……」
苦しそうな呼吸を繰り返すカシオの口から、血が零れ落ちた。視界が次第に薄らとして来る。それでも、カシオは奥歯を噛み締め、ゆっくりと足を進めた。
清めの泉の傍で焚き火を囲むティルとバルド。
二人とも黙り込み焚き火を見据える。風で時折揺れる炎を見詰める二人は、茂みの方から聞こえた妙な葉音に、目の色を変え武器を手に取った。
ティルは天翔姫を細い刃の剣へと変え、バルドは刃の大きいナイフを右手に逆手で持つ。二人とも、いつでも斬り掛かれる様な体勢をとり、真っ直ぐに茂みの方を睨む。
二人の間に流れる沈黙。吹き抜ける風だけが、葉を揺らしサワサワと音を奏でた。静かに呼吸を繰り返すティルとバルドは、摺り足で距離を縮めていく。ある程度距離が縮まり、二人が足を止める。それと、ほぼ同時だった。茂みからカシオが倒れてきたのは――。
「カシオ!」
ティルは天翔姫を地面に刺し、カシオの体を素早く受け止める。少しだけ驚いた表情を見せるバルドだが、すぐにナイフをしまい焚き火の方へと歩き出す。カシオの体を支えるティルは、天翔姫を片手で元に戻すと、焚き火の方へとカシオを連れて行く。
「お前、何でここに」
「何でって……俺が居なきゃ、お前等寂しいだろ?」
少しだけ笑みを見せるカシオに、ムスッとした表情を見せるバルドは、何処からか木の実を取り出し、カシオの方へと投げつけた。それが、丁度傷口に当り、カシオは「ぐおっ」と苦しそうな声を発し、その場で動けなくなる。
「お、お前、何してるんだ。こいつ、怪我人だぞ」
「関係ない……」
「あのな……」
呆れた様な表情をするティルだが、バルドはそれを見ず、二人の方に背を向けた。
蹲るカシオは、右手でバルドの投げた木の実を取り、小さな声で「ありがとう」と言った。その声はティルにしか聞こえておらず、ティルは不思議そうに首を傾げる。苦しそうな表情を見せるカシオは、手に取った木の実を口に運び、一口食べ「傷にしみる」と、小さく震えた声で言った。さすがにその声はティルにも聞き取れなかった。
少しだけ栄養を摂取したカシオは、その後すぐに眠りに就いた。そんなカシオを見据えるティルは、聊か不思議そうな表情をし、バルドの方に声を掛ける。
「お前、さっきこいつに会いに行ってただろ?」
「何の事だ?」
「何を言ったか知らないが、よかったよ。こいつが動いてくれてよ」
「……俺は知らんぞ」
ボソッとバルドはそう言い放った。