第61回 セフィーの想い 族長の悩み
砂漠を抜けたその先にある森の更に奥に存在する小さな村。
それは、風牙族がヒッソリと住まう隠れ里となっている。そして、ここにウィンスの姿があった。村の中央にある巨大な岩の上に横になり、青い空を真っ直ぐに見据える。以前は草木に覆われ、空すら見えなかったこの村に、光が戻ったのはフォンのお陰だった。
右手をスッと空に伸ばすウィンスは、静かに息を吐き目を伏せる。すると、レイストビルでの事が脳裏に蘇り、すぐに場面が変り二つの影が映る。そして、牙狼丸を持った自分がそれを振り下ろす。悲鳴がこだまし、血飛沫が舞い散った。
呼吸を荒げるウィンスは、体を起し胸を押さえる。蘇った古い過去。既に心の奥にしまいこんでいたその過去が、ウィンスを苦しめていた。
「ウィンス? そこに居るの?」
岩の下の方からセフィーの声が聞こえてきた。我に返るウィンスは、首を左右に振り笑顔で返答する。
「ああ。ここにいるよ。何か用?」
「お爺様が呼んでますよ」
「族長が?」
腕を組むウィンスは、首を傾げ「何の用だろう?」と、ボソッと呟く。
「早い内に会いに行った方がいいわよ」
「うん。分か――ふがっ!」
ウィンスが身を乗り出したその刹那だった。額に石が命中したのは。額を両手で押さえ、のた打ち回るウィンスに、下からセフィーの声が聞こえる。
「返事をする時は、はいでしょ?」
「うがああああっ……。いってぇ〜」
「それじゃあ、すぐに行くのよ」
セフィーはそう言いその場を後にする。額を押さえ岩の上でのた打ち回っていたウィンスは、そのままバランスを崩し地上へと真っ逆さまに落下した。地面に追い討ちを掛ける様に頭部をぶつけ、ウィンスは悶絶する。声を出す事すら出来なかったのだ。
「ううっ……セフィーの奴……」
痛みに耐えながらそう呟いたウィンスは、静かに立ち上がり右手を震わせた。
頭部の痛みも大分ひいた頃、ウィンスは族長の部屋の前にいた。深呼吸を二度繰り返し、姿勢を整え部屋に向かい声を掛ける。
「族長。何の用でしょう?」
「おおっ、ウィンス。まぁ、入るがいい。ちと話したい事がある」
「話したい……事ですか?」
「うむ」
眉間にシワを寄せるウィンスは、渋々と言う感じで襖を開ける。すると、奥に貫禄のある雰囲気で座る族長の姿があった。見慣れた族長の姿だが、珍しく威圧感が溢れている。その威圧感にウィンスは圧倒され、静かに族長の前に腰を下ろす。
部屋は薄暗い。電気などはこの里には無く、蝋燭の火が微かに風で揺れる。部屋の隅の方までは、火の光は届かず、その為薄暗く感じるのだ。緊張感の漂う部屋に、ウィンスも自然と表情が強張る。
「それで……お話とは?」
「話と言うのはじゃな。お前の事じゃ」
「お、俺の事……ですか?」
驚きの声をあげるウィンスは、複雑そうな表情を見せていた。まさか、自分の事だとは思っていなかったのだ。族長は長く伸ばした白髭を撫で下ろしながら、ウィンスを真っ直ぐに見据える。
「ウィンスよ。何故、里に戻った?」
その言葉にウィンスの表情が更に強張る。
「どうしたんじゃ? ウィンス」
「いえ……なんでも無いです」
少々顔色の悪いウィンスに、族長は気付いていた。だが、それに気付かぬ様に族長は口を開く。
「それで、何故戻ってきたんだ? 忘れ物か?」
「いえ……。俺は……」
「逃げてきたのよね」
襖の向こうからセフィーの声が聞こえた。その声にハッとするウィンスは、驚いた様に振り返る。襖の向こうにセフィーの影があり、ウィンスが叫ぶ。
「おい! 盗み聞きなんてしてんじゃねぇぞ!」
その言葉に、襖が勢い良く開き、セフィーがウィンスに跳び蹴りを見舞う。瞬時に体が反応し、ウィンスはそれを右にかわす。昔のウィンスなら、確実に直撃していただろう。
少々驚いた表情を見せるセフィーは、右足が床に着くと同時に左足をウィンスの顔に向って振り抜く。
「くっ!」
ウィンスは右腕でセフィーの蹴りを受け止めた。微かに仰け反ったウィンスは、セフィーを睨み付け言い放つ。
「何のマネだ! いきなり」
「ふん!」
完全に蹴りを受け止めていたウィンスだったが、セフィーの力によって床にねじ伏せられた。
「――ぐっ」
後頭部を床に打ち付け、ウィンスは悶えのた打ち回る。見下ろすセフィーは何も言わず、部屋を後にした。結局、ウィンスはセフィーが何を言いたかったのか、分からなかった。頭部を押さえムスッとした表情をするウィンスは、「なんだったんだ」と不満の声を漏らす。族長は何も言わず腕を組んでいた。
暫く沈黙が続いた。そんな時、ウィンスが腰の牙狼丸を目の前に置き、静かに族長の方へ移動させる。
「借りていた牙狼丸をお返しします。それから、これも」
ウィンスは懐から黄緑色に光る風魔の玉を牙狼丸の横に置く。その行動に聊か驚いた表情を見せる族長は、ウィンスの決意を悟った。その為何も言わず、それを受け取る。頭を下げるウィンスは、静かに立ち上がり部屋を出た。
髭を撫でる族長は静かに息を吐き唸り声を上げる。そして、これからどうするかを考えていた。
部屋を出たウィンスはそのまま村の中央の岩の上へと移動していた。岩の上で横になり、背筋を伸ばすウィンスは、空を見上げたまま大きな欠伸をする。今までの疲れからか、次第にウトウトとし、静かに眠りに就く。
族長の部屋。
床に寝かされる牙狼丸と風魔の玉。二つが触れ合い、風魔の玉が輝きを放つ。それを見据える族長は難しい表情を見せる。そっと牙狼丸に触れ、目を閉じる。族長の手の平に牙狼丸の鼓動が伝わってきた。その鼓動は、ウィンスを求め、族長の手を弾く。
「フム……。やはり、お前はあの子を選んだと言うのか……」
そう呟いた時、何処からとも無く声がする。
「みーつけた」
「何奴!」
突然の声に立ち上がる族長だが、襖が勢いよく開かれ、族長の体が吹き飛ぶ。老いた体にその衝撃は凄まじく、骨が砕けてしまったかと思うほどだった。全身に激痛の走る族長に、動ける程の力は残っておらず、顔を上げるのがやっとの状況だ。
その族長の目の前には逆光を浴びる一人の男の姿があった。白衣にボサボサの白髪。眼鏡の淵が光を浴び僅かに光る。
「ようやく見つけましたよ。風魔の玉。私はこれを手に入れる為に、何度ここを訪れたか……」
「貴様……一体……」
「うるさいですね。取り合えず、邪魔です。死んでください」
白衣の男は細長の注射針を取り出すと、族長に向って投げた。注射針は族長の首筋に突き刺さる。言葉を発する事も出来ぬまま、族長の首に刺さった注射針の先から血が噴水の様に吹き出て、族長はその場に倒れた。
血が広がる床を見下ろす白衣の男は、静かに足を進めると、牙狼丸の横に寄り添う風魔の玉を静かに手に取り、不適に笑った。