第59回 村を襲う来訪者
美しい黒の刃。柄も鞘も引けを取らない。
見た目は黒苑を遙かに凌ぐ程。それほどまで、ワノールは烏に見入っていた。
剣の事など知らないウールでさえ、この烏の魅力に惹きつけられている。
そして、柄を握るワノールの手は、微かに震えた。これは所謂武者震いと言う奴だ。これ程まで美しい剣に出会ったのだ、当然といえば当然だ。
そんなワノールを見つめるウールは、暖かく微笑みながら静かに食事の準備を再開した。それに、ワノールは気付かない。それほどまで、烏に見入っているのだ。
「キャーッ!」
急に外から人々の悲鳴が聞こえ、轟音が響く。烏に見入っていたワノールは、我に返り烏を鞘にしまう。それから、烏をテーブルに置き外へと飛び出した。
「何があった!」
逃げようとする男の一人を捕まえ、ワノールはそう問う。すると、男は声を震わせ答えた。
「あ、あんたも早く逃げろ! ま、魔獣だ!」
「魔獣だと!」
「そ、そうだ。死にたくなきゃ、逃げるんだな!」
そう言うと、男はワノールの腕を振り切り走り出す。真剣な表情をするワノールは、男とは逆の方へと走り出した。逃げ惑う人々とは明らかに逆方向へと走るワノールは、怒りに奥歯を噛み締める。
村の出入口には、複数の魔獣が立っていた。トカゲの様な姿形の魔獣が――。鋭い爪と牙を持ち、長く太い尻尾を振り回す。その内、リーダー格の魔獣には、刺々しい背鰭と二本の長い牙が突き出ていた。
魔獣達は村を見回し、涎を滴らせる。逃げ惑う人々を見据えるその眼は、明らかに獲物を見据える眼だった。
「グヘヘヘヘッ……。獲物共が逃げ惑いやがって……」
リーダー格の魔獣は喋れる様で、涎を拭きながら不気味な声を出す。そんな言葉に、他の魔獣は喉だけを鳴らせる。他の魔獣は言葉を喋る事は出来ない様だ。その魔獣達に、リーダー格の魔獣が指示を出す。
「貴様等は、村の裏に回れ。他の連中は俺と中央から行く。いいな?」
「がうっ!」
魔獣達が同時に声を張り上げる。だが、そこで一つの足音が止まった。その足音に、リーダー格の魔獣が、鋭い眼差しで目の前の男を睨み付けた。短髪の黒髪に、右目に黒い眼帯。顔に傷痕。この瞬間に、その魔獣はそいつが誰かを理解した。
「貴様……ワノール=アリーガ!」
驚いた様子の魔獣は、一歩後退し表情を引き攣らせる。その様子に周りの魔獣達も困惑し、互いに顔を見合わせ始めた。
息を整えるワノールは、聊か不思議に思う。何故、魔獣が自分の名前を知っているのかと。だが、それを問う前に、魔獣の方が大声で笑い出す。
「グハハハハッ……。そうだ…そうだった……。今や、奴の黒き牙は砕かれた! 恐れる事は無い! 行け!」
「ガウウウッ!」
背鰭のある魔獣の周りに居た魔獣が、一斉にワノールに襲い掛かる。魔獣達の背後に後塵が舞う。そんな魔獣を睨むワノールは、右手を腰にもって行く。だが、そこで気付く。今自分が丸腰だという事に。
「くっ!」
表情を歪めるワノールは、背を向け走りだす。突如背を向けるワノールを見て、大笑いする背鰭のある魔獣は、更に魔獣達に指示を出す。
「奴を殺せ! 八つ裂きにしろ!」
その指示に対し、魔獣達は声をそろえ、「ガウウッ!」と答えた。
逃げるワノールは、足では魔獣に勝てないと悟っていた。その為、暫くして足を止める。だが、諦めたわけではない。ワノールは振り向き、跳びかかってくる魔獣の一体に蹴りを入れる。顔の左側面にワノールの右足が綺麗に決まった。そして、魔獣の体は吹き飛び、一軒の家の壁に激突する。轟音が響き、壁が崩壊し、土煙が舞い上がった。
この一撃で、魔獣達の動きが止まる。その瞬間、ワノールは背を向け走りだす。魔獣達は、先程の事があり反応が遅れた。全てワノールの思惑通りだった。だが、そのワノールの思惑に気付いていたかの様に背鰭のある魔獣がワノールの前に現れた。
「くっ!」
眉間にシワを寄せるワノールは、足を止める。そんなワノールの背後に、魔獣達が追いつき足を止めた。完全に逃げ場を失ったワノールは、魔獣達を交互に見て息と整える。そんなワノールを見据える背鰭のある魔獣が、不適に笑みを見せた。
「追いかけっこはお仕舞いだな」
魔獣の言葉に、微かに笑みを浮かべるワノールは、顔の傷に右手で触れる。僅かに傷が疼く。そんなワノールの耳に、聞きなれた声が聞こえた。
「あなた!」
「ウール!」
驚き顔を上げる。すると、背鰭のある魔獣の後方に、両手で烏を持ったウールの姿があった。
「お、お前! 何してるんだ!」
叫ぶワノールに、背鰭のある魔獣が振り返る。そして、ウールの姿を見ると、舌なめずりをし、不気味に微笑む。
「何だよ……。美味そうな奴がいるんじゃねぇか……」
「貴様! まさか!」
「まずは、あの女を喰らってやろう!」
「なっ! に、逃げろ! ウール!」
ワノールが叫ぶ。だが、既に背鰭のある魔獣がウールに迫る。ワノールも全力で後を追うが、間に合わない。ウールに向って、背鰭のある魔獣の右腕が振り上げられる。
「キャッ!」
ウールは堅く眼を閉じる。その時、轟音が轟き、地面が砕けた。飛び散る砕石。吹き荒れる砂塵。その中に一つの影が映る。大柄の影に、ワノールは眼を凝らす。薄れる砂塵から、微かに白い短髪の頭が見えた。そして、右頬の三つの星の刺青がワノールの眼にとまる。
「お前!」
「久し振りだな。確か、ワノールとか言うたか?」
砂塵の中から現れたのは、ノーリンだった。ゴツゴツとした顔つきのノーリンは、開いているのか分からない程の細い眼でワノールを見据える。その足の下には、背鰭のある魔獣の姿があった。砕けた地面に顔だけを減り込ませ、全く動かない。
「お、お前、一体ここで何をしている!」
驚いた様子のワノールの声に、ノーリンは静かに背鰭のある魔獣の上から足を下ろし答える。
「ある人に雇われてな。ちょいとお前さんにお届けもんをしとった」
「お届け物? ま、まさか!」
更に驚くワノール。そんな時、ウールがノーリンに気付く。
「あら、あなたは、昨日の……」
苦笑するノーリンに、ウールが不思議そうな顔をする。そして、間が空く事無くワノールの声が響く。
「フレイストに雇われたのか!」
「悪いんだが、それは言えんな。守秘義務があるんでな」
「何が守秘義務だ! ふざけるな!」
「別にふざけとるつもりはないがのぅ?」
笑みを浮かべるノーリンに対し、米神に青筋を浮き上がらせるワノール。向い合う二人の間には、険悪な空気が流れる。だが、その空気をウールが断ち切った。
「何をしてるんですか?」
その言葉と共に、ウールがいつの間にがワノールの傍に来ていたのだ。驚いたワノールは仰け反り眼を丸くする。
「な、何だ? ウール。いつの間にそこに?」
「先程です。それより、これを」
ウールは両手に持った烏を、ワノールに差し出す。唾を呑み込むワノールは、静かに烏を受け取る。すると、烏を持つ手に、烏の鼓動が伝わり、ワノールはゆっくりと烏を抜く。黒く艶のある刃が、鞘から抜かれ日差しを浴びて不気味に輝いた。