第56回 ミーファとルナとフォン
「全く……何を考えているんですか……」
医務室でフォンとフレイストの治療をしたルナが、呆れた様な困った様な声で呟く。だが、表情は無表情のままだ。金髪の長い髪を揺らすルナは、額から溢れる汗をタオルで拭う。
右手に包帯を巻いたままのフォンは、手の平を閉じたり開いたりしていた。痺れは無く、痛みも無い。火傷は少し疼くが、これはルナでもどうしようも無いらしい。
「いつも、悪いね」
「いえ……。もう慣れましたから」
フォンの言葉に、相変わらずの無表情のままルナは答えた。無邪気な微笑みを見せるフォンは、右手で頭を軽く掻く。
一方、フレイストはベッドの脇に座り、ルナに背を向けていた。相変わらず、女性は苦手の様だ。そんなフレイストに、数人の兵士が集まる。そして、心配そうな表情を見せ、話を掛けてきた。
「大丈夫ですか? フレイスト様」
「お怪我の方は?」
「無茶はなさらないで下さい」
様々な言葉を掛ける兵士達に、フレイストは自分が王になったのだと実感した。その為、フレイストは、心配掛けまいと軽く笑みを浮かべて対応する。
「大丈夫だ。心配は要らない。怪我は大した事ない」
「そうですか……。しかし、あまり無理をなさらない方が……」
「分かっている。もう、無理はしない」
フレイストはそう言うと、兵士を下がらせた。今までと兵士達の対応が違う。少し距離を置かれた印象があった。その為、フレイストは少し悲しかった。だが、それを表に出す事はない。兵士達を不安にしないためだ。
兵士達は医務室を後にし、フレイストはベッドから立ち上がる。ルナと向かい合うフォンは、そんなフレイストの方に目を向け、不思議そうな表情を見せた。
「どうかしたのか? フレイスト」
「いえ。何でもありません。それでは、私は失礼します」
「もう、行くのか?」
驚いた様子で問いかけるフォンに、フレイストは背を向けたまま答える。
「えぇ。今日は稽古に付き合って貰って、ありがとうございました」
「いいって。オイラでよければ、いつでも相手になるからさ」
笑顔で答えるフォンに、背を向けたまま一礼し、医務室を去っていった。不思議そうな顔をするフォンは、首を軽く捻り息を漏らす。そして、ルナの方に目をやる。フォンとフレイストの治療をしたルナの顔には、少し疲れが見えていた。
最近だが、治療をする度にルナの疲れが酷くなっている様に見える。これまで、色々とルナに頼り切っていたフォンは、これからはルナに頼らない様に気をつけようと思った。
そんな時、医務室の部屋が開かれ、ミーファが入ってくる。
「怪我は大丈夫?」
明るく笑みを見せるミーファに、ルナは目を向け静かに答える。
「心配するほどのものじゃないですよ」
「そう。ルナが言うなら、そうね。でも、あんまりルナに無理させないでよ!」
ルナの前に座るフォンに歩み寄り、フォンの顔を指差しそう怒鳴る。苦笑いを浮かべるフォンは、体を後ろに引く。鋭い目付きで睨むミーファの空色の瞳に、フォンの引き攣った顔が映る。
表情を変えないルナは、フォンを責めるミーファに向って、相変わらずの落ち着いた口調で答えた。
「私は大丈夫ですよ。ミーファさんが心配する程無理はしてませんから」
「駄目よ! ルナはいつもそう言って、結局自分にばっかり負担掛けちゃうんだから!」
「そんな事――」
「そんな事あるのよ! 大体、ルナは……クドクド……クドクド……」
クドクドと言葉を並べるミーファは、いつしかフォンではなくルナの方に説教を始める。その隙をフォンは見逃さず、忍び足でベッドから移動し、医務室の扉を開き外に出る。その際、「オイラはこの辺で……」と、小さな声で言って扉を閉めた。
フォンが逃げるのを見ていたルナは、「ミーファ」と呟く。すると、ミーファは説教を止め「何?」と、眉間にシワを寄せる。そんなミーファに、扉の方を指差し言う。
「フォンさん。出て行きましたよ。話があったのでは?」
「はっ! そうだ! そうだったのよ!」
「さぁ、私の事は良いから、フォンさんの所へ」
ルナにそう言われ、ミーファは心配そうな表情を見せる。その表情に、ルナはいつもと変らない声で言う。
「私は心配ありませんよ。行って来てください」
優しいルナの声に、ミーファは小さく頷き、医務室を出て行った。ミーファが出て行ったと同時に、ルナの視界はグラつく。そして、そのまま床に倒れこんだ。体に力が入らず、ルナの意識は遠退いていった。
医務室を出たミーファは、フォンの後を追った。廊下の先の窓辺にフォンの姿がある。手摺に凭れ掛かり、外を見据えるフォンの後ろ姿は、どこか不思議な印象だった。その為、ミーファは、少し離れた所からフォンの後姿を見つめる。
「何してるんだろう?」
不思議そうな表情を浮かべる。恐る恐る忍び足でフォンの方へと近付くミーファは、キョロキョロと辺りを見回し、誰も来ない事を確認してからフォンに声を掛けた。
「フォン」
「――!」
驚いた様に体をピクッとさせるフォンは、素早く振り返る。
「み、ミーファ!」
「何よ。その驚きは?」
「な、何でも無いよ」
ミーファの疑いの眼差しに、フォンは焦りながらそう答えた。そんなフォンにミーファはため息を漏らす。引き攣った笑みを浮かべるフォンは、医務室から抜け出した事をクドクドと言われると思い、その場をどう凌ぐか考えていた。そんなフォンの予想とは裏腹に、優しい口調でミーファが聞く。
「何見てたの?」
「ヘッ?」
意外な口調のミーファに呆気にとられるフォン。あまりの出来事に頭の中が混乱する。そんなフォンの表情に気付いたミーファは、目を細めてフォンを睨む。
「何よ。その表情は?」
「い、いや……。オイラはてっきり、怒られるんだと……」
「怒られる? 何よ。怒られる事でもやったわけ?」
腕組みをしたままのミーファが、ムスッとした表情でフォンを睨む。微かに怯えるフォンは、ミーファと距離をとる。そんなフォンに一歩歩み寄ったミーファは、力強い口調で言い放つ。
「何で距離とるわけ?」
「だ、だって、殴るつもりだろ?」
「私はそんな事しません!」
「本当か?」
疑いの眼差しを向けるフォンの額に、ミーファの右拳がぶち込まれる。勢い良く廊下に倒れこむフォンは、額を押さえ悶絶していた。苦しむフォンの前に座り込むミーファは、「大丈夫?」と小さな声で聞く。もちろん、言うまでも無くフォンの返答は「大丈夫じゃない」だった。
それから、何度かミーファは謝った。ミーファが思っていた以上に強烈なパンチだったらしい。赤く痕が残り、少しだけ腫れていたのだ。ムスッとするフォンは、額を右手で摩っていた。
「ごめんってば。まさか、こんなになるなんて、思ってなかったんだって」
両手を合わせて謝るミーファ。これで、十回目になる。だが、フォンはムスッとした表情を変え様とはせず、ソッポを向いてしまう。流石のミーファもそれには、カチンときて、大声で文句を言う。
「何よ! 人がこんなに謝ってるのに、許してくれないわけ!」
その言葉に、フォンもついに口を開いた。
「その態度が、人に謝る態度なのか!」
それから、フォンとミーファは互いに揉めあう。初めてかもしれない。フォンとミーファがこんなにも揉めたのは。そんな二人の揉め合いが終わったのは、一人の兵士が着てからだった。息を切らせるその兵士が言った一言で、二人は顔色を変え走り出した。その一言とは――。『ルナさんが倒れました』だ。