第55回 素手と剣
北の大陸グラスターの都市レイストビル中央に聳えるグラスター城。
今日もグラスター城の稽古部屋から活気溢れる声が聞こえる。
「うりゃあああああっ!」
フォンが叫びながら竹刀を振り翳し床を駆ける。フォンの視線の先には、低く竹刀を構えるフレイストの姿がある。身軽な服装のフレイストは、オレンジブラウンの髪を揺らし、防具を着けるフォンを真っ直ぐに見据え、竹刀の柄を軽く握り締めた。
二人の距離が縮まる。フォンはフレイストより先に、振り上げた竹刀を振り下ろす。
「甘い!」
オレンジブラウンの髪が揺れ、フレイストが竹刀を力強く振り上げた。フレイストの竹刀が、振り下ろされたフォンの竹刀を横に弾く。
「ヘッ?」
竹刀を弾かれ、体が右方向へ傾く。完全にバランスを崩された。だが、強引に腰を捻り竹刀を振る。しかし、苦し紛れの一発はフレイストに届かず、空振りする。そして、そのまま腰から床へと倒れた。
「いってぇー!」
腰をぶつけたフォンがそう叫んだ時、目の前にはフレイストの竹刀の先が向けられていた。
「これで、私の勝ちです」
「ムギャーッ! 剣なんてオイラにゃ無理だ!」
防具を脱ぎ捨て、竹刀を放り投げたフォンは、そのまま床に寝そべる。茶色の髪が汗で額に引っ付き、ベタベタする。そんなフォンに、フレイストは聊か呆れた表情を見せ、フォンの放り投げた竹刀を右手で拾う。寝そべりながらフレイストを見据えるフォンは、つまらなそうな表情を浮かべ、不思議そうに聞く。
「なぁ。何でオイラに剣術なんて教えようとしてんだ? オイラ、剣には興味ないんだけど」
体を起しそう言うフォンは、フレイストの方へと顔を向けた。竹刀を片付けるフレイストは、フォンに背を向けたままその質問に答える。
「素手で戦うのには限界があります。それに、武器を持てばリーチが長くなり、攻撃のバリエーションも増えます」
「う〜ん。別にオイラは素手で困る事は無いけど?」
全く興味のなさそうなフォンに、フレイストは振り返り強気な口調で言い放つ。
「ならば、勝負いたしましょう。素手と剣の違いをあなたの体に刻みましょう」
「勝負って、そこまでしなくても良いよ。お互い怪我したくないからね」
笑顔を見せるフォンに、フレイストが急に走りだし、竹刀を振り抜く。それにすぐさま気付いたフォンは、後方にジャンプしてそれをかわした。フレイストの振り抜いた竹刀は、刃風を吹かせ、フォンの茶色の髪を僅かに靡かせる。刃音も鋭く、フレイストが今まで以上に本気だと、フォンも気付き真剣な表情をする。
「いきなり、何すんだ! 危ないだろ」
怒鳴るフォンは、自然と戦闘態勢に入っていた。そして、フレイストも振り抜いた竹刀を構え直し、フォンの眼を真っ直ぐに見据える。視線を送るだけで、フレイストからの返答はない。だが、言葉が無くともフォンには伝わった。フレイストの意思が。
その為、フォンは両拳をゆっくりと握り直し、呼吸を整える。
二人の間に漂う緊迫した空気。腰を落とし低い姿勢をとるフォンに対し、フレイストは中段の位置に竹刀を構える。これは、咄嗟の攻撃に対応する為に取った構えだった。
警戒するフォンとフレイストの二人は、一定の距離を保ったまま、静かに動き始める。初めはゆっくりと動く二人だったが、次第にその足は駆け足へと変る。そして、遂に二人が距離を縮めた。
「はっ!」
気迫の声と共に竹刀が鋭い刃音を響かせ、右から左へと横一線に振り抜かれる。突っ込むフォンは、身を屈め竹刀をかわすと、一気にフレイストの懐へと入り込んだ。
「もらっ――!」
その時、視界にフレイストの右膝が見えた。直後、鈍い短音と共にフォンの体が宙に舞う。空中に投げ出されたフォンは、両腕が大きく頭上に伸びていた。そのままの体勢で、空中で一回転したフォンは、床に背中から叩き付けられ、二・三度床を転げた。フォンの落ちた衝撃で、床に振動が広がり微かに床を揺らす。
手応えを感じなかったフレイストは、竹刀を構え直し横たわるフォンを見据える。口から血を流すフォンは、体を起し左手で血を拭う。
「いって〜っ。上手く行ったと思ったのに……」
「私の方こそ、上手く誘い込んだと思ったんですが……。見事な動体視力と反射神経です」
表情を変えぬままフレイストはそう言う。
フレイストが膝蹴りをした瞬間、フォンは両手でフレイストの膝を受け止めていたのだ。だが、衝撃にフォンは吹き飛ばされてしまったのだ。その為、大したダメージは無い。
「さて、オイラもチョイと本気を出すぞ!」
「本気を? それじゃあ、今までは手を抜いていたんですか?」
立ち上がり拳を握り直すフォンは、右拳を力強く握り静かにゆっくりと息を吐き出す。全くフレイストの言葉を聞いていない。そんなフォンに、聊か呆れた表情を見せるフレイストは、右足を引き、竹刀の切っ先を後方に向け低い位置に構える。
二人が対峙し、沈黙が辺りを包み込んだ。フォンは左拳を軽く突き出し、右拳を腰の位置に構える。右足は引かれ、左足のつま先に力を集中させる。
「この一撃で勝負は決まる!」
「そうか。それじゃあ、私も言おう。私もこの一撃で勝負を決めよう」
フレイストが真剣な表情を見せる。
左足のつま先へ全体重を移行するフォンは、体が少しだけ前屈みになる。そして、左足のつま先で、力いっぱい床を蹴った。その瞬間、フレイストはフォンの姿を見失う。だが、次の瞬間、フォンの姿が目の前に現れる。
予想外のフォンの瞬発力に驚くフレイストは、咄嗟に踏み込んだ左足に力を込め、下から上へと竹刀を振り上げる。だが、振り上げた竹刀はフォンの顔の僅か数センチ横を通り過ぎた。刃音がフォンの耳元で聞こえ、刃風が頬を軽く撫で、髪がフワリと浮き上がる。
「くっ!」
「決める!」
右脇に固めていた右拳をフォンは突き出そうとした。だが、一瞬フレイストの右足が床から離れたのに気付き、拳を開く。そして、勢い良く突き出す。衝撃が二人の間に起き、風が吹き荒れる。轟音が大気を揺るがし、フォンとフレイストの体に、ビリビリと波動が襲い掛かった。
フォンの右手は、真っ直ぐにフレイストの右膝とぶつかり合っていた。フォンの右手には、今だに衝撃が残り、痺れが残る。
「ぐうっ……」
フォンの表情が微かに歪む。
一方のフレイストも、右膝に違和感を感じた。
「――ッ!」
右足を動かそうとしたが、激痛が走る。奥歯を噛み締め、その痛みに耐えるフレイストは、素早くその場を飛び退く。だが、着地した際に、右膝に強烈な激痛が走り、その場に膝をつく。
まだ火傷の痛みが残る右腕を震わせるフォンは、流石にこれ以上続けるのは無理だと肩の力を抜き、フレイストの方に歩み寄る。フレイストも、竹刀を床に置きゆっくりと腰を下ろす。
「いや〜。参ったよ。本当に、君の動体視力と反射神経、それに瞬発力は群を抜いているよ」
フレイストは右手をフォンの方に伸ばす。笑みを浮かべるフォンは、右手をフレイストの方に差し出そうとしたが、先程の衝撃と火傷が疼き上手く動かす事が出来なかった。その為、左手でフレイストの右手首を握りる。
「悪い。右腕動かないっぽいから、左手でいいかな?」
「ああ。大丈夫だよ。私の方も右膝を動かないから、肩を貸して欲しい所だから」
その言葉に、フォンは軽く笑みを浮かべフレイストの右腕を引き、立ち上がらせる。右膝を曲げたまま左足だけで立つフレイストは、フォンの肩に腕を回し、二人で医務室へと歩き出した。