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第52回 小さな村の少女

 水中を漂う魚の化物。

 水底には大量の泥が舞い上がり、カシオの姿など見えはしない。だが、魚の化物は余裕だった。ゴーグルを失ったカシオは、水の中で身動きが取れないと思っていたからだ。

 余裕からか、自然と笑みが毀れる魚の化物。左手に持った槍を軽く構え、水底を見据えた。視界が徐々に良くなっていく。そして、薄らと窪んだ水底が見え始める。しかし、そこにカシオの姿は無かった。


「ど、どこへ行った!」


 驚きの声を上げる魚の化物は、辺りを見回す。ゴーグルの無いカシオは、動けないはず。そう思った刹那、背後から水を何かが移動する音が聞こえた。瞬時に振り返るが、何事も無く向こう側の壁だけが目に映る。

 息を呑む魚の化物は、自然と槍を強く握った。恐怖に近い感情が脳裏に芽生えたのだ。姿も無い。音も無い。そんな状況が魚の化物を徐々に追い込んでいく。


「くぅ! 何処にいる!」


 水中に魚の化物の声が響く。その声に水面は波立ち、波紋が幾多にも広がる。

 荒れ狂う水面とは裏腹に、静まり返った水中。中央に浮かんだ魚の化物はキョロキョロと辺りを見回す。


「何処だ……」


 そう呟いた瞬間、背後に殺気を感じ振り返る。すると、その視線の先にカシオの姿が浮かぶ。その姿を視界に捉えた魚の化物は、瞬時に左手を振り抜いた。高速で槍の柄が伸びる。泡を吹かせ伸びる槍だが、その泡が視界を遮りカシオの姿を隠す。

 伸び行く柄が動きを止める。僅かにだが魚の化物の左手にも手応えがあった。深く刃が突き刺さる手応えが。


「クックックッ! 最後は意外と――」

「何か面白い事でもあったかな?」

「――なっ!」


 背後からのカシオの声に驚く。確かに手応えはあったはず。戸惑い槍を戻す事すら忘れていた。いや、正確には左手を引く事さえ出来なかった。知らぬ間に腹部に渦浪尖が一突きされていたのだ。

 傷口から血が水中に吹き出る。そして、口からも血が泡と一緒に水中に溢れた。魚の化物の目が白目を向く。その時には腹部に刺さっていた渦浪尖が抜かれ、カシオの姿は魚の化物の前から消えていた。

 そして、カシオの姿は既に陸へと移行されていた。ぐったりと地面にうつ伏せになるカシオは、静かに深呼吸を繰り返す。体の節々が悲鳴を上げる様に軋み、痛みが全身を襲う。


「うぎっ……。いって〜っ……。やっぱり、ゴーグルは必需品だ……。体がもたないって……」


 苦しそうにそう呟くカシオの眼は、いつもの灰色に戻っていた。

 濡れた衣服は随分と重く、カシオはその場から動く事が出来なかった。水中での魚の化物との戦いで見せた、高速移動が体に思わぬ副作用をもたらしていたのだ。今、この瞬間に魔獣に襲われたら、きっと抵抗する事無く、命を狩られるだろう。ティル・バルド共に負傷し動けず、カシオにいたっては体力の限界で意識も遠のき始めているのだから。


「あ〜っ。やべぇ〜……。意識が……」


 カシオは最後の力を振り絞り仰向けになった。青い空が徐々に霞み、瞼が塞がっていく。そして、瞼が閉まりきる直前、視界に人影を見た。髪の長い人影を――。



 数日が過ぎた。

 清めの泉の更に奥の森に小さな小さな村があった。小さな村だが、平和で穏やかな雰囲気が漂っている。畑で仕事をする一人の娘。歳は二十歳位だろう。長い黒髪を頭の後ろで束ね結っている。澄んだ灰色の瞳。それは、彼女が水呼族である証だった。


「セラ。今日も頑張ってるな」


 鍬を持った若い男が笑顔で畑にいるセラに呼びかける。野菜を収穫していたセラは、腰を上げると男の方に向って笑みを見せた。


「はい。怪我人が三人で食事の準備が大変で」

「おおっ、そうだったな。セラも大変だな。変な拾い物して」

「賑やかで楽しいですよ」

「そうかい。まぁ、頑張れよ」

「はい」


 セラが軽く会釈すると、男も会釈し歩き出した。籠一杯に野菜を収穫したセラは、首に掛けていたタオルで汗を拭い、畑から出る。畑から出ると、村の真ん中を流れる小川で手を洗う。この小川が、この村の全ての水を補っている。その為、この小川は村にとても大切にされている。

 それから、セラは家に向って歩き出した。歩く事五分。こじんまりとした色あせた家へと、セラは入っていった。ここが、セラの家だ。


「あっ、もう起きてて大丈夫なんですか?」


 家に入るなり、セラはそう言う。その視線の先には、バルドの姿があった。腹部には包帯が巻かれている。セラが手当てしてくれたのだろう。椅子に腰掛け、二本のナイフを手入れしているバルドは、返事をする気は無い様で、無言で手を休める事無く手入れを続ける。

 笑みを浮かべたままのセラは、バルドの方に小さくお辞儀すると、キッチンへと立つ。籠に詰め込まれた野菜は、まな板の上へと移行され、セラはエプロンを身に纏う。


「今、夕飯の支度しますね」

「……」


 やはり、返事は無い。それでも、セラは笑顔を絶やさず、野菜を切り始める。沈黙する二人の間に、野菜を切る音だけが響いた。

 それから暫くし、バルドは静かに椅子から立ち上がり、それに気付いたセラが振り返り笑顔を向ける。


「何処かに行かれるんですか?」

「……」


 バルドからの返事は無く、二本のナイフを空穂にしまい、バルドは家の外へと出て行った。流石にセラも困った表情を浮かべる。実の所、セラはバルドと一度も言葉を交わした事が無かった。それだけではない。バルドは一度もセラの作った料理を食べてくれず、セラは自分に何か非があるんじゃないかと、思い始めていた。

 落ち込み両肩を落とすセラは、小さくため息を漏らし、夕飯の準備を再開した。

 暫くして、食事の準備が終わる。食事を皿に盛り、お盆の上へと乗せていく。ある程度料理を乗せると、そのお盆を持ち部屋を移動する。


「失礼します」


 一声掛け戸を開く。部屋にはベッドが三つ並び、奥の二つのベッドに男二人が寝かされていた。一番奥のベッドに寝ているカシオは、まだ目を覚まさず、上半身を起しているティルがセラの方に顔を向ける。


「傷の方は、大丈夫ですか?」

「ああ。セラの手当てのお陰で、もう大分良くなった。ありがとう」


 軽く頭を下げる。少し恥ずかしそうに笑みを浮かべるセラは、料理をベッドの横にある机の上に置く。野菜のたっぷり入ったスープと、数枚の自家製ハムが皿に盛られていた。バルドの寝かされていたベッドへと腰を下ろすセラは、「どうぞ、食べてください」と、笑顔でティルに言う。

 見ず知らずの自分達にこんなに親切にしてくれるセラに、申し訳なく思うティルは、ゆっくりと頭を下げる。


「ど、どうしたんですか? 急に」


 いきなりの事で驚くセラは、慌てて両手を振る。


「見ず知らずの俺等を手当てしてくれただけじゃなく、ここまでしてもらって」

「いいんですよ。困った時は助け合いですよ」

「だが……」


 何かを言おうとしたティルの口にセラが手を当てる。


「それ以上言わないで下さい。私は好きでやってるんですよ。そんな事言わないで下さい」


 セラは優しく微笑む。その優しさがとても嬉しかった。だから、それ以上ティルは何も言わなかった。

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