第49回 親父の仇
渦浪尖の切っ先を向けられた魚の化物は、一瞬驚いた様子の表情を見せたが、すぐに笑い出す。その笑い声は辺りに響き渡り、カシオはその声に奥歯を噛み締め、額に青筋を浮かべる。鼻筋にシワを寄せるカシオは、魚の化物に対し怒声を浴びせた。
「何が可笑しい!」
あんなに怒りをあらわにするカシオを初めてみたティルは、言葉を掛ける事が出来なかった。
笑うのをやめる魚の化物は、槍の柄のお尻を地面に突き立てる。そして、口元に不適な笑みを浮かべ、静かに呟く。
「貴様の親父はこの槍を使う資格の無い弱い奴だった」
その言葉に更に大きな声でカシオは叫ぶ。
「ざけるな! その槍を……親父の形見を返せ!」
その怒声に森がザワメキ、鳥達が一斉に空に羽ばたく。怒りを滲ませ魚の化物に突っ込んでいく。後塵が舞い上がり、渦浪尖の柄の石突を地面にぶつけ、地面を抉りながら真っ直ぐ突き進む。石突が地面を抉る音が響き、砂埃だけがカシオの後ろに残された。
魚の化物が腰を低くし槍を構え、刃が不気味に光を放つ。地面を抉る渦浪尖の石突が浮き上がり、渦浪尖が平行になった。
「波状穿孔!」
右足を踏み込み素早く鋭い突きを無数に繰り出す。三又に分かれた刃が、魚の化物の体を襲う。だが、硬い鱗が刃を防ぎ、金属音を何度も奏でる。力強いカシオの突きの衝撃が、一撃一撃鱗に吸収され、魚の化物は顔色を変える事無くえみを浮かべていた。その余裕の表情が、カシオには耐え切れない。その為、更に力が入る。
「ウアアアアッ!」
刃が鱗にぶつかり火花が散る。そして、澄んだ金属音が、徐々に鈍い音へと変り始めた。そして、渦浪尖を突き出す度に、風を掻く音が鋭くなっていく。ダメージは無いものの、魚の化物は徐々に後ろへと引き摺られていた。
「クックックッ……。我に刃は通らん」
「だ…ま……れ!」
渦浪尖を突き出す動きが止まり、上半身が勢い良く回転する。そして、渦浪尖が横に力いっぱい振り抜かれた。刃が脇腹を強打し、魚の化物の骨が軋みを上げる。撓る渦浪尖の柄がその衝撃をカシオの両手に伝え、魚の化物の体を弾き飛ばす。
「ぐうっ!」
吹き飛んだ魚の化物は、地を転げる。
「ハァ…ハァ……」
俯き息を荒げるカシオ。薄らと流れる汗が、頬を伝い顎先から滴れる。それが、渦浪尖を持つカシオの右手の甲の上に落ち弾けた。
カシオの後姿を見据えるティルは、カシオが疲労していると察知し、ゆっくりと立ち上がる。体調はさっきよりは良い。体もふらついていないし、力も入る。やれる。そう思いティルはコートの下の天翔姫に手を伸ばす。
「クックックッ……」
地面に横たわる魚の化物が不適な笑い声を響かせる。呼吸する度に肩を上下に揺らすカシオは、その魚の化物の方に視線を向けた。
「やるじゃないか……。まさか、打撃攻撃とは……驚いた」
体を起しカシオの方を睨み、槍を地に突き立て立ち上がる。全くの無傷。外傷など何処にもない。それほどまでに硬い鱗なのだ。
口から息をするカシオは、口の中の乾きを唾で潤す。だが、それもすぐに乾き、唇はパサパサになる。
「ハァ…うぅっ……ハァ…」
苦しそうに息をするカシオは、渦浪尖を低く構えると、右足を踏み込み走り出す。だが、その刹那、目の前の魚の化物の槍の刃が見えた。咄嗟に渦浪尖を縦にしそれを防いだが、両足は地から離れ、後方へと体が飛ぶ。
「グッ!」
横転するカシオは何とか体勢を整えたが、地に着いた膝は上がらなかった。右膝はガクガクと震え動かす事すらままならない。立つ事の出来ないカシオの前に、魚の化物がゆっくりと足を進める。奥歯を噛み締め睨み付けるカシオは、渦浪尖を地面に突き立て静かに立ち上がった。
だが、力が入らない。踏ん張りが利かず、渦浪尖も突き出す事も出来ない。表情を歪めるカシオの震える膝を見る魚の化物は不適に笑い言い放つ。
「クックックッ。右膝は限界か。さっきまでの勢いは何処へいった?」
「ざけ――ぐあっ!」
カシオが言い終える前に、魚の化物が槍の石突でカシオを殴り飛ばした。背中から地面に落ち、地面を抉る。口の中に広がる血の味――。完全に口の中が切れていた。その血が口角から流れ出る。
「グフッ……」
悔しさに奥歯を噛み締める。親父を殺した奴が目の前にいるのに、自分はそいつに手も足も出ない。それが、悔しくて悔しくて、目には涙が滲んでいた。涙越しに見える青い空は、キラキラと輝き、次第に周りの方からぼやけていく。
そんな時、カシオの視界が影に覆われた。頭の上に誰かがたったのだ。そして、影がカシオに覆いかぶさった。ぼやける視界に移るその姿は、ティルの姿だった。右手は腰のボックスを握り、人差し指はボタンを軽く押す。
すると、ボックスは瞬時に細身の刃の剣へと形を変えた。前回の真っ白だった刃は、ひび割れた様に赤い亀裂模様が描かれている。見た目的に変ったのはそれだけで、実際は随分と軽量化されていた。その為、ティルは少し驚きを隠せなかった。
「な、なんだこの軽さは……」
あまりの軽さに不安が脳裏を過る。こんなに軽量化されて、衝撃への耐久度は大丈夫なのかと、心配になった。だが、そんな心配をしている程、ティルに余裕など無かった。
空気を裂く音が聞こえ、視界に魚の化物の伸縮自在の槍の刃が映った。その瞬間、咄嗟に天翔姫を胸の前に構え、刃を受け止めた。
澄んだ刃音が響き渡る。それは、水面に出来た波紋の様に森中に響き、木々を微かにざわめかす。衝撃でティルの体は後方へと仰け反り、魚の化物の槍の刃は、元に戻ってゆく。
「ぐうっ!」
右足を摺り足で退き体勢を整えたティルは、刃こぼれ一つしていない天翔姫の刃を見据えて確信する。耐久度は心配する事はない――と。
そして、横たわるカシオに対し小さな声で言う。
「暫く休んでろ。お前にはまだ戦ってもらうからな」
「俺には無理だ……。あいつに傷一つ付ける事も出来なかった……」
カシオの弱気な発言に、眉間にシワを寄せるティルは、呆れた様な口調で呟く。
「お前は、やられっ放しでいいのか? 親父の仇なんだろ?」
「けど、俺は奴に手も足も出ないんだぞ……」
「手も足も出ない? それは、地上での話しだ」
「地上での話し?」
不思議そうに聞き返すカシオに、軽く笑みを見せるティル。
「地上では手も足も出ないが、お前本来のフィールド内で戦えばどうだ?」
「俺……本来のフィールド……! そうか! 水の中か!」
「そうだ。だが、今のその足ではまともに戦えないだろ? 体力が回復するまで、俺が時間を稼ぎつつ、奴を泉の中へと追い込む」
「でも、どうやって?」
心配そうに問いかける。その問い掛けに、ティルは僅かに表情を引き攣らせた。
「大丈夫だ。心配するな。そこは、俺が何とかする。お前は、体力の回復に専念しろ」
「わ、分かったけど……」
何か言おうとしたが、その前にティルが「例え俺が倒れても、体力が回復するまでは動くな」と、真剣な表情で言った為、カシオは吐き出そうとしていた言葉を呑み込んだ。
二人のやり取りは魚の化物に全く聞こえてはいなかった。その為、退屈そうに欠伸をしティルとカシオを眺めていた。
「お喋りは済んだか? そろそろ、お前らを串刺しにしたいんだけど」
「ああ。そろそろ始めよう。鮮度が落ちる前に刺身にしてやるよ」
余裕の表情を見せるティルだが、その裏では余裕と言う文字は一切なかった。