第46回 リバール山脈
リバール山脈のふもと。
黒煙が薄らと青い空に上っていた。三台のスカイボードの欠片が、ふもとに散乱している。所々、火の手が上がっており、眉間にシワを寄せ複雑そうな表情をティル達がしていた。
結局、兵士達のレクチャーも虚しく、三人はスカイボードの止め方が分からず、壁に激突し爆発を起したのだ。三人とも何とか怪我をしないで済んだが、ブラストに対する怒りがこみ上げていた。
風で揺れる炎を見据える三人の間には沈黙が流れ、暫くは誰一人として口を開く事は無い。呆れと怒りが混ざりあい、話す気すらならなかった。
そして、初めに口を開いたのは、ティルだった。渋々といった感じで静かに。
「行くか……。ここにいてもしょうがないからな」
「そうだな……」
空穂を背負うバルドは、静かにそう呟く。ゴーグルを首に掛けるカシオは、それを額へと移動させた。蒼く深い色の髪が、ゴーグルに掛かり僅かに風に揺れる。軽く首の骨を鳴らすカシオは、改良された渦浪尖を不安に思いながら懐へとしまう。茶色のコートの下にボックスをチラつかせるティルは、黒髪を右手で掻き揚げ静かに息を口から吐いた。
落ち着いた様子のティルは、ブラストからの地図に目を通していた。眉間にシワを寄せ、難しい表情をするティル。それもそのはず、その手に持たされた地図は、ブラストの手書きで大雑把にしか描かれていないからだ。
「あのバカ! こんな地図で分かるか!」
怒りを爆発させるティルはそのまま地図を丸めると力いっぱい地面に叩きつけた。やっぱりかと、肩を落とすバルドとカシオは、静かにため息を吐く。そして、そのまま苦笑いを浮かべるカシオは、腰を曲げ地面に転がる紙くずを拾い上げる。
「何やってんだよ。これないと、清めの泉まで行けないだろ。確りしろよな――!」
丸まった紙くずを広げたカシオは、その紙に描かれている地図の予想以上の酷さに言葉を失う。呆然とするカシオに、冷たい視線を送るティルは「お前は、これが読めるか?」と、冷やかな口調で呟いた。
そんな二人の様子に呆れた視線を送るバルドは、静かに足を進め始めた。ティルとカシオは、急に歩き出したバルドに驚き、後を追う。
「ちょ、ちょっと待て! お前、道分かるのか?」
「そうだぞ! 急がないといけないのに、道に迷ったら大変だぞ! それに――」
その後もカシオの口から多くの言葉が発せられる。そのうるさいカシオの声に、迷惑そうな表情を浮かべるティルは、鋭い目付きでカシオを睨んでいた。無言で足を進めるバルドは、完全にカシオの言葉は無視している様で、カシオ一人の声が響いていた。
山道を歩み進む三人。傾斜は緩やかで、足場もさほど悪いわけじゃない。だが、一名すでに息を荒げ、苦しそうに肩で息をする者がいた。それは、この静けさから分かるだろう。カシオだ。最後尾を苦しそうに汗を滴らせながら静かに歩むカシオ。先程までうるさい位口を動かしていたのに、もう口を動かす気力すら残っていない様だった。
そんなカシオを気に掛けるティルは、足を止めカシオの方に体を向ける。その様子に気付いたバルドは、足を止めると振り返り冷やかな視線を送った。
「おい……。何をしている?」
「何って、分かるだろ? あいつを待ってるんだ」
「ふざけるな! あんな奴待ってたら、すぐに日が暮れてしまう!」
「だが、置いていくわけにもいかんだろ?」
ため息交じりにそう言うティルに、怒りを窺わせるバルドは背を向け腕を組む。呆れた様にため息を漏らすティルは、額を右手で押さえ、この先の不安に首を軽く左右に振った。
ようやく、カシオがティル達に追いついた。喉はカラカラ、足はガクガク、汗はダラダラと、もう限界だと言わんばかりのカシオに、冷たく突き放した口調でバルドが言い放つ。
「足手まといだ。今すぐ俺の目の前から消えろ!」
「な……なん……だと……」
擦れた声で言い返そうと試みるが、声が途切れすぐに力尽きた。仰向けに倒れこみ、口を大きく開け荒々しく呼吸を繰り返すカシオは、もう立つ事さえ出来そうに無い。その為、ティルは一つの決断を下した。
「悪い。バルドは先に行ってくれ。こいつをそのままにしていく訳にもいかんし、お前は道も知っている様だからだ。先に行って目印でも付けておいてくれ」
「……分かった。俺が一人で行って来る」
「悪いな。すぐに追い付く。気をつけろよ」
「……」
返事を返さず、バルドは静かに一人山道を歩み出した。徐々に小さくなっていくバルドの背中を見据えるティルは、バルドの背中が見えなくなると同時に、近くにある大きな岩の上に腰を下ろした。岩肌がゴツゴツしていて座り辛いが、ティルは気にせず座り込んだままカシオを見下す。
仰向けに倒れたままのカシオは、スースーと、小さな寝息をたてている。唖然とするティルは、頭を抱えここに残った事を後悔する。
風は緩やかに流れ、ティルの鮮やかな黒髪を優しく撫でる。それと同時に近くの木々の葉がサワサワと、涼しい音を奏で始めた。気持ちが安らぐ音に耳を傾けるティルは、少しの間だが今までの戦いの事を忘れる事が出来た。
風が止み、辺りは一瞬で静まり返る。揺れていたティルの前髪も動きを止め、静かに額に触れた。静かに瞼を閉じるティル。耳を澄まし、周りの様子を探る。静かな風の音。鳥達の囀り。小動物の足音。そして、カシオの寝息。全ての音を耳に感じ、ティルはゆっくりと口から息を吐く。
「静かだ……」
ボソッと呟く。その後は黙り、腰にぶら下がった天翔姫を手に取る。前のと変った所は、色だけ。果たして中身は……。考えただけで、背筋がゾッとする。何か嫌な予感が脳裏に過った。今までの経験上、こう言うシンプルなもの程危ないものなのだ。その為、ティルは躊躇っていた。剣に変えるのを。
「ふーっ。どうしたものか……」
右手の人差し指と中指を額に当てる。手でボタンに軽く触れた。だが、押す事は無い。そのままボタンに手を置いたまま俯くティルの髪を、また流れ始めた風が静かに靡かせ、もう一度木々をざわめかす。落ち着いた表情のティルは、静かに腰を上げると目付きを鋭くし、後方を真っ直ぐに見据える。
すると、一つの足音が響き、一人の男が姿を現す。黒いハットを深々と被り、サングラスを掛けた男。そして、山を登るにしては不釣合いな黒のタキシード。黒革の靴の踵が、荒れた斜面を軽く叩き、岩肌を崩す。
妙な気配。魔獣とはまた別の力をティルは感じた。動きを止めるタキシードの男。サングラス越しにティルの顔を見据える。ティルもその男を真っ直ぐに見据えた。武装は……していない。それに、戦闘をするにしても、あのタキシードでは動き難いはず。ティルがそう思った時、男は微かに笑みを浮かべた。まるで、ティルをバカにする様に。その笑みに眉間にシワを寄せるティルは、男を睨んだまま口を開く。
「何が可笑しい!」
「……い」
何かを口にした様だが、ティルには聞き取れなかった。その為、表情を変えぬまま聞き返す。
「何が可笑しいんだと聞いてるんだ!」
「弱いよ! 弱すぎるんだよ!」
「――!」
そう叫んだ男が、地を蹴り斜面を駆け上がる。そして、ティルが身構える前に、男の右足が振り抜かれる。ズボンが風を受けバサッと音を響かせ、続いて鈍い音が辺りを静寂にさせた。
宙に舞うティル。何が起こったのかわからなかった。ただ、左頬に衝撃を受け、意識が薄れたのは覚えていた。そして、意識が戻った時には、その体は地面に叩きつけられていた。
「――ぐはっ! うっ……がっ!」
地に横たわるティルの腹部に、男の革靴の踵が深々と圧し掛かる。踵は、腹部を押し潰す様に、徐々に徐々に腹にめり込んでいき、ティルはその苦しみに声を上げる事も出来ない。
「ぐうっ! あっ…がっ――……」
「弱過ぎるんじゃねぇ? てめぇら」
見下す男は、僅かにティルを鼻で笑い、足をゆっくり下ろして言い放つ。
「まぁいい。精々死なない様に努力しな!」
その言葉と同時に男の右足がティルの頭を強打した。それにより、ティルの意識は完全に吹き飛び、それから暫く目を覚ます事はなかった。