第42回 解き放たれた矢
森の中に響く呻き声と、風の轟く音。
二つが混ざり合い、大気を震わせる。
草木が大きく揺れ、衝撃に耐え切れない木々は、根を地面から抉り上げ崩れ落ちた。
吹き荒れる風に顔を顰めるティル、カシオ、バルドの三人は、天翔姫・双牙を組み合わせた弓に、矢となる渦浪尖を引くブラストを見据える。
渦浪尖の周りを螺旋状に包み込む風は、ブラストの方へと吹き抜け激しく体を襲う。それでも、渦浪尖を引いたままジッと動かないブラストは、奥歯を噛み締め魔獣を真っ直ぐに睨む。
「グウウウウウッ! ミ……ナ……殺シ……」
喉からなるガラガラの声が、僅かにブラストの方に聞こえた。それは、もう先程までの魔獣の声ではない。
悲しげな瞳を見せるブラストは、渦浪尖の切っ先を魔獣の胸の位置にあわせる。
徐々に軋みだす天翔姫と双牙。渦浪尖を取り巻く風に、耐え切れなくなっていたのだ。双牙の大きい刃に僅かに亀裂が走り、天翔姫の両端にも僅かながら亀裂が入る。そして、渦浪尖の柄もメキメキと、軋みだす。
三つの武器の耐久度が限界を迎えようとしていた。その為、ブラストは狙いを定め、口を開く。
「天を翔けろ! 天牙・渦動穿孔!」
左手が静かに渦浪尖を放す。螺旋を描く風が、解き放たれた渦浪尖を前へ前へと突き出して行き、その風が後方に立つブラストの体を押しのける。地面に踏み止まる両足は、地面を抉り引き摺られた。
一方、放たれた渦浪尖を渦巻く風は、天翔姫によって圧縮される。圧縮された風は、互いにぶつかり合い、その力を一気に開放した。その時、凄まじい爆音が轟き、爆風が森の木々をなぎ倒し、ティル・カシオ・バルドの体も弾き飛ばした。
「ぐふっ!」
「うっ!」
「クッ!」
三人は地面を転げ、爆風の届かなくなる場所まで飛ばされた。すでに辺りは爆風で舞い上がった土煙に覆われ何も見えなくなっていた。ブラストの姿も魔獣の姿も。
そして、音すら聞こえない。魔獣の呻き声も、鋭い風の音も、何もかも聞こえなくなり、聞こえてくるのは、パラパラと落ちてくる地の欠片や、木々の破片の音だけ。
体を起したティルは、隣に倒れるカシオをたたき起こす。
「起きろ! 寝てる場合か!」
頭を叩かれ、意識を取り戻すカシオは、体を起し頭を左右に振り、「ウウウッ」と、声を出す。吹き飛ばされた時に頭を激しく打ち付けた為、まだ意識はぼんやりとしていた。
土埃を払いながら立ち上がるティルは、辺りを見回す。
「う〜っ。ティル……どうなったんだ?」
頭を右手で押さえながら、立ち上がったカシオが呟く。目を凝らすティルは、そんなカシオの質問に冷たい声で答える。
「俺に聞くな。お前も知っているだろ? 一緒に吹っ飛ばされたんだから」
「まぁ、そうだけど……」
「それより、バルドは何処だ?」
一緒に飛ばされたバルドの姿が無い事に、聊か疑問を抱くティルに、後方から声がする。
「俺はここだ……」
振り返ると、土埃を叩くバルドの姿があった。出血した所に土埃が付着している為、中々土埃は落ちず悪戦苦闘していた。
「大丈夫そうだな」
「でも、一体何が起きたんだ? 急に爆発したけど」
「さぁな。あいつの考える事は、俺には全く理解できん」
呆れた様子のティルは、冷たい口調でそう言い放つ。静かに息を吐くカシオも、「全くだ」と、呟き右手で頭を掻く。バルドの方は何も言わないが、その表情は二人と同じ意見の様だった。
それから暫くし、舞い上がる土埃は薄れ、ようやく辺りの様子がはっきりと分かり始めた。
無残に砕かれた木々。
抉り取られた地面。
辺りに茂みなどは無く、一体がさら地と化していた。
「な、何だこれ! どうなってんだよ! 確か、ここって森だったろ?」
「ここで騒いでもどうにもならんさ。まずは、ブラストを探すぞ」
慌てるカシオに対し、冷静なティル。そして、全く反応すらしないバルド。三人は大きく円形に窪んだ地面を歩き始め、その中心へと向う。そこに、きっとブラストが居るからだ。
だが、中央に近付くにつれ、濃くなっていく土埃に、三人は足止めをくらっていた。
「これ以上は、進めない」
「それにしても、随分と下ったな」
カシオが自分達が通った道筋を振り返りながら呟く。
確かに、随分と下ってきたが、未だ中心が見えてこない。それだけ、あの爆発が凄かったのだろう。
「なぁ、あの魔獣は倒せたのかな?」
「知らん。大体、あんなのが当るとは思えないがな」
ご立腹のティルに、苦笑しながら「そうだよな」と、カシオは呟く。そして、黙ったままのバルドの方に顔を向ける。だが、声を掛ける事は出来ない。何と無く、近付くなと言うオーラを、体から発しているからだ。
それから、暫くし三人は歩き始める。土埃が薄れ、視界もよくなったからだ。
足場は徐々に悪くなり、崩れやすくなる。慎重に足を進めるティルとカシオに対し、慣れた足取りで歩みを進めるバルド。
そんな三人の距離は次第に遠のき、ティルとカシオはバルドとはぐれた。
「バルドの奴、随分と慣れた足並みだったな」
ティルは呟き、後ろを振り返る。そこには、恐る恐るゆっくりと慎重に足を進めるカシオの姿があった。
唖然とするティルは、ため息を吐き腕組みをしながら、カシオの方を見据える。
「おい! 早くしないと置いてくぞ!」
「ちょ、ちょっと待てよ! 俺、こう言うのにが――!」
カシオが右足を置いた所が、突然崩れ、カシオの体が坂を転げ落ちる。
「うわああああっ!」
「か、カシオ!」
ティルも何とか助けようとしたが、カシオの体は転がりながら土埃の中へと消えていった。呆然とするティルは、右手の人差し指と中指を額に沿え、眉間にシワを寄せながら静かにため息を吐く。
こんな事があっていいのかと、ティルは思いながらもう一度ため息を吐く。あまりの馬鹿馬鹿しさに、ドッと疲れがこみ上げた来た。
「何だか、あいつといるとフォンといる以上に疲れる……」
小さく呟き、ティルはカシオを追って土埃の中へと入っていった。埃っぽい空気に、顔を顰めるティルは、何度か「ゴホッ、ゴホッ」と、咳き込み真っ直ぐに歩みを進める。
真っ直ぐ歩き続け、ようやく平らな足場へと変る。ここが、中心部で間違いない。だが、誰の姿も見えない。まだ、濃い土煙に覆われているからだ。
目を凝らすティルは、土埃の中に一つの人影を発見する。
「ブラストか?」
その問い掛けに、人影が僅かに動く。きっと振り返ったのだろう。そして、こちらに向って近付いてくる。
軽く身構えるティルは、目を凝らし相手を真っ直ぐ見据える。
「あいつは、一緒じゃないのか?」
落ち着きのある声。それは、バルドの声で、ティルは警戒を解き静かに歩み近付く。
「カシオなら、坂を転げ落ちた。見かけなかったか?」
「そうか……」
「しかし、この土埃の中、よく俺の顔が見えたな」
感心するティルに対し、バルドは当然という表情を浮かべ口を開く。
「森の中で生きれば……自然と眼も良くなる」
「そうかい。地護族って言うのは、凄いもんだな」
笑みを浮かべるティルは辺りを見回す。辺りに人の気配は無い。その為、困った様に頭を掻く。
そんなティルの背後に人影を見つけるバルドは、目の色を変え小さく舌打ちをする。
「どうかしたのか?」
「奴だ……」
「奴?」
ティルが振り返ると、ボロボロの姿のカシオがティルの視界にも入った。その姿に驚くティルは、声を上げる。
「だ、大丈夫か?」
「だ……大丈夫……そうに見えるか?」
擦れた声のカシオは、フラフラとしていた。随分と転げたのだろう。痛々しい傷ばかり残っていた。
呆れて笑うしかないティルは、半笑いを浮かべ深々とため息を吐いた。