第39回 カシオとバルド
茂みに隠れていた複数の魔獣。
微かに聞こえる葉の擦れる音。小動物たちの悲鳴。魔獣の足音。全てが耳に届き頭の中で混ざり合う。強風が吹き荒れ、落ち葉が舞う。時折、風塵を舞い上げ、それが視界を悪くする。
強風に吹かれる艶やかな黒髪。ハタメク茶色のコートの裾。切れ長の眼は鋭く、黒の瞳が激しく動く。すでに、魔獣の位置を把握していたティルは、魔獣の位置を再確認していたのだ。
右手に握る天翔姫を、静かに下段に構えると、腰を低くし呼吸を整える。足音から何処から魔獣が近付いてきて、今どの位置にいるのかを頭の中に思い描くティルは、素早く体を捻ると、天翔姫を振り抜く。
重々しい手応えがティルの右手に圧し掛かり、襲い掛かる魔獣の左腕を切断する。血飛沫が舞い、多くの木の葉に血が付着する。地面や落ち葉、いろんな場所に飛び散った血痕は、辺りに生臭い臭いを漂わせた。
だが、それが合図だった。一斉に茂みから飛び出す魔獣達。剥き出しにされた牙から滴れる涎。指先から伸びる鋭い爪。そして、血に飢えた眼光。そんな魔獣達に、「チッ!」と、ティルは舌打ちをして天翔姫を振るう。白く細い刃が幾度か空を裂く。と、同時に真っ赤な雫がいたる所に降り注いだ。
「血の雨か……」
その降り注ぐ血を目を細めて見据えるティルはそう呟いた。右手に握った天翔姫の真っ白は刃には、微かに血が残り、ティルはそれを力強く振り飛ばして、乾いた布で拭き取る。そんなティルの周りには、多くの魔獣が倒れていた。茂みの中から体が半分だけ出て、動かない魔獣。木の根元に倒れている魔獣。どの魔獣も一太刀で息絶えた為、傷は一つしか残っていない。
「あっさりし過ぎてる……。幾らなんでも、こいつらだけで行動しているとは思えんが……。まさか、バルドの方にリーダー格がいるのか?」
天翔姫をボックスに戻し、腕組みをするティルは、静かに二人の方へと引き返した。
大木の前で蹲るカシオ。いじけたままブツブツと文句を口にする。
「何だよ何だよ……。バルドの奴。俺は敵だって……。どういう意味だよ。俺、何したんだよ……。おかしいだろ。大体、何で俺だけなんだ? あれ? 待てよ……。そう言えば……あいつら似てないか? いや。よく考えれば、よ〜く似てる! そうか! だから、俺だけ仲間はずれなのか! なるほど……。なら、俺もあいつら見たく冷たく冷酷になれば、きっと仲間はずれにされないよな」
そんな事を口にするカシオの耳に爆音が聞こえる。それは、バルドの突っ込んでいった場所からで、その音と同時に大量の土煙が茂みからあふれ出てきた。そして、その中から勢いよくバルドが投げ出され、地面を痛々しく転がる。体中無数の切り傷があり、衣服も裂け血が滲んでいた。
いじけていたカシオも、そのバルドの姿に立ち上がり歩み寄る。
「だ、大丈夫か!」
駆け寄ったカシオに、「近寄るな!」と、手痛い言葉をぶつけるバルドは、顔を上げ鋭い目付きでカシオを睨みつけている。足を止めるカシオは、戸惑った表情を見せ「で、でも……」と、呟くがバルドの鋭い眼差しに、一歩後退する。
静かに立ち上がるバルドは両手に握ったナイフの柄の先を合わせる。柄はカチッと、組み合わさる音が微かに聞こえ、二つのナイフは一本の剣へと変貌する。柄の両端から伸びる短い刃と長い刃は、鋭く日の光を反射する。
「……双牙」
腰を低く構えるバルドは、茂みを真っ直ぐ睨みつける。そんな茂みの中から目付きの鋭い小型の魔獣が姿を現す。静かにゆっくりとした足取りで。右手には鋭い爪を生やし、左手は右手よりも少し大きく重々しい。両足は太く強靭で、しなやかな筋肉を見せ付けている。
呼吸が荒々しいバルドは、その魔獣を見て額から汗を流す。戸惑いながらもカシオは渦浪尖を構え魔獣を見据える。そんな二人を見据える魔獣は、右手の人差し指を立て、顔の横で軽く左右に振る。
「甘いね。弱者が、二人になっても僕の体に傷つける事は出来ないよ」
「……フッ!」
バルドは急に走り出し、双牙と呼んだ剣を振り下ろす。
「だから……」
そう呟く魔獣は、刃を鋭い爪で受け止め、左手をバルドの腹に向って突き出す。だが、バルドもそれを読んでいた。地を蹴り飛び上がると、そのまま魔獣の頭を飛び越え、魔獣の背後に着地し双牙の短い刃を魔獣の背中に向け突き刺す。が、それは空を切る。
「チッ!」
「残念。後一歩届かないね」
バルドと魔獣の距離が遠ざかり、二人は対峙する。幾分余裕の見える魔獣は、薄気味悪く笑みを浮かべ、バルドの方はどこか疲れている様に見えた。魔獣の後ろに立つカシオは、いつでも魔獣を攻撃できた。だが、バルドの目が、『手を出すな』と、言っている様でおどおどとしている。
「フッ……。仲間に助けは求めないのかな?」
「仲間などいない……」
鋭い眼差しを向けるバルドは、もう一度地を蹴る。双牙の長い刃と短い刃が何度も空を裂き、その度に風が木の葉を落とす。幾枚の木の葉が落ちただろう。二枚の刃は鋭さを失い、刃の振るう音が鈍くなる。
「どうした? 動きが鈍くなってきたぞ」
「……クッ」
奥歯を噛み締めるバルドは、力強く双牙を振るった。が、それを魔獣は軽々と受け止める。驚いた表情を見せるバルドに、「弱いよ」と、魔獣は囁く。そして、左拳がバルドの体に突き刺さる。衝撃が腹から背中に突抜け、バルドの体が地面を転がった。
「バルド!」
そう叫ぶカシオは、駆け寄ろうとしたが、バルドの鋭い眼差しに足を止める。魔獣はそんな二人を見て、不適に笑みを浮かべ一歩一歩バルドの方へ足を進める。
「こいつは見殺しか。まぁ、僕はどちらでも良いさ。どうせ、あんたも殺すんだし」
「クッ!」
どうしようか考えるカシオは、額から薄ら汗を流し慌てる。そんなカシオの背後で鋭いティルの声が響く。
「考えてる暇があるなら戦え!」
その声に遅れて白い刃が魔獣の方へと飛ぶ。魔獣は動きを止め、後方に飛び退き、カシオの後方に立つティルを睨み付ける。切れ長の目の奥に光る黒い瞳に、魔獣は不適に笑みを見せる。
「お前はそいつとは違うみたいだな」
「生憎、俺はそいつの敵じゃないんでな」
「敵? どう言う事だ?」
「どうでもいいだろ? どうせ、お前は死ぬんだから」
地面に突き刺さる天翔姫を抜くティルは、そのまま切っ先を魔獣の方に向ける。だが、それに対して魔獣は不適な笑みを浮かべ、「お前も、僕の体を傷つける事は出来ない」と、言い放つ。すると、ティルも口元に笑みを浮かべ、「試してみるか?」と、言い放つ。
向かい合うティルと魔獣は、ほぼ同時に地を蹴る。そして、細い刃の天翔姫が鋭く空を一閃する。澄んだ金属音が辺りに響く。白い刃は、魔獣の鋭い爪に受け止められ、カタカタと僅かに震える。
地面を微かに抉る二人の足。それは、二人がどれだけ両足に力を入れているのか、よく分かる。手に圧し掛かる力は両者共に凄まじかった。その為、二人が同時に吹き飛ぶ。
「クッ!」
「チッ!」
バランスを整え、二人は地に足を置く。僅かに砂塵を舞い上げ、踏みとどまる二人の周りには、微かに塵が舞う。微かに揺れる天翔姫の刃が、ブオーンと妙な音をたてる。
「互角か……」
「互角? 違うね。まだ、僕が手加減しているだけ。今からは、本気を出すよ。三人同時に掛かってきな」
不適に笑みを見せる魔獣は、目の色を変え呻き声を上げる。それに、反応するかの様に、草木がザワメキ、風が吹き荒れる。落ち葉が無数、天高く舞い上がり、三人を凄まじい風が襲う。