第28回 北方の戦い
崩れた守備砦。
睨み合うフレイストとジャガラ。
風で舞う砂塵は、二人の足元まで上がり、人知れず消え行く。
鱗の様な形の刃の平が、日光を浴び煌びやかに輝きを放つ。
揺れるオレンジブラウンの髪は、フレイストの美しいグリーンの瞳を隠すかの様に左右に行ったり来たりを繰り返す。
そんなフレイストと対峙するジャガラ。
黒のマントが風で激しくはためき、長く目を隠すほど伸びた黒髪から時折覗く蒼い瞳。穏やかなその瞳の奥底に、何か冷たく恐ろしい悪意の様な物が秘められていた。
「その様な大きく小回りの利かない剣で、俺の相手が務まるのか?」
「鱗龍を、甘く見るな」
フレイストは、そう呟き鱗龍と呼ぶ大剣の切っ先をジャガラの方に向け、中段の位置に構えジッとジャガラを見据える。動かずジャガラと視線をぶつけるフレイストには、自信があった。長い間、培った自分の剣術に。だが、それはジャガラの前では無意味だと、すぐに知る事となった。
砂塵が先程までジャガラがいた所に舞い上がる。先程まで……。そう。もう、そこにジャガラの姿は無い。フレイストの視界から、いや。その場から一瞬で姿を消した。その時、地面を蹴った衝撃で砂塵が舞い上がったのだ。そして、フレイストがそれに気付いた時には、背後から首筋に冷たく鋭いものが向けられていた。
「クッ……」
「これで、終わりだ。儚い命だったな」
ジャガラの右腕に握られたナイフ。その刃が微かにフレイストの首筋に食い込み、真っ赤な血が、ナイフの刃に流れ行く。だが、すぐにナイフの刃がフレイストの首筋から離れた。それは、ジャガラの意思ではない。フレイストが素早く体を左に傾けたのだ。
宙を舞う真っ赤な血。それが、フレイストの首筋から、ジャガラの持つナイフの刃まで繋いでいる様に一瞬見える。その瞬間、肩越しにジャガラと目が合うフレイストは、左足を軸にして体を反転させ、鱗龍を振り下ろす。しかし、刃は空を切り、刃を振り下ろした勢いで砂塵だけが舞い上がる。
「なっ!」
驚くフレイスト。無理も無い。そこに、ジャガラの姿は既に無いのだから。鱗龍を構え直し辺りを見回すフレイストは、背筋に殺気を感じ、振り返る。その直後、ナイフの刃がフレイストの右頬を切りつけた。血が飛び散り、ズキッと痛みが走る。顔を顰めながらその場を飛び退くフレイストは、地に右膝を着きながらも鱗龍を構えた。
「まだ、わからない様だな。俺は、お前よりも速い。遥かに。お前のその剣は俺を傷つける事は出来ん」
「私は退く事はない。この国を守る為。人々を守る為。私は……」
「力の無い者に、何かを守る事は出来ん。何かを背負うと言うのは、それ相応の力を持ち合わせて言う台詞だ。残念だが、お前にはその台詞を使う資格は無い」
落ち着き払い、冷酷な眼差しでフレイストを見据える。ジャガラの言った言葉は、フレイストの胸に重く突き刺さった。それは、ジャガラが言った通りだからだ。力も無いのに、人々を守るなど、出来るはずが無い。ましてや、国などと言う大きな重荷を背負えるはずが無いのだ。自分の無力さに湧き上がる怒り。今まで、自分は何をしてきたのかと、自分に問いかける。他の種族よりも長く生き、自分は一体何を……。
湧き上がる怒りを全て自分にぶつけるフレイストは、歯を噛み締めギシギシと軋ませる。もちろん、鱗龍の柄を握る手も力が入った。切れた右頬から流れる真っ赤な血が、右頬全体を真っ赤に染め、テンテンと鱗龍の刃の上に滴れる。
「怒りは、己の身を滅ぼすだけだ」
「これ以上。人々を傷つけさせはしない」
「まだ、そんな事を言うか。さっきも言ったはずだ。力の無い者に――!」
驚くジャガラは、咄嗟に後方に体を仰け反る。そのジャガラの目の前を鱗模様の刃の平が通り過ぎた。そう、いつの間にかフレイストが間合いを詰めており、鱗龍を振りぬかれていたのだ。咄嗟にそれをかわしたジャガラだったが、前髪だけが少しだけ宙に舞う。
完全に仰け反りバランスを崩しているジャガラに対し、鱗龍を振り抜いたフレイストは、手首を捻ると鱗龍の刃を立て、そのままジャガラに振り下ろす。刹那、ジャガラの姿が視界から消える。振り下ろされた鱗龍は勢いよく地面を叩き、地面が砕ける乾いた音が響き渡る。
砕けた地面に埋もれる鱗龍の刃は、瓦礫を弾きながらゆっくりと持ち上がる。顔を上げるフレイストの視線の先には、少々目付きを変えたジャガラの姿があった。荒げる息を口から吐き出すフレイストは、重々しく鱗龍を構えると、地を駆ける。フレイストが踏み込むたびに地面が砕けその音が徐々に速くなる。
鋭い目付きのジャガラは、黒マントの下に両腕を引き、体全体を黒マントで包み込む。目を伏せジッと動かないジャガラに、迫るフレイストは、左足を踏み込むと同時に力強く鱗龍を振り抜く。刃は風を切り、微かに揺らぐ。それでも、真っ直ぐジャガラの黒マントを捉えた。
刃が黒マントに食い込み、二つに裂く様に横一線に刃は進む。二つに裂かれた黒マントだけが宙に舞い、ヒラリと地面に落ちる。
「多少、素早く動ける様になったが、俺のスピードにお前はついてこれない」
「――ッ!」
斬り付けられた。背後から。右肩から斜めに真っ直ぐにナイフを下ろされたのだろう。服が大きく裂け、真っ赤な血が服の切れ目から少し覗く。その真っ赤な血の線の他に、フレイストの背中には大きな傷痕が残っていた。それは、痛々しく無残なほどの傷痕だ。その為、この程度のナイフの傷など、全く可愛げがあった。
前方にふらつくフレイストは、右足に力を入れ踏み止まると、そのまま地を蹴る。右足が力強く地を蹴った瞬間に、地面が砕け砕片が飛び散る。左足を軸にして振り向き様に鱗龍を振り抜くフレイストだが、鱗龍は無情にも空を切る。
「クッ!」
「大振りだ。それでは、切れるものも切れない」
「――グッ!」
やはり、背後から切りつけられる。次は、左肩から斜めに。服がクロスに裂かれ、真っ赤な血がエックスを描く。古傷が痛む。斬り付けられた傷よりも強烈に。歯を食い縛り痛みに耐えるフレイストは鱗龍を地面に突き刺し、それを支えにして何とか立つ。激痛が体中を駆け巡るフレイストは、視界が霞んでいくのを感じる。
そんなフレイストの視界に映るジャガラの姿。長い黒髪に、細い足。体を覆うのは煌く無数のナイフ。様々な大きさのナイフを所持するジャガラは、真っ直ぐフレイストを見据えて持っていたナイフを持ち替える。刃渡りの長い物に。
「終わりの様だ。お前の運命も……」
「ウッ……。安心しろ。私が死ぬ時は、お前も道連れだ……」
「強がりはよせ。お前に、俺を道連れにする力など、残っているはずはない」
そのジャガラの言葉に、軽く笑みを浮かべるフレイストは、鱗龍の柄から手を放しフラフラながらもその間に踏み止まる。そして、目を閉じ静かに口を開く。
「我が体に宿り、眠り続ける龍よ。今、目覚め我が身から解き放たれ大空を舞え! 降臨せよ!」
「まさか! お前、死ぬ気か!」
その言葉に笑みを浮かべるフレイストを中心に、突風が吹き荒れる。砕片がその突風に煽られ地面を転がり、崩れかかっていた砦の壁は音を立て崩れ落ちる。ジャガラの着ていた真っ二つに裂かれた黒マントは、その風に乗り空高く舞い上がる。
目を見開くフレイスト。グリーンの瞳が艶良く輝く。薄らと涙が浮んでいたからだ。「さよなら」と、小さな声で呟くフレイストだが、その声は誰にも届かない。そんなフレイストの体に亀裂が走る。激痛と共に。声すら上げる事の出来ない程の痛みは、胸を貫くかの如く鋭い。亀裂は徐々に大きくなり、微かにフレイストの体の奥底で龍のけたたましい声が響く。
ご無沙汰しております。崎浜秀です。
ようやく『クロスワールド』も28回を迎えました。第一幕から数えると、128回。
結構な回数やってるんですね。ここにきて、殆ど更新されてませんが……。
読者の皆様には、本当ご迷惑をおかけしております。これからも、『クロスワールド』をよろしくお願いします。