第175回 風魔の玉を奪え
カインの放った炎の刃の衝撃を受け、ティルはひび割れた床を転げた。
未だ銀狼から受けた打撃のダメージの抜けていないティルは、そのまま仰向けに倒れ動かない。視点が僅かにブレ、ティルの意識は半分飛んでいた。
銀狼もその衝撃で床を転げたが、すぐに体勢を整えカインの方へと視線を向ける。二人の視線が僅かに交錯し、カインの髪は元の金髪へと戻る。
「うくっ……」
よろめき、左手を膝に置いたカインは、荒々しく両肩を揺らす。残り少ない体力で力を使った所為だった。呼吸を乱すカインに対し、銀狼の方も肩を揺らし不敵に笑う。
「ふふっ……どれだけ頑張ろうが、体力的にコッチに分がある。幾らでも回復するんだからな」
銀狼の言葉にカインは奥歯を噛み締める。言ってる事は正しいからだ。
青天暁の柄を握り締め、口を開き苦しそうに呼吸を繰り返す。何とかして風魔の玉を奪わなければと、眉間へとシワを寄せた。
そんな二人を見据えるノーリンは、ゆっくりと立ち上がる。
「おい。大丈夫かよ?」
「ああ。平気だ」
「んじゃ、そろそろ、俺も参戦するか」
屈伸運動をするウィンスが、右手に牙狼丸を握り銀狼の方へと目を向けた。だが、銀狼は全く相手にしていないのか、カインをジッと見据えウィンスの視線に気付く事は無かった。
「…………」
「眼中に無いって事だな。まぁ、なんだかんだ言っても、お前も膝が笑ってるぞ」
と、カシオは床に座り込んだまま震えるウィンスの膝を見据える。リリアの歌で回復したとは言え、ウィンスもそれなりの戦いをしてきたのだ。ましてや、ノーリンとバルドを探し、この廃墟となった街を全力疾走してきたのだ、体力などとうに底を尽きていた。
それでも、ウィンスは無理に膝を曲げもう一度屈伸すると、「大丈夫、大丈夫」と口元に笑みを浮かべる。
最年少であるウィンスの姿に、カシオも呆れた様に小さく吐息を漏らすと、床に右手を着きゆっくりと腰を上げた。
「しゃーねぇー。俺も……もう少し頑張りますか!」
関節が軋み痛むが、それでも奥歯を噛み締め、思わず発してしまいそうな声を押し殺す。何とか激痛に耐え立ち上がったカシオの足元がよろめく。それでも、カシオは倒れるのを堪え、俯き歯を食いしばる。
「ふぅー……くふっ……」
奥歯を噛み締めたまま呼吸を続ける。それほどまで、カシオの関節と言う関節が激痛を全身へとめぐらせていた。何とか立っていると言った感じのカシオに対し、ウィンスは呆れた様に笑みを浮かべる。
「無理すんなよ」
「うっ……うるへぇー……む、無理なんて……してねぇーぞ」
苦しそうに途切れ途切れに言うカシオに、ウィンスは小さく吐息を吐く。
「しかし……ワシ等に残された体力も僅かなのは、変わりない。満身創痍の状態なんじゃ。策を練らねばな」
腕を組み銀狼を見据えるノーリン。今までの話から、自分達がするべき事は風魔の玉を銀狼から奪う事。それだけに焦点をあわせ、ノーリンは頭を働かせる。だが、どうしても決め手に欠いてしまう。それは、この場にいる皆が手負いで、残り僅かな体力しかないと言う事も原因だった。
こう言う事なら先程の策に全力を尽くすのではなかったと、僅かながらノーリンは後悔した。確かにあの一撃は銀狼に多大なダメージを与えたが、結局銀狼の持つ再生能力の前にはそれも無意味だったからだ。
「ふふっ……どうやら、万策尽きたか?」
長考するノーリンの姿に、銀狼がカインを見据えたまま呟いた。銀狼は分かっていたのだ。この中で誰が策士なのか。先程の策も、ノーリンが考えたモノなのだと。
返答せず黙るノーリンの態度に、銀狼は確信する。もう打つ手は無いと。自らが持つ風魔の玉を奪う事など誰も出来ないと。だから、その口元に薄らと笑みを浮かべた。勝ちを確信して。
しかし、ノーリンの耳には届いていた。何処からとも無く地を駆ける音が。そして、それが、この現状を打破する救いの足音である事も。その音に意識を集中し、細長い目をゆっくりと見開く。
「ウィンス!」
突如ノーリンが叫ぶ。それと同時に、ウィンスが走り出す。銀狼へと向かって。初速の第一歩で地面が砕けウィンスの体が前のめりになり、二歩目でその体を前方へと押し出す。爆発的なスタートで、一気に銀狼の間合いへと入り込んだ。
現状使える最大出力での突進だった。その捨て身の突進に銀狼の視線はカインから離れウィンスへと向く。
「くっ! 何処から、こんな力を!」
勝ちを確信し油断していた為、反応が僅かに遅れる。左足を退き、ウィンスの方へと体の向きを変えるが、その時にはもうウィンスは銀狼の懐に入り込み、二人の距離はほぼ0に等しい距離だった。二人の視線が交錯する。銀狼を見上げる低い体勢のウィンス。一方銀狼の上半身は大きく仰け反り、ウィンスを見下ろす形となっていた。
銀狼の右腕が大きく頭上へと伸びる。その手の中に輝く瑠璃色の玉。風魔の玉をウィンスは見据え、そこに向かって左腕を伸ばす。
「くっ! ふざけたマネを!」
銀狼が精一杯に腕を伸ばし、鼻筋にシワを寄せる。身長差的に言って、小柄なウィンスが幾ら手を伸ばそうが、銀狼の手から風魔の玉を奪う事は不可能。そんな事を承知でウィンスを突っ込ませたノーリンへと視線を向ける。何を考えているんだと、言わんばかりに。
その時、銀狼の瞳孔が開く。ノーリンが誰かに合図を送る様に右手を上げているのが視界に入ったからだ。一体、誰に……。そう頭に過るその瞬間、耳に届く。風の逆巻く音が。そして気付く。ウィンスの体が宙へと浮き上がっていくのが。
「くっ! きさ――」
驚く銀狼の目の前を一本の風の矢が通過し、その矢を踏み台にし、ウィンスは上空へと高らかに舞った。銀狼の持つ風魔の玉を奪わないままに。全く考えが読めないと、銀狼は上空に飛んだウィンスを見上げ、そこで銀狼はハッとする。今、自分は目を離しては行けない危険人物から目を離したと。
すぐに振り返り、カインの方に体を向ける。だが、カインは先程まで居た位置から変わっておらず、銀狼はそれに安堵し、静かに息を吐くとその肩から力が抜けた。それと同時に一瞬だが風魔の玉を握る力も緩んだ。
安心しきったその銀狼にも、ようやく一つの足音が聞こえる。ノーリンが聞いた静かで軽やかな足音。その主は風の様にノーリンの横をすり抜け、その場にいる全ての者の目を惹いた。ただ一人銀狼だけを除いて。
足音が聞こえ、その気配に気付き素早く振り返った銀狼。その視界に飛び込む。白銀の毛を揺らす一体の狼。それはまさしく銀狼と呼ぶに相応しい風貌の狼だった。大きく開かれた口からむき出しとなった鋭い牙がそんな銀狼の右腕に喰らい付く。肉を裂く鈍い音が聞こえ、血飛沫が舞う。遅れて轟く銀狼の苦悶の叫び。そして、その手から空へと投げ出された一つの玉。その玉は上空に居たウィンスの手に導かれる様に収まった。