第167回 銀狼の力
フォンの体を完全に支柱に収めた銀狼の高笑いが響く。
大気を震わせ、周囲の空気を震わせるその声にゼロは口元に不適に笑みを浮かべる。
一方で、ティルは焦り、フレイストは全身に走る痛みに表情を歪めながら体を起き上がらせた。圧倒的な力を見せ付けられた。ゼロとの戦いで弱っていたはずの銀狼を相手に傷をつける事は出来ず、逆に銀狼の体力が回復しただけだった。
拳を握り表情を歪め膝に手を置くと、フレイストはゆっくりと立ち上がる。
「フレイスト!」
「だ、大丈夫です……ぐふっ……この程度……」
僅かに口から血が漏れる。それでも、フレイストは立ち上がり、強い眼差しをフォンへと向けた。そんなフレイストの姿に、ティルも天翔姫を握り直しフォンを見据える。
空気が張り詰め、ティルもフレイストも手に汗を握っていた。冷たい風がボロボロの壁から流れ込み、塵が僅かに舞う。息を呑む三人に対し、銀狼はゆっくりと顔をゼロの方に向けた。
ティルとフレイストなど相手にしていないと言わんばかりに、ゼロの方に体を向けなおす銀狼にティルとフレイストの二人は奥歯を噛み締めた。分かっていた事だが、あまりのあからさまな態度にティルは天翔姫の切っ先を銀狼の方へ向け、フレイストは小さく息を吐きその皮膚に鱗模様を浮かび上がらせる。
「さて、始めるか」
フォンの姿をした銀狼がそう告げ、ゼロへと突っ込む。だが、ゼロは「ふんっ」と力を込めると背中から翼を出し空へと舞う。翼が激しく風を起こし、土煙を巻き上げた。銀狼は足を止め、その土煙に目を細め、咄嗟に左腕で顔の前に持っていく。土煙から目を守る為に行った行動だった。この行動により更に視野は悪くなるが、銀狼は不適に笑みを浮かべる。
「ふっ……これが、我を倒す秘策か! 笑わせてくれる!」
力強くそう言い放つ銀狼は僅かな視野の中、周囲を探る様に視線を動かす。その中で、赤い光が薄らと視界に入った。それが何なのか理解する前に、それは業火となり銀狼の体を包み込んだ。
「ぐっ! これは」
業火に包まれ銀狼は気付く。これが、龍臨族の火の息吹だと。
「くっ! あの龍臨族のガキか……」
表情を歪め、その火の吹く方へと視線を向ける。風と混ざり一層火力を増す炎に包まれ、銀狼の美しい鋼の様な白い髪が僅かに黒ずみ、皮膚がただれ始めた。しかし、銀狼はその表情に僅かな笑みを浮かべると、息を大きく吸い込む。
その行動の最中、視線の先に何かが煌いた。そして、ティルの姿が土煙の向こうに映り、その手に握る漆黒の刃が舞い上がる土煙を引き裂き、空を一閃。
「ぐっ!」
吸い込んだ息が口から漏れ、首筋を僅かに切っ先が掠め鮮血が迸る。体勢を大きく崩し、後方へとよろめく銀狼に、土煙の向こうから姿を現せたティルは、追い討ちを掛ける様に右足を踏み込むと、振り抜いた刃を引き、一気に突き出す。
しかし、銀狼は上半身を大きく仰け反らせ刃をかわす。顔の前を通過する漆黒の刃は、彼の鋼の様な髪を掠め、僅かに火花を散らせた。
「ちっ!」
小さく舌打ちをしたのはティル。一方で、表情をしかめる銀狼は、仰け反らせた上半身を捻ると、そのまま横に跳び体勢を整えた。僅かに床をすべり、足元に砂塵を巻き上げ、体にまとわりついた炎を振り払う様に体をゆすり、ティルの方へと視線を向けた。
土煙の中で、僅かにティルの上半身だけが映り、その顔の横に切っ先を銀狼へ向け構えていた。
「くっ! どの種族にも属さぬたかが人間が……この全ての種族の力を持つ我に傷を……」
右手で首筋の傷を抑えた銀狼の目が狂気に変わる。殺気が満ち溢れ、その眼光に殺意が灯る。血の様に赤く染まるその瞳が、獣の様に鋭くティルを睨む。額に浮かび上がる青筋、剥き出しの牙。怒りから逆立つ銀色の毛。足先から飛び出した鋭利な爪は床を捉える様に深く食い込んでいた。
一方で、ティルもその殺意に呑まれぬ様、強い眼差しをフォンへと向ける。正直、膝は震えていた。殺意の篭ったその眼光に――溢れる殺気に――。恐怖し、体はその場に居る事を拒絶する様に身を震わせる。奥歯が小刻みにぶつかり合い、指先はその恐怖から感覚を失う程冷たくなっていた。早まる脈が大きく聞こえ、繰り返す呼吸がやけに耳に残った。
二人の視線が交錯する。恐怖しながらも強い眼差しを続けるティルに、銀狼はゆっくりと首筋から右手を離すと、その手を床へと落とす。爪が床を捉え、刹那にフォンが一気にティルへと飛び出した。
獣の様に四速歩行で、一気にトップスピードへと入ったフォンだったが、その直前、衝撃が背中を襲い地面へと腹ばいに叩きつけられた。
「ぐふっ!」
「君の相手はこの俺だよ」
空中で舞っていたゼロだった。チャンスを窺っていたのだろう。上空から一気に降下し放った蹴りで、フォンの体は深く床へと減り込み、衝撃で周囲の土煙は吹き飛び、床には波状の跡が円形に残された。
すぐにその場から飛び立つゼロは、ティルの方に僅かに視線を向ける。そのゼロの視線を受け、ティルもすぐにその場を飛び退き、フレイストの横に並び天翔姫を構え直した。
床にひれ伏したまま動きを止める銀狼の姿に、フレイストは息を呑みティルへと僅かに視線をずらす。
「動きませんね」
「……ああ」
僅かに頷くティルの眼差しにフレイストも視線を銀狼の方へと向けた。二人の視線を浴びる地面に減り込む銀狼の肩が僅かに揺れる。静かな動き出しに、その場の空気は一気に緊迫する。息を呑むティルとフレイストは、僅かに足を退く。一方で、ゼロは拳を握り奥歯を噛み締めた。
「くっ……くっくっくっ……」
静かな笑い声がその場に流れ、ティル・フレイスト・ゼロの三人は咄嗟にその場を飛び退く。反射的に行った行動だった。体を起こす銀狼が放つ威圧的な空気がそうさせたのだろう。ほぼ同時に飛び退いた三人は、鋭い眼差しを銀狼へと向け、臨戦体勢に入る。
張り詰める空気の中で、ゆっくりと起き上がった銀狼。その視線が三人の体を一層硬直させる。
「……いい度胸だ。この体に馴染むまで、力を出すつもりは無かったが……本気でつぶす!」
殺気に身震いするティルとフレイストに対し、ゼロは眉間にシワを寄せると、大きく翼を広げ空へと舞い上がる。だが、その瞬間、爆音が轟き、ゼロの視界に銀狼の姿がアップで映る。
「――ッ!」
「何度も同じ手を食うと思うな」
その声と同時に銀狼の両手がゼロの頭を掴み、そのまま手前へ頭を引き込むと右膝をその顔にぶつけた。鈍い音が響き、ゼロの顔が大きく後方へと弾かれる。鼻から血が噴出し、上半身は流れる様に後方に仰け反る。だが、銀狼はすぐに胸倉を掴むとそのまま地上へと叩きつける様に力いっぱいにゼロの体を引いた。
衝撃と共に舞い上がる土煙。激しく轟く床の砕ける音に、ティルとフレイストはただ呆然とする事しか出来なかった。飛び立ったはずのゼロが、一瞬にして床へと叩きつけられたのだ。驚くしかなかった。
うつ伏せで床に倒れるゼロは、ゆっくりと拳を握り体を起こそうとするが、その背中に銀狼が降り立つ。荒々しくその両足で背中を踏みつける様に。