第166回 銀狼の真実
ゼロは静かに語る。
シュナイデルと呼ばれる男が行った過去の過ちを。
初めは魔獣と魔獣を掛け合わせるだけの実験だった。だが、シュナイデルはそれでは知能が足りないと、人と魔獣を掛け合わせる実験を行った。誰もがその実験に反対し、やがて彼は孤立する。そして、彼は自らの体を媒体に遂に実験を成功させた。
その時生まれた生物が、獣人と魔獣人の始まり。そして、一番の過ちだった。
静かに語るゼロの言葉に、ティルは背筋が凍る。シュナイデルと言う男の行う実験に。狂っているとしか言い様の無いその実験の数々に、握った拳を震わせる。
「ふざけるな! な、何でそんな実験を!」
ティルが叫び左手を大きく外へと振り、鋭い眼差しをゼロへと向けたまま唇を噛み締める。
「何で……か。それは、彼が研究熱心だったから……かな?」
「ふざけるな! 何が研究熱心だ! 人を何だと思ってるんだ!」
「さぁな。奴にとって人なんてただの実験体だったに過ぎないんだろ」
ゼロの言葉に眉間にシワを寄せ睨むティルに、ゼロは静かに笑う。そんなゼロに奥歯を噛み締めたティルは、天翔姫を握り締め右足を踏み出す。
「ふざけた事ばかり……」
「ふざけてなんか無いさ。彼はいたって真剣だったよ」
体重を右足に乗せ飛び出そうとするティルを止める様に、右手を前へと差し出したゼロは、静かにそう告げると悲しげな瞳をゆっくりと伏せた。
沈黙が数秒程続き、その間、激しい轟音がティルの背後から聞こえ、天井が僅かに崩れる。それでも、二人は間合いを保ったまま対峙し動かない。やがて、静かにゼロの瞼は開かれ、口元に微かに笑みが浮かぶ。
「彼は自らの体を媒体に作り上げた。全ての種族の細胞を持つ生物……名を“銀狼”」
(銀狼!)
ゼロの発した銀狼と言う単語に、ティルは思い出す。以前、この街でフォンが処刑されそうになった時の事を。そこで、国王は言った。銀狼の血を引く者の処刑だと。だが、何処か腑に落ちなかった。何故、その生物が銀狼と呼ばれていたのかだ。彼は人。何故狼と言う名が付けられたのか、分からなかった。
そんなティルの疑問を悟ったのか、ゼロは静かに笑う。
「不思議そうだね。もしかして、銀狼と言う名の事かい?」
「ああ。何で、その生物が銀狼何だ! 人体実験だろ?」
「ふふっ……君はここで何を見た?」
「ここで?」
ゼロの問いにティルは首をかしげた。ここで何を見た。一体、何の事か分からず眉間にシワを寄せると、ゼロは肩を竦める。
「ふぅ……それじゃあ、君はあの巨大な生物を何だと思う?」
「巨大な生物?」
ゼロの問いかけで、ティルはこの街に来た時に現れた大きな狼の事を思い出した。いや、狼と呼ぶにはあまりにも巨大なモノだった。だが、ソイツが今の話と何のつながりがあるのか分からず、ただ唇を噛み締めるティル。
まだ分からないのかと、言いたげに肩を竦めたゼロは、小さく吐息を漏らす。ゼロのその態度にティルは一層視線を鋭くすると、更に右足に体重を乗せる。
「そう怒る事無いだろ? これでも、俺は君を高く評価してる。俺から説明しなくても、ここまでヒントを与えれば、自分で銀狼とは何かを導けると、思っている」
「ふざけるな。俺は、お前が過去について話すと言うから付き合ってやってるんだ。そのつもりが無いなら――」
ティルが地を蹴り、降り注ぐ砕石をかわしゼロへと迫る。迫るティルに対し、小さく吐息を漏らしたゼロにティルは天翔姫を振り抜く。最小限の動きでその刃をかわしながら、ゼロは話を続ける。
「銀狼。その姿は巨大な狼。ロイバーンは、銀狼をモチーフにしてあの生物を作ったんだ」
「見た目が狼で、毛並みが銀色。それなら、あの狼と何の違いがあるって言うんだ!」
「ふっ。言っただろ。ソイツは全ての種族の細胞を持っている」
上半身を仰け反らせ、右から左へと流れる切っ先をかわし、そのままバク転で距離を取る。
「その牙は頑丈で全てを噛み砕く。それは風牙族の風の力の如く」
「ふざけろ!」
更に踏み込み突きを見舞うと、それを体を左にそらしかわしたゼロは、そのままティルの背後へと回る。
「その肉体は烈鬼族の様に鍛え上げられ、体を覆う皮膚は龍臨族の龍の鱗の様に頑丈」
「くっ!」
振り向き様に刃を振り抜く。だが、ゼロは左腕を硬化し、刃を受け止める。僅かに散る火花、響く金属音に、ティルは奥歯を噛み締め、その場を飛び退く。
「その体に巡る炎血族と同じ炎の血。更にどれだけ傷つけても再生する癒天族の力を持つ」
「はっ!」
右足を踏み込み切っ先を突き出すが、ゼロはそれを硬化した左腕で外へと払うと、右手でティルの腹部へと掌底を見舞う。激しい衝撃を受け後方へとよろめくと、ゼロは静かに息を吐きながら言葉を続ける。
「その頭脳は天賦族の知識を持ち、その目は時見族の様に未来を視る」
「ぐふっ……」
「空鳥族の様に空を舞う事も出来、水呼族の様に水中で呼吸する事が出来、地護族の様に周囲の自然をエネルギーとする事が出来た」
ゼロはゆっくりと大手を広げ、ティルは右膝を地に落とし蹲る。口から吐き出された血が床へと滴れ、苦痛に表情が歪む。右手に持った漆黒の刃の天翔姫を床へと突き立て、膝を震わせ立ち上がるティルに、ゼロは広げた腕を下ろすと、安堵した様に静かに息を吐く。
そんなゼロとティルの視線が不意に重なる。その瞬間、ティルは妙な感覚に眉間にシワを寄せた。
「お前……」
「フッ……俺の話は終わりだ。それより、いいのかい? 彼一人に任せて?」
と、ゼロが背後に佇む巨大な砕石を親指で指差すと、その砕石に亀裂が走る。
「なっ!」
“ガアアアアアッ!”
「ぐあっ!」
咆哮が響き砕石が砕け、それと一緒にフレイストの体がティルとゼロの間に転がった。激しい衝撃が土煙と一緒に流れ込み、ティルは目を伏せ、ゼロは僅かに口元に笑みを浮かべた。
「ぐぅっ……」
「フレイスト!」
横たわるフレイストに、駆け寄ろうと声を上げるが足が動かなかった。膝が震え、天翔姫を床に突き立てて支えているだけで精一杯の状況。最悪の展開に、ティルは奥歯を噛み締める。やがて、崩れた砕石の向こうから静かな足音が聞こえた。
「龍臨族……どの位の時が流れたかは知らないが、ここまで弱くなったか」
「くぅ……化け物め……」
仰向けに倒れながら僅かに体を起こしたフレイストがそう呟くと、土煙の向こうから姿を見せたフォンの姿をした銀狼が不適な笑みを浮かべた。
ゆっくりと流れる時が一瞬止まってしまった様な錯覚。心音が僅かに早まる感覚をティルは感じ、息を呑む。ゼロとの戦いでフォンの肉体は殆ど弱っていたと言うのに、今はもう殆ど全快の状況だった。癒天族の治癒の力と烈鬼族の活性化。この二つの能力が銀狼の体の再生を早めているのだ。
「驚く事は無い。これが、銀狼だ。と、言っても、奴はまだ覚醒したわけじゃない。今なら――」
「倒せる。そう思っているのか?」
「ああ。思ってる。確実に仕留める方法がある」
「ふっ……戯言を。ならば、やってみろ! 貴様の言うその方法を!」
大手を広げ、高らかに笑う。その声が崩れて穴になった天井を突き抜け、飛行艇を激しく揺らした。その声に、ワノールは硬く拳を握り、ブラストは焦り奥歯を噛み締めた。