第163回 目覚めさせてはいけない力
爆音が轟き、周囲に衝撃が広がる。
フォンとゼロの戦っていたエントランスはもう原形を保っていない。
砕かれ幾重にも重なり陥没する床。
ひび割れ穴の開いた壁。
途中から足場の無い階段。
天井には大きな亀裂が複数走り、衝撃に粉が僅かに降り注ぐ。
完全に姿を変えたフォンは、その銀色の鋼の様な髪を揺らす。肉体は何倍にも膨れ上がり、口元には二本の牙が薄らと見えていた。
真っ赤に染まったその瞳は目の前のゼロへと向けられる。
硬化し黒光りするゼロの体。だが、その体には僅かな亀裂が走っていた。幾度と無く襲い来るフォンの拳によるモノだった。
僅かに表情を引きつらせるゼロの体が元の肌の色へと戻ると、その亀裂が弾け鮮血が飛び散った。
「ぐっ……。まさか、硬化した体に傷がつくなんて思ってなかったよ……」
呟き傷口を右手で押さえる。僅かに呼吸が乱れ、今まであった余裕もその表情から消えていた。それほどまで暴走したフォンは驚異的だった。
ふら付き息を切らせるゼロの視界からフォンの姿が消える。
「くっ!」
声を漏らしすぐに体を硬化する。だが、それより先にフォンの右手がゼロの顔面を鷲掴みにすると、そのまま床へと叩きつけた。衝撃音が轟き、衝撃が砕石と土煙を舞い上げる。床は陥没し、波紋状に割れた床が突起していた。
“ぐおおおおおっ”
ゼロを地面へと叩き付けたフォンは、その頭から手を離し体を仰け反らし雄たけびを上げる。
空気がピリピリと振動し、天井から静かに粉が落ちる。亀裂の走った壁は軋み、積み重なった瓦礫は崩れ落ちた。
頭から血を流すゼロは、ゆっくりと瞼を開き、目の前で雄たけびを上げるフォンを見据える。目覚めさせてはいけないその力の前に、唇を噛み締め拳を握る。
「ぐっ……キミは、いつもそうだ……。自らを……犠牲にして……」
“があああああっ!”
ゼロの途切れ途切れの声に気付き、フォンは両手を組み振り上げると、その手をゼロの腹へと振り下ろした。鈍く重々しい音と、床が砕ける甲高い音が重なり、ゼロは大量の血を口から吐く。衝撃が陥没した床を更に陥没させ、ゼロの体は僅かに床に減り込んだ。
そのまま、幾度と無く振り下ろされるフォンの腕。その度に地響きが起き、床の砕ける音が響く。
意識が朦朧とするゼロ。体をギリギリ硬化しているが、それでもその打撃は体の芯まで届く程重いものだった。腹を叩かれる度に上半身が僅かに浮き上がり、何度も口から血を吐く。骨が軋んでいるのか、床が砕けているのか分からない程痛々しい音が響く。
やがて、フォンは動きを止め数歩下がる。ようやく、その拳から解放されたゼロだが、フォンはそのゼロの胸倉を掴み上げると、大きく振り被り壁へとゼロの体を投げつけた。
「ぐふっ!」
背中から壁へと激突し、体が弾かれる。壁はその衝撃で陥没し瓦礫を僅かに床へと落とした。弾かれたゼロの体は床に落ちると、崩れた階段から上半身だけがうな垂れる様に横たわる。
弱々しい呼吸。薄れる視界。あまりの衝撃に鼓膜がイカれたのか、音すら聞こえない中、ゼロは静かに笑う。最悪の状態で尚不適に笑い、両肩を小刻みに震わせる。
「くくっ……くくくくっ……」
その静かな笑い声に、フォンは両拳を床に着き喉を鳴らしその様子を窺う。野性的な直感で何か危険を感じとったのだ。
漂う重々しい雰囲気。ゼロの周囲から渦巻く僅かな気配。暴走する前のフォンの様子と僅かに似通ったその状況に、フォンは鼻筋にシワを寄せ、威嚇する様に喉を鳴らし続ける。
ゼロの体の亀裂は小さな音をたてながら、その亀裂を広げていく。体を覆っていた黒光りする硬化された皮膚がボロボロと崩れ落ち、背中を裂く様に出来た一筋の大きな亀裂の合間から二翼の翼が飛び出す。美しく鮮やかな輝きを放つ漆黒の翼が一枚一枚その羽を大きく広げた。それと同時に硬化したゼロの皮膚が弾け飛び、無傷のゼロが姿を見せた。
「まさか、この力を使う事になるとは思わなかったよ」
不適な笑みを浮かべるゼロ。今までフォンと同じ様に力を押さえ込んでいたが、度重なるフォンの打撃によりその力が解放され、半獣化状態になっていた。
背中から生えた翼、漆黒の髪は僅かに青味を帯び、鋭い目の奥に赤い瞳が浮かび上がる。フォンと違いちゃんと意識を保つゼロは、空を舞いながら深く息を吐く。外傷は無いが、体に刻まれたダメージが消えたわけではなかった。
両者が睨み合う事数秒。先に動き出したのはゼロだった。急下降し一気にフォンとの間合いを詰める。風を切り高速で迫るゼロだが、その動きに合わせる様にフォンの左足が踏み出され、上半身が僅かに傾く。
「くっ!」
「うがああああっ!」
雄たけびと同時に振り出されるフォンの右足。だが、その直前ゼロは急上昇する。つま先がゼロの鼻先スレスレを大きく空振り、その蹴りで起こった風がフォンの前方に転がる瓦礫を吹き飛ばした。
爆音轟く中、上空では翼を羽ばたかせ、息を切らせるゼロ。まさか、あの動きに蹴りを合わせてくるなどと、思っていなかった。額から薄ら流れる汗を左手で拭う。
「流石に、今のは安易に突っ込み過ぎたかな……」
薄らと笑みを浮かべるゼロの鼻から静かに血が流れた。表情を一瞬でしかめるゼロは、その血を右手で拭い荒く息を吐いた。
その様子を窺う様に見上げるフォンは脱力する様に肩から力を抜くと、その口を静かに開く。
「この体は良い」
「――!」
突然、発せられた声にゼロは驚愕し、目を見開いた。瞳孔が僅かに広がり、すぐに眉間にシワが寄る。明らかにフォンとは違うその声質。これが、フォンの中に眠っていた化け物の本性。
自らの拳を握り、自らの体を見据える。そして、またゼロへと視線を向け不適に笑う。
「感謝するぞ。この肉体をくれた事を。前回は不完全な状態だった。だが、今回は違う」
「ふざけるな。貴様の呪いの所為で、俺もフォンも!」
「くくくっ……。そうか。貴様、あの時の……」
肩を揺らし笑うフォンに、ゼロは唇を噛み締める。唇が切れ血が流れる。握り締めた拳を震わせるゼロは、また急激に降下する。それと同時に自らの体を硬化する。
「それはもう見飽きた」
ボソッと呟くと、左足を引き体を横にしゼロの突撃をかわす。
「なっ!」
「あの時から、どれだけ成長したんだ?」
高速でフォンの目の前を通過するゼロの耳にそんな声が届いた。身を翻し地に足を着き急ブレーキを掛けたゼロは、土煙を舞い上げながら壁スレスレで動きを止めた。床には二本の線がゼロの足まで伸び、漂う土煙は静かに消えた。
二人の視線が交わり、両者が拳を握る。動き出す。ほぼ同時に。瞬発力を生かしたフォンが一瞬で間合いを詰め、その拳を一気に突き出す。最小限の動きでその拳をかわしたゼロは、カウンターで合わせる様に前掛かりになったフォンの顎に向かって拳を突き上げる。だが、その拳は空を切った。ゼロ同様最小限の動きでかわしたのだ。
「くっ!」
「隙だらけだ」
不適に囁いたフォンは左拳を握り締めると、がら空きになった右脇腹へと拳を振り抜く。重々しい鈍い音が僅かに聞こえ、ゼロの眉間にシワが寄った。