第161回 フォン対ゼロ
何度も地面を跳ね、フォンの体は壁へと激突した。
衝撃で壁が崩れ土煙が舞い上がる。瓦礫に埋もれたフォンの姿を見据えるゼロは、小さく息を吐くと、背中の漆黒の翼を仕舞う。
静まり返った広間に、砕けた壁の隙間から風が吹き込む。土煙がその風で吹き消される。僅かに瓦礫が崩れ、瓦礫の中から鋭い爪が突き出す。遅れて額から血を流すフォンが顔を出し、両肩を大きく揺らしながらゼロの姿をその視線に捉えた。
腹部が痛み、呼吸が苦しい。口中に広がる血の味に、不快な表情を浮かべ唾液を吐き捨てる。ゆっくりと瓦礫の中から這い出ると、苦しそうに天を仰いだ。
「もう。諦めたらどうだ? フォン。キミじゃ、俺には勝てない」
「はぁ……はぁ……」
ただ、荒い息遣いだけが返って来る。右腕の侵食が早く、もう体の感覚が殆どなくなっていた。ただ、痛みは感じる。ゼロに殴られた腹部も、他にも全身痛みが走っていた。うごめく右腕に、フォンは表情を歪め深く息を吐き、左手で右腕を掴んだ。
大きく脈打つ右腕。侵食は肩まで進み、やがて首まで届こうとしていた。衣服で見えないが、体にもすでに侵食は進んでいるだろう。それを今までの経験で感じたフォンは、天井を見上げたままゆっくり瞼を閉じた。
思い出す。これまでの記憶。ティルやミーファに出会った時の事。ここまで来る為の道のり、蘇ってくる記憶に、フォンはもう一度深く息を吐くと、瞼を開きゼロを見据える。鋭く黄色の瞳をジッと見据え、ゼロは静かに笑みを浮かべた。
「まだ闘志は消えないみたいだね」
「ふぅー……ふぅ……」
フォンの呼吸が大分落ち着きを取り戻していた。その回復力にゼロは不適に笑うと、背中にまた漆黒の翼を出し、一気にフォンとの間合いを詰める。
風を切る鋭く高い音が響き、フォンの体を衝撃が襲う。ゼロの肩からの体当たりを受け、体はまた壁へと叩きつけられた。壁が崩れ外の風が一気に流れ込む。よろめきながらも、フォンは決して膝を着く事無くゼロをジッと見据える。
距離を取り着地したゼロは、そんなフォンの姿を真っ直ぐ見据える。二人の視線がぶつかり合い、また静けさが包み込む。
静寂が二人の間に流れ、互いが互いの動き出しを待つ様に睨み合う。その中で、突然風が吹き抜ける。一陣の熱波が。二人の沈黙を裂く様にひび割れた壁をぶち破り。激しい爆音が轟き、広がる熱風は土煙を激しく舞い上げた。
「ゼロォォォォォッ!」
突然広間に広がった声に、ゼロは渋い表情を浮かべ、フォンも表情をしかめた。朱色の髪を逆立て、怒りの形相を向けるカイン。右手には白煙の昇る朱色に染まった青天暁が握られ、その視線はゼロへと向けられる。
カインの視線にゼロは小さくため息を吐き、呆れた様に首を左右に振った。そんなゼロにカインは叫ぶ。
「俺は、てめぇを!」
「もう一つの人格かな? 折角、リリアが治癒してあげたのに、早速無理して大丈夫かい?」
「うるせぇ!」
ゼロに向かってカインが駆ける。だが、その行動に対し、フォンは叫ぶ。
「カイン! 止め――」
だが、その声がカインに届く事は無かった。一撃。カインの意識を刈り取るただ一発の蹴りが、右側頭部を激しく殴打し、カインの体は宙を舞う。鈍い音が周囲に響き、カインの体が床をえぐった。グッタリと仰向けに倒れ動かなくなったカインの髪が元の金髪へと戻る。
「ぐぅ」
うめき瞼を開いたカインが、ゼロへと視線を向ける。その視線に、ゼロは僅かに驚いた表情を見せる。
「結構、本気で蹴ったのに、意識を保つなんて驚きだよ」
「ふざ……」
「キミこそ、ふざけるなよ」
カインの体を踏み付け、ゼロは鋭い視線を向けた。殺気を帯びた鋭い視線を。背筋が凍り、カインはただ奥歯を噛み締めた。だが、目はまだ闘志を残していた。その目にゼロは静かに息を吐くと、もう一度カインの体を踏みつける。
「ぐっ!」
床が砕けカインの体が減り込む。砕石が僅かに舞い、カインの口からは血が飛び散る。上半身が僅かに浮き上がり、そこにゼロの右拳が振り下ろされた。
「カイン! 止めろ! ゼロ!」
カインの頭が地面へと減り込み、額からは血が流れ出す。意識が完全に飛んだのか、全く動かなくなった。
すぐに駆け出したフォンだったが、体が思う様に動かない。蓄積されたダメージと、右腕の侵食によりもうフォンの体は完全に獣化しようとしていた。茶色の髪も伸び始め、毛先は銀色に輝き始めていた。
体が重く、どれだけ強く床を蹴っても、カインの所はで全く近付かない。錯覚なのは分かっているが、それほどまでフォンの体は重く、動きが鈍っていた。予兆だと、ゼロはハッキリと分かる。この後、フォンがフォンで無くなると。だから、全力で迎え撃つ。大きく広げた翼を羽ばたかせ、空へと舞い急下降。これで、勝負を決めると言う意志を強くのせ、突っ込んだ。
フォンの目にもハッキリと映る。ゼロが突っ込んで来るのが。すぐにかわそうと、考えたが体が動かない。そうしている間に、ゼロの全力の一撃がフォンの体を弾き飛ばした。
衝撃に体は床を跳ね、爆音と土煙だけを残し、フォンの体は壁へと叩きつけられる。瓦礫がフォンの体にのしかかり、うな垂れる。
静まり返ったその場所で、それは訪れた。唐突に。大きな脈動が轟く。
「ついに来たか……」
ゼロが呟き、フォンの姿を見据える。鼓動が轟き、フォンの体に乗った瓦礫が崩れ落ちる。髪は染まる。銀色に。そして、肉体にも変化は起きる。一回り、二回り、体膨れ、肌は褐色へと変わる。皮膚に浮き上がる亀裂。手足の指から伸びる鋭い爪。最後に長くしなやかな銀色の尾が壁を砕いた。
空気が乾く。ピリピリと肌を刺す感覚。以前、対峙した時とは明らかに違うその風貌、風格。ゼロはその姿に息を呑み、口元には僅かに笑みを浮かべた。
「銀狼……やっぱり、お前がその力を……」
「…………」
野獣の様な鋭い目が開かれ、その奥に血の様に赤く染まった瞳が動く。静かにゆっくりと。静寂の中、瓦礫が崩れる音が僅かに聞こえ、フォンは自分の腕を持ち上げ拳を握る。体の感覚を探る様に静かにゆっくりと動くフォンは、何度か拳を握った後に、静かに息を吐く。薄らと開かれた口元に僅かに見える二本の牙。それが不気味に輝く。
やがて、フォンは立ち上がる。まるで今までのダメージなど無い様に軽い動きで。その動きにゼロの表情が歪む。
「ダメージは無しか……」
ゼロがボソリと呟くと、フォンと視線が交わる。互いが互いをけん制するように睨み合い、フォンの体が大きく仰け反る。
“グガァァァァァァッ!”
咆哮と衝撃が広がり、脆くなった壁が崩れ落ちた。