第160回 変わらない世界
右腕が膨れ上がり侵食が進む。
激痛に表情を歪めるフォンは、奥歯を噛み締め喉の奥から吐き出す様にうめき声を響かせる。
苦しむフォンの姿を見据えるゼロは、その表情を険しくし、翼を羽ばたかせ宙へと浮き上がった。突風が吹き、土煙が巻き上がる。それでもフォンは視線をゼロから逸らさず、ゼロもフォンから視線を外す事は無かった。
そんな重々しい空気の中、フォンは変わり果てた右手の爪を床に突き立てると、床を握り潰しその砕石をゼロに向かって投げつける。
大小様々な砕石を軽々とかわすゼロは、蔑んだ目をフォンに向けた。
「フォン。俺をバカにしてるのか? そんなモノで――」
「バカにして、無い。全力だ!」
ゼロの声を遮り、フォンは床を蹴った。爆音が轟き、衝撃と土煙が広がる。一蹴りでゼロの真下まで移動したフォンはそのまま足を屈めると、力強く床を蹴り跳躍した。床が砕け砕石が舞い上がる。
「ゼロ!」
右拳を握り締め大きく振り被る。そんなフォンに対し、不適に笑みを浮かべたゼロは左手を差し出す。何かをするつもりなのだと、フォンは気付いたがもう振り被った拳を止める事が出来ず一気に突き出した。
ゼロの差し出した左手に、フォンの右拳がぶつかり凄まじい衝撃が二人の間を駆け抜けた。衝撃でフォンの体は床に叩き付けれて、ゼロの体は天井へと叩きつけられる。天井が崩れ瓦礫が落ちた。
「ぐっ……」
「はぁ……はぁ……」
両者共に衝撃に表情を歪め、体がゆっくりと動き出す。起き上がったフォンの呼吸は僅かに乱れていた。侵食が進み徐々に体力が奪われ、意識がもっていかれそうになる。震える右腕を力強く握り締め、フォンは静かに息を吐く。自分の心を静める為に。
乱れるフォンの呼吸に、床へと降り立ったゼロは静かに笑う。だが、ゼロの表情とは裏腹にフォンの拳を受けた左腕は僅かに震えていた。硬化して防いだつもりだったが、それでも尚フォンの拳の破壊力の方が勝っていた。
「流石に、驚いたよ」
「はぁ?」
「硬化しても、その衝撃で左手が動かないよ」
笑いながらそう言うゼロに、フォンは眉間にシワを寄せた。まだコイツは余裕なのだと、はっきりと分かった。
表情を僅かに歪め、フォンは深く息を吐き、鋭い視線をゼロへと向け駆け出す。そんなフォンに対し、ゼロも迎え撃つ。今度は拳を握り締め右足を踏み込む。その行動にフォンは眉間にシワを寄せた。
「くっ!」
「ふっ!」
互いの拳がぶつかり合い衝撃で二人の体が後方へ吹き飛ぶ。上半身が大きく仰け反るフォンに対し、すぐに間合いを詰めたゼロは左拳でフォンの脇腹をえぐる。
「ぐっ!」
骨が軋み、フォンの口から血が漏れる。激痛が体を襲い、表情が歪む。だが、そのフォンに追い討ちを掛ける様にゼロは左拳を引き、同時に右拳を反対の脇腹へと振り抜いた。
「ぐはっ!」
拳が腹部に減り込み、フォンの口から血が吐き出される。よろめき、後方へ後退り左手を膝の上に置いた。息が苦しく瞼が重かった。それでも、ジッとゼロの顔を見据え、静かに右拳を握る。
呼吸を乱すフォンを冷ややかな目で見据えるゼロは、拳を引き小さく息を吐いた。
「これが、俺とお前の差だ。五百年の差」
「それが、何だ……」
「俺はこの五百年、色々なモノを見てきた世界は本当に下らない。同じ過ちを何度も繰り返す」
「人は失敗して、学習する。そして、また先へと進む事が出来る」
奥歯を噛み締め力強くフォンは告げる。だが、ゼロはその言葉をせせら笑うと、悲しげな表情を浮かべた。そして、また小さくため息を吐く。
「その考え方が間違っているんだよ。フォン。人は失敗から学ばない。ただ、同じ失敗を何度も何度も繰り返す。俺は、見てきたんだ。この五百年。ずっと」
ゼロが何を見てきたのか、フォンには分からない。想像すら出来ない。それでも、フォンは強い意志をこめた目でゼロを見据え、力強く言う。
「だからって、何でもしていいのか! 人を殺してもいいのか!」
「ああ。世界を変える為なら、多少の犠牲はつきものだ」
「誰かが犠牲になって作られた世界に何の意味がある!」
「フォン。キミの言い分はおかしい。世界って言うのは、誰かの犠牲の上に作られているんだ。それに、人はいずれ死ぬ。それが、早いか遅いかの問題だ」
当然と言わんばかりに述べるゼロに対し、フォンは奥歯を噛み締め目を伏せた。ゼロの言葉に怒り、右拳が震えた。
そんなフォンの姿を見据えるゼロは、大手を広げると静かに笑みを見せる。
「フォン。キミだって同じだ。キミは犠牲になった。この世界の。だから、今、こうして戦いに身を投じている」
「違う! 俺は自分の意思で、この戦いの中に居るんだ!」
「地が出ているよ。いつも見たいにオイラって言った方がいいんじゃないか?」
ゼロの言葉にフォンは息を呑み眉をひそめた。どんなに言葉を重ねても、もうゼロには届かない。そう確信し、また右拳を硬く握る。
「もう、話すだけ無駄だな」
「お互い、世界を左右する立場に居るからね。俺は、キミを殺してこの世界を破壊する」
「分かった。なら、俺はお前を殴り飛ばして目を覚まさせてやる」
フォンが駆けると同時に、ゼロも地を蹴り低空で空を滑走する。漆黒の翼が風を切り、甲高い音が響く。
「うおおおっ!」
右拳を大きく振り被り、叩きつける様に振り下ろすが、ゼロはそれを急上昇しかわす。拳が床を叩き砕石と衝撃だけが広がる。遅れてゼロを追うように視線を上へと向けたフォンに、ゼロは右足から急下降してくる。後方へと飛び退きフォンはそれをかわし、ゼロの足が床を貫いた。爆音が響き、砕石が降り注ぐ。
その破壊力にフォンは顔をしかめと、ゼロはゆっくりと足を抜くと砕石を払いフォンの方へと体を向けた。
「そろそろ、キミも限界なんじゃないか?」
「だから、どうした……」
「別に……大した事じゃないよ」
静かにそう呟いたゼロは、左手の感覚を確かめる様に軽く振る。
「うん。やっと、震えが治まってきたよ」
「くっ」
「全力で行くよ」
そう呟くと同時にゼロの姿がフォンの視界から消える。すぐに身構えるが、真下から顎を思い切り蹴り上げられた。大きく撥ね退き浮き上がるフォンの体に、続けざまに左手の掌底を見舞う。衝撃が腹部を襲い、左手がフォンの腹に深々と刺さり、フォンの体は後方へと弾き飛んだ。