第16回 血塗れの少年
闇夜の中、深く暗い森を、一人の男が歩む。その男は、右手で血を流し動かない小柄な少年の足を掴み、引き摺るように歩んでいる。通る道に真っ赤な血の線を残してゆく。まるで、死体を運ぶ様に歩む男は、ふと足を止め振り返る。奥は暗くて道すら見えず、自分が一体何処から歩んできたのかすら忘れてしまいそうだ。静かに流れる風だけが、男と会話するように吹き抜ける。微かに笑みを浮かべた男は、闇夜の中でも黒光りする髪を靡かせ、静かに口を開く。
「奴の思い通りにはさせない」
その言葉は、闇の中に静かに消えてゆき、男はまた歩みだす。少年を引き摺る音だけが、暗い闇夜の森に響き渡り、男は闇の中へと姿を消す。
夜も随分と深まり、皆が寝静まった小さな町リオース。密集するかの様に建てられた多くの住居は、中央にそびえる数多くの店を挟む様に作られた町。元々、店を構える者達が、物々交換などをしながら耐え凌いでいたこの町に、他の種族の者達が移住して来た為、この様に店を挟む形で住居が建てられたのだ。
そんな静かなリオースの西に位置する住宅地。細く続く街路を一人の小柄な少年が駆け抜ける。明かりも無く暗い街路を迷う事無く駆ける少年は、鮮やかな黒髪を風にはためかす。リズムよく響く足音は暫く住宅地に響いた。
「フ〜ッ。やっぱり、思いっきり走るのって気持ちいいね」
街路を走っていた少年は、そう言いながら一軒の家の扉を開く。室内の光が、暗い街路を明るく照らし、扉が閉まるとまた暗くなった。少年は、毎夜皆が寝静まった後、この様に静かな街路を全速力で駆け巡る。それが、運動になり体力がつく為、続けているのだ。
「お疲れ様です」
汗を流す少年を出迎えたのは、腰まで届くほどの美しい茶色の髪をした少女だった。少年よりも少し小柄な少女は、タオルを少年に手渡す。食事の準備をしていたのか、奥から良い香りが漂ってくる。少年は鼻をヒクヒクと動かし、ニコッと無邪気な笑みを浮かべた。
「この匂いは、シチューだね」
「――はい。お口に合いますか、分かりませんが……」
「何言ってるんだよ。リリアの作るモノ全部美味しいよ」
少年は、そう言って汗を拭いイスに腰掛ける。恥かしそうに顔を俯けるリリアは、「そんな事……」と、小さな声で呟きキッチンの方に向った。笑みを浮かべる少年は、ふと外からの物音に気付く。何かを引き摺る音と、床を蹴る足音。二つの音は丁度家の前で止まる。そして、扉をノックする音が響く。キッチンに居たリリアが茶色の髪を靡かせながらやって来ると、目付きを変えた少年が、リリアを制止し静かに扉に近付く。
すると、大きな物音を起て扉が少年に向って倒れ掛かる。蹴破られたのだ。更に目を鋭くする少年は、すぐさま後ろに飛び退き拳を構える。戸が大きな音を起て床に倒れ、砂塵が戸の倒れた拍子に起きた風に舞い上がる。破壊された扉の向こう側には、右足の裏をこちらに向ける男の姿が映る。少し怯えた目をするリリアは、胸の前で手を組み心配そうに少年を見据える。
拳を構える少年は、砂塵舞う中目を凝らし、男の姿を確認して驚いた様に声を上げる。
「ゼ、ゼロ!」
「出るのが遅い。フォルト、何してた?」
「何って、ゼロこそ何してるのさ! 大体、何でこんな時間に人ん家訪問してるの!」
「野暮用た。取り合えず、休ませてくれ」
「上がるって、ちょっと!」
返事を待たず家の中に踏み込んでいくゼロは、倒れた戸を踏みつける。戸は軋み悲鳴を上げ、薄らと亀裂が走る。その戸の前に屈み込みフォルトは、唖然とし動けないでいる。そんなフォルトに、ゼロはイスに座ってから言う。
「ここに来たのは、あれを連れて来てな。暫くココで看病してくれないか?」
「あれって?」
落ち込むフォルトが、ゼロの方を見ると、ゼロは眠そうに欠伸をしながら玄関の外を指差す。何と無く、嫌な予感はしていたフォルトは、恐る恐るドアの外に目を向ける。そこには、横たわる血だらけの少年の姿が――。うつ伏せに倒されている為、顔は確認できないが、その光景に驚き声を失うフォルトは、外に出てある事を確認する。フォルトの予測通り、真っ直ぐ街路の奥の闇の中までずっと続く一つの線。それは、暗いため黒く見えているが、本来は真っ赤に赤い血である事は間違いない。その証拠に、血の臭いが倒れる少年の体から漂ってくる。
鼻を軽く摘むフォルトは、家の中に戻りイスに座るゼロの方に向う。イスに座り眠そうな表情を浮かべるゼロは、リリアの方に軽く笑みを見せ「今日はシチューだね」と、軽い口調で言い、それに対しリリアは「もし宜しければ、ゼロ様もお召し上がりになりますか?」と、訪ねた。その目は少しオドオドしていて、何処か落ち着きがない。「うん。俺も頂くよ」と、笑みを浮かべてそう言うゼロに、フォルトが頬を膨らしながら怒鳴る。
「ちょっと、ゼロ! あれは何だよ。それに、何でココまで引き摺ってきちゃうのさ!」
「あんまり、喜んでないみたいだね。結構、喜ぶと思ったのに」
「喜ぶ訳ないでしょ! 大体、家の前まで真っ赤な血の線が続いてたら、確実に可笑しいでしょ!」
「確かに、少し可笑しいかな……。うん。美味しいよリリア。君の作る料理はいつ食べても素晴らしい」
目の前に置かれたシチューを一口口に運び、そう言うゼロにリリアが軽く笑みを見せる。話を逸らされたフォルトは、「話を逸らさないでよ!」と、ゼロに文句を言うが、ゼロは聞く耳を全く持たなかった。
子供の様に頬を膨らし怒るフォルトは、リリアの方に目をやる。その視線に気付いたリリアがフォルトの方に顔を向ける。少し唇を尖らすフォルトは、子供の様な幼い声で言う。
「シチューは僕の分まで残しておいてよ。それから、ゼロは彼の事ちゃんと家に運んでよ。あと、ドアも直してよ」
「待て。第一席の俺にそんな事をさせるのか?」
「関係ないだろそんなの。それに、ここ壊したのゼロなんだし、彼をつれてきたのもゼロだろ? 血を落すのって大変なんだよ。臭いは中々落ちないんだから。取り合えず、ドアと彼の事はちゃんとやってよ」
「わかった。やるよ。一眠りしたら」
「それじゃあ、遅いよ。それに、ゼロは一度寝たら、次いつ起きるかわかんないもん」
眠そうに欠伸をするゼロは、不貞腐れた様にイスから立ち上がりフォルトの肩を叩く。そして、首を縦に二回振りそのまま外に出る。横たわる少年の体を抱え家の中へと戻ってきたゼロ。その腕に抱えられた少年の顔を見て、フォルトは驚きの声を上げる。
「ちょっと! ゼロ、彼は!」
「だから、言ったろ? お前が喜ぶって」
「喜ぶじゃなくて、驚くだよ! リリア!」
「はい」
床に横に寝かせた少年の下に駆け寄るリリアは、右手を少年の胸の前に翳す。薄らと光を放ち始めるリリアの右手。その光が、少年の血に染まった幼い顔を微かに映し出す。まだ、子供の様に幼く可愛らしい顔は、血がこびり付き所々変色し暗紅色に変わりつつある。服は胸の位置で何かに貫かれた様に穴が開き、血が未だに流れ出る。サラサラな茶色の髪も、所々血が付き臙脂に染まる。心配そうな表情のフォルトとリリアに対し、平然とした様子のゼロは、壊れた戸を手に取り「よいしょっ」と、小さく呟き玄関へと戻す。扉を戻しゼロは、心配そうに少年を見据えるフォルトとリリアに言う。
「そんなに、心配する事はない。なんたって、彼は――」
そう言い掛けたゼロは、フォルトの顔を見て言うのを止める。フォルトは立ち上がりゼロの前に来ると、怒ったような目で真っ直ぐゼロを睨む。ムスッとした表情を見せるゼロは、フォルトの目を真っ直ぐ見据え言う。
「言っておく。仮にも俺は、十二魔獣の第一席だ。幼馴染とて歯向かえば、容赦なくねじ伏せる」
「クッ! 分かってるよ! でも、何でこんな事すんだよ!」
フォルトはそう叫び扉を力強く開けて外に飛び出す。勢いよく開かれた扉は、その力に耐えられず金具の折れる音を響かせ、軋みながら床に倒れた。それを見て、呆れた様にため息を吐くゼロは真剣な眼差しで呟く。
「辛いかも知れないけど、これも運命を変える為……。奴を引き摺りだす為の――」
ゼロはそう言い、静かに戸をまた直した。




