第159回 リリアの歌
ルナの傍で胸に手を組み祈りをささげるリリア。
そのリリアの体が薄らと光をおびる。その光景を見据えるティル達。本来なら魔獣人であるリリアにこんな事をさせないが、彼女自らが懇願した。
「私に任せて貰えませんか」
と。そんなリリアの強い眼差しと想いにティルはその申し出を承諾したのだ。
静かな時が過ぎ、リリアと同じ様にルナの体を淡い光が包み込む。瞼を閉じ祈りを続けるリリアの表情が僅かに歪む。
「大丈夫なのか?」
不意にワノールがティルにそう投げかけ、ティルは静かに答える。
「今は彼女に任せるしかない」
「だが、魔獣人だぞ?」
「魔獣人だが、彼女は元々癒天族だ」
ティルがそう言うとワノールは訝しげな表情を浮かべた。確かにリリアの見せるその力は癒天族の力そのモノだが、彼女は癒天族では無く魔獣人。そんな事を言われて信じる事は出来なかった。
そんなワノールに対し、ティルは「俺も最初は信じられなかった」と静かに告げると、瞼を閉じ奥歯を噛み締める。そのティルの表情にワノールは眉間にシワを寄せた。何故、そんなにも辛そうな顔をするのか、分からなかったからだ。
ここに来る途中で、ティルは聞かされていた。リリアの――魔獣人と言う存在の真実を。それは、ティルの想像を絶する話だった。
握り締めた拳を僅かに震わせるティルは、ふぅ、と小さく息を吐くと、肩の力を抜き静かに語る。リリアに伝えられた話を。
「魔獣人がどうやって生まれたか知ってるか?」
「どうやってって……」
困惑するワノールに、ティルは眉間にシワを寄せる。
「作られたんだ。魔獣人は、人の手によって。過去を記した本を一度目にした事がある。そこにはこの世界の歴史が刻まれていた。四大陸に散ったそれぞれの種族が国を造り戦争をし、そして獣人が生まれた。それは本来作るはずだった生物の失敗作だったと、本には載っていた」
それは、丁度ワノールに会う直前の小屋の中で見た本の内容だった。ティルは思い出す。あの本の内容を。そして、リリアから聞いた話と照らし合わせながら更に言葉を続ける。
「その本の最後には、その生物は完成し、世界を壊そうと四大陸全てに進行を進めたらしい。だが、彼らもまた不完全だったのだろう」
「だったのだろう?」
「ああ。これは俺の憶測だ。彼ら自身、その不完全さに気付き、そして、研究を始めた。自らを完全なモノとする為に。そして、その生物の手によって、魔獣人は生まれた」
「待て! それはお前の憶測だろ?」
ワノールが慌ててそう言い放つと、ティルは静かに頷く。
「ああ。だが、リリアの話を聞く限り、その可能性が高い。そいつらは、様々な種族の子供をさらい、魔獣の血・細胞を体に移植していたらしい。リリアは、ゼロとフォルトにその研究所から助けられた一人らしい。ゼロの率いていた魔獣人達も皆、この世界の何処かにある研究所に囚われ、実験体として使われていた連中らしい。まぁ、ガゼルは違うがな」
「だが、だからと言って、奴らがやろうとしている事が正しいと言う事じゃないだろ!」
その言葉に、ティルは強く拳を握る。
「分かってる。奴らのしている事は間違っている。リリアだって、その事を分かっていたし、多分あのゼロと呼ばれる男も……」
ティルは静かにそう呟いた。殺そうと思えば、この場に居る全員を殺せるはずなのに、それをしなかったのは、ゼロ自身が自分のしている事が間違っていると分かっているからだと、ティルは考えていた。だが、何故ルナだけを殺す必要があったのか、それだけが分からなかった。
フォンを本気にさせる為なのか、それとももっと他に理由があるのかと、ティルはリリアとルナの二人に目を向けた。
祈りをささげるリリアが不意に右手をルナの胸の中心に下ろす。その手首で揺れる銀色のブレスレットが、ルナの胸の上に落ちると、翡翠色の宝石が僅かな輝きを放ち、リリアの背中に金色の翼が大きく広がった。
広げられた翼が周囲を優しく照らし、綺麗な歌声が機内に広がった。優しく清く澄んだ歌声に、その場に居た全員が思わず息を呑む。これがあのリリアの声なのかと、思うほどそれは美しく、それで居て優しく包み込まれる様だった。
その歌声に聞き入るティル。その体に刻まれた傷が徐々に癒えていく。他の面々もそうだった。ワノールの衰えた筋力は僅かに回復し、気を失うウィンスやカシオは意識を取り戻し、ブラストの腹部の傷はふさがり、フレイストの体の痛みも抜けていた。そして、ルナの胸の傷も――。
だが、その途中、綺麗な歌声が突如消え、リリアの体がよろめいた。
「ぐふっ……けほっ……」
「リリア!」
突然吐き出された血。そして、衣服ににじむ赤い染み。それが、癒天族の力を使う代償。痛々しいリリアの姿に、ティルは思わず目を伏せる。
「だい……じょうぶ……です。これ…は……私の……役目……ですから……」
美しい光の翼が僅かに薄れる中、彼女は静かに微笑むと、また歌を、声を、その機内に広げた。全ての人を想い、フォルトと言う最愛の人にささげる様に、彼女は歌い続けた。その小さな体に傷を刻みながら。誰一人止める事など出来なかった。彼女の想いの乗ったその歌を。
城内の広間。
崩れかけの階段を下りる静かな足音。壁のいたる所に穴が開き、その穴から僅かに光が差し込んでいた。もうすぐ朝日が昇る。それ程まで長い戦いが続いていたのだ。
エントランスに下りたゼロは、静かに笑うと身を翻しその場を飛び退く。遅れて、打撃音が轟き床が砕けた。
砕石が舞い上がり、その中心にフォンの姿。黄色の瞳が真っ直ぐにゼロを見据え、眉間には僅かにシワが寄る。
軽い足取りで間合いを取ったゼロは、フォンを真っ直ぐに見据えると、静かに笑う。
「聞こえるかい? あの歌が?」
「ああ。聞こえる」
「リリアが、歌ってるんだよ」
「そうだな」
「綺麗な歌声だろ? 最初で最後の歌だ。彼女はこの歌を歌い切れば死ぬ。まぁ、歌い切る前に死ぬかもしれないけど」
肩をすくめ、小さなため息を吐いたゼロに、床に叩き付けた拳を上げながらフォンは問う。
「どう言うつもりなんだ。お前は、何がしたい」
「俺? 俺は、世界を変えたかった……この世界を」
「その為に、お前は平気で人を殺すのか!」
「俺が殺したのは、彼女だけ。他は俺の命令じゃない」
寂しげな瞳を見せながらゼロがそう言うと、フォンは強く拳を握った。
「ふざけるな! お前が世界を変えようとしてやった事で、結果的に多くの人が命を落とした。人も魔獣も! こんな戦いに一体何の意味があったって言うんだ!」
「未来は変わる。この戦いで、ルナが死に、その他多くの人や魔獣が死ぬ事によって。未来は変わる」
その言葉に唇を噛み締める。そして、瞼を閉じる。そんなフォンにゼロは静かに笑う。
「フォン。俺はこの五百年。世界を見続けた。だが、この世界は変わらないんだよ。何も。同じ事の繰り返し。なら、それを根本から壊すしか無いだろ?」
「黙れ! お前がこの世界の何を見てきたか何て知らない。だが、お前はこんなに簡単に人の命を奪ったりしなかった!」
「人は変わるんだよ。俺も、お前も。だが、世界だけは変わらない。だから、変わる事の出来る人が、この世界を変えるんだ」
ゼロが静かにそう告げると、その背中に漆黒の翼を生やした。それに反応する様に、フォンの目は獣の様に変化し、右腕が膨れ上がり鋭い爪が指先から突き出した。
「あの腕輪を外したのか」
「うぐぅっ……ああ。うがああっ……お前を止める為には、うぐっ……この力が必要だからな」
右腕を襲う激痛に表情を歪めながらも、フォンはジッとゼロを見据えた。