第152回 カイン対ゼロ
優しく暖かな光が体を包み込む。
妙な感覚にゆっくりと瞼を開けたカインは、薄らと浮かび上がる女性の顔に、思わず「ルナ?」と呟いた。だが、その女性がルナじゃないとすぐに気付く。
髪は長いが金色ではなく、茶色。そして、彼女はカインが目を覚ましたのに気付くと、安心した様にニコリと笑った。大人しげなその顔立ちは何処かルナと似通っているが、愛らしい微笑みにカインは飛び起きる。
「だ、誰だ!」
瞬時に腰に手を伸ばし、青天暁を抜こうとするが、その手が空を切り気付く。青天暁が無い事に。と、同時に血がまだ足りなかったのだろう。視界がぐら付き、左膝を地面に落とした。
「探し物は、これかい?」
右手を地面に着き、左手で額を押さえるカインに、そんな声が届く。低く、柔らかな声。だが、何処か威圧的で、この場の空気は一瞬にして張り詰める。
額を押さえながらゆっくりと視線を上げる。この声には聞き覚えがあった。もう一人の自分の時に。一度だけ。僅かだが手が震えた。その声の人物の強さをカインは知っていたから。ゆっくりと、彼女の後ろに見える僅かな影に目を逸らす。足元から、腰、胸と、視線は上がるにつれ、鼓動が早まる。
そして、視界に映る。奴の顔が。白髪混じりの黒髪を揺らし、親しげな笑顔を向けるその男に、カインの表情は険しく変わる。
「ゼロ!」
「名前を覚えてもらえて嬉しいよ。カイン=シュライフ。それで、キミが探してたのはこれだろ?」
ゼロは右手に持った青天暁の蒼い刃に触れながらカインに見せ付ける。「くっ」と声を漏らしたカインは、更に睨みを効かせるが、ゼロはそんなモノ全く気にする様子はなく、静かに女性の横へと並ぶ。
「リリア。彼の治療はどれ位済んでる?」
「えっ、あっ……まだ、四分の一程……」
「ふーん。四分の一か。ふーん」
青天暁の刃を左手でコンコンと叩きながら、二・三度頷くと、カインを真っ直ぐに見据え、
「じゃあ、治療続けてもらうかな?」
肩をすくめ、かったるそうな眼差しを向けるゼロに、軽く頷いたリリアは怯えながら恐る恐るカインの方へと足を進める。その瞳がカインの顔と地面を行ったりきたりし、時折肩をビクつかせると、ゼロの方へと涙目を向けていた。
そんなリリアに、「大丈夫だよ」と笑うゼロは、カインの方へと青天暁を投げた。青天暁はクルクルと刃を回転させながら空中で弧を描くと、そのままカインの足元に突き刺さり柄を震わせた。それ程まで刃は柔軟でしなやかだった。
その柄を右手で握ったカインは、そのまま立ち上がり、奥歯を噛み締めながら息を吐く。
「ぜ、ゼロ様!」
カインの行動に驚き声を上げたリリアだが、その視線の先では落ち着いた様子でリリアの言葉を静止する様に右手を向けるゼロの姿があった。
金髪の髪の先が赤みを帯び、青天暁の蒼い刃も朱色に変わる。
「僕を――」
『俺を――』
<<舐めるな>>
二つの声が重なり、青天暁を地面から抜いたカインが地を駆ける。切っ先が地面を砕きながら火花を散らせると、そのまま刃が炎上する。
だが、そんな光景にも驚く様子も無く、ただ虚ろな眼差しを向け続ける。そんなゼロに、カインは更に加速する。
<<うおおおおっ>>
二重の声が織り成す叫び。そして、一閃。踏み込み、腰の回転、体重移動。全てが一連に繋がった一撃だったが、それは無常にも空を切り、熱波が刃となり前方へと吹き抜けた。
「キミこそ、俺を舐めんなよ」
刃をかわし、カインの左側へと回り込んだゼロが、静かにそう告げると、その目が大きく見開かれた。開かれた瞳孔に、凄まじい殺気。一瞬でその殺気に飲み込まれ、カインの時が止まる。そんな感覚に襲われた。そして、次の瞬間、腹部へとゼロの左膝が深く突き刺さり、カインの体が大きく折れ曲がった。
「ぐふっ!」
吐血すると同時に時が動く。体は軽々と吹き飛び、水面を跳ねるかの様に体を地面に打ち付ける。最後は、崩れかけの建物の壁をぶち破り、その瓦礫の下敷きとなり勢いは止まった。先ほどまで戦っていた魔獣人などとは比べ物にならない程の力。幾ら、ダメージが残っているとは言え、それは圧倒的だった。
「うぅ……あぁ……」
瓦礫から何とか這い出るカインだが、その意識はすでに飛びかけていた。足元はおぼつかず、青天暁を構える事すら出来ていなかった。
数十メートル先にふら付くカインを見据え、ゼロは静かに息を吐く。自らを静める様に。今にも爆発してしまいそうな程の憎しみ、憎悪を、自らの体内に蓄積する様に。そんなゼロを心配そうに見つめるリリアは、胸の前で手を組むと、祈る様にその手に額を合わせた。
(フォルト様……どうか、ゼロ様を……)
懇願する。今は亡き愛しき人へと。
数十メートルあった距離は縮まり、穴の開いた建物の前まで足を進めたゼロは、フラフラと立ち尽くすカインへと視線を向けたまま、腕を組んだ。
「意識を失っても尚、立ち続けるキミの執念……見事だよ」
俯き笑うが、その笑みが一瞬で怒りへと変わる。額に浮き上がった青筋。手の甲に浮かび上がる血管。握り締められた拳をゆっくりと顔の前まで上げたゼロは、奥歯を噛み締めながら、
「けどね。俺は……発散したいんだよ。この憎悪を! 憎しみを! 出ないと……彼を殺してしまいそうだ。もう、運命なんて関係ないって……」
握った拳を壁へと叩きつけると、壁は砕石も残さず、ただ大きな爆音だけを残し消え去った。舞うのは微量の粉。そして、握られたゼロの拳からは静かに血が零れ落ちた。
「ティル! ティル!」
何度も自分の名前を呼ぶ声に、ティルの重い瞼がゆっくりと開く。半分まで開いた所で、ボンヤリと人の顔が映る。その刹那、瞼は一気に見開かれ、瞬間的に右手で天翔姫の柄を握ると、一気に振り抜く。
「のわっ!」
聞きなれた驚きの声に、ぼやけていたティルの視界が鮮明になり、そこに大きく体を仰け反らすフォンの姿が映し出された。幸い、天翔姫の刃が途中から折れていた為、フォンを斬り付けはしていないモノの、フォンも反射的に体を大きく仰け反らせたのだろう。
驚き目を大きく見開いたフォンは、体勢を戻すと大きく肩を揺らし、
「い、いきなり何すんだよ」
と、僅かに上ずった声で言うと、ティルは眉間にシワを寄せ、
「何だ。お前か……」
と、静かに呟いた。
「うおおい! 待て待て、そこ普通謝るとこ! 何だじゃないだろ!」
「…………敵はいないみたいだな」
周囲を見回したティルは天翔姫をボックスへと戻すと、小さく息を吐く。まだ体にダメージが残り、疲労感で体が重かった。
そんなティルの様子に、フォンも小さく息を吐くと、
「あのさぁ……オイラに謝る気ある?」
と、小声で問うと、「全く無い」と即答され、フォンは大きく肩を落とし、「やっぱ、そう言う扱いなんだな」と、涙目で呟いた。もちろん、ティルはそんなフォンをスルーし、その場にゆっくりと腰を下ろすと、ボックスに戻った天翔姫を切れ目に沿って二つに割った。
「ぬわっ! そんな風に開くのか? それって……オイラはてっきり、こんな風にフタがあるのかと……」
と、上ブタを開く様なジェスチャーをするフォンに、ティルはジト目を向ける。開かれたボックスから音をたて風魔の玉が地面に落ちた。淡い瑠璃色の光が消える。別に力を失ったわけではなく、大量に風を放出した為、一時的に光をうしなったのだろう。
その玉を右手に握ったティルを、フォンの方にそれを放った。反射的にフォンはそれをかわす。キャッチしなきゃいけないのは分かっていたが、つい本能がそうさせてしまったのだ。
「おい。何でかわすんだ」
「いや、つい……」
あはは、と笑い頭を掻きながら地面を転がった風魔の玉を拾い上げる。そんなフォンに呆れた表情を向けるティルは、大きなため息を吐いて両肩を落とした。