第14回 牢屋の中の二人
船の汽笛が鳴り響く。大型客船が港を出港する合図だ。その音は町中に響き、皆の注目を集める。人々は港から出発するそんな大型客船を一目見ようと港に集まる。碇が上げられ、汽笛をニ・三度鳴らし更に人々を引き寄せる。
徐々に、岸壁から離れてゆく大型客船に向って、集まった群衆の合間を、素早く掻き分け駆け抜けるティルの姿があった。カシオから逃げる為走り回っていた為、船に乗り遅れたのだ。もちろん、そのティルの背後にはカシオが迫っていた。だが、それを気にせず全速力で走るティルは、群集の合間を抜け岸壁を蹴り既に出港する状態になった大型客船の船尾の手摺に飛びついた。集まった群衆の誰もが目を疑い騒ぎ始める。と、次の瞬間カシオが群集から飛び出し岸壁を蹴る。既に、岸壁からかなり距離も離れている大型客船。手摺に掴まったままのティルは、届く訳無いとカシオの方を見ていた。もちろん、カシオはティルの読み通りあと少しの所で海に転落した。
海面から顔を出すカシオと目が合ったティルは、軽く手摺を越えて船に乗り込むと大きな声で言い放つ。
「追いかけっこはここまでだ。これ以上、お前も俺を追ってこられんだろ」
海面から顔を出したままのカシオは、白波を立てながら去り行く大型客船を真っ直ぐに見据えた。そして、口まで海面までつけると、ブクブクと水中で息を吐き出す。
大型客船に乗り込んだティルは、当然、船員達に囲まれた。無断乗船だからだ。もちろん、ティルも抵抗するつもりは無い。元々悪いのは時間に遅れた自分自身なのだから。船員達に連れられ、歩き出そうとしたその刹那、海面を何かが叩く音が響き、水飛沫がティルとティルを囲う船員達を襲った。そして、船尾にビショビショに濡れたカシオが着地した。服は体に張り付き、裾からは水が滴れる。蒼く深い色艶の髪は水に濡れ、更に深みを増す。目に掛けていたゴーグルを額の方に持って行き、前髪を掻き揚げるカシオは、白い歯を見せながら笑みを浮かべると、ティルに向って言い放つ。
「残念! 俺は水呼族だぜ。海の中なら陸地よりも素早く動き回れるんだぜ! フハハハハハッ! 追いかけっこは俺の勝ちだ!」
大笑いするカシオに、呆れた様な表情を見せるティルは、「お前……馬鹿だろ」と、小さく呟く。耳に水が入ったのか、カシオにその声は聞き取れず、「何? 何か言った?」と、聞き返してくる。だが、ティルは首を左右に振っただけで何も言わず背を向けた。もちろん、カシオもティルと同じく無断乗船により、船員達に捕まり牢屋に入れられた。
薄暗く、掃除を怠っているのか、少し黴臭い。電灯もチカチカと点滅し、もういつ消えても可笑しくない。牢屋の壁には、小さな窓がついて居るが、海の中が見えるだけで光は入ってこない。天井からは、足音と床の軋む音だけが響いてくる。
「やっぱり、お前と居ると面白い事ばっかり起こるな。まさか捕まるとは。ハハハハハッ!」
「ふざけるな……。お前のせいでコッチは牢屋の中だ。本来なら、船に乗り遅れる事も無かった」
「まぁまぁ、そうカリカリするなよ。それより、お前、名前なんだっけ? 訊いてないよな? 俺は自己紹介したけど、覚えてるか? もしかして、お前聞いてなかったんじゃないか? そうだよな。黙々と歩いてたもんな。あれじゃあ、俺の独り言みたいだったし――」
一人だけ延々と喋るカシオ。少し五月蝿いが、相手をするより一人で喋らせていた方が得策と考えだティルは、硬く冷たいベッドに横になり壁の方を見て、小さく欠伸をして目を閉じた。目を閉じても聞えてくるカシオの声と、天井から響く足音。必死に眠りに就こうと努力するが、目を閉じると何故か音が大きく聞えイライラが募る。
暫く続いていたカシオの声が聞えなくなる。寝たのか? そう思いながらティルが寝返りをうつ。すると、目の前にカシオの顔があわられ、驚きに声を上げる。
「な、なな何だお前! 何してる!」
「だってさ〜っ。暇で暇で」
「暇なのと俺に近寄るのと関係ないだろ!」
「いや〜っ。寝てるのか確認しようと思って」
笑みを浮かべながらカシオがそう言う。呆れた様子のティルは、ため息を漏らしカシオの肩を小突いた。ヨロヨロとカシオは後退し向いの壁際にあるベッドに腰を下ろす。カシオと向い合うティルは、もう一度ため息を吐くと言う。
「俺は、ティル=ウォースだ。お前は、確かカシオだったな。これで自己紹介は終った。もう、俺に話しかけるな。俺は寝る」
「冷たいな。お前、友達いないだろ。そんな性格じゃなぁ……」
「お前、殺されたいか」
腰にぶら下げていた天翔姫を一瞬にして、細身の刃の剣へと変化させカシオの首筋に向けるティルは、鋭い目付きで睨んでいた。軽く手を上げ、お手上げのポーズをとるカシオは「冗談、冗談だよ」と、笑顔で言う。そして、ティルが目を放した一瞬の隙を突き、背中に手を伸ばし長さ三十センチほどの以外に太い棒を取り出す。その棒には幾つかボタンがあり、カシオは取り出すと同時にそのボタンを押す。それに気付いたティルはスッと、もう一度カシオの首元に刃を向けるが、ティルの首筋にも鮮やかに光る刃が映る。
笑みを浮かべるカシオの右手には、槍が握られており、先程の棒が変化したと見られる。長い柄の先端に蒼く煌く大きな刃。ニッコリ笑みを浮かべるカシオに対し、冷静に睨みを効かせるティル。
「どう言うつもりだ」
「いや〜っ。ティルのその武器がコイツに似てると思ってさ。これ、渦浪尖って、言うんだけどさ。この筒ん中に納まっててさ、ボタンを押すと出てくんだよ。持ち運びに便利でさ。その剣もさっきまで箱だったろ? やっぱり、ボタン押して変化するのか? でも、凄い白い刃だな。それに、軽そうだ」
渦浪尖を下ろし、マジマジと天翔姫を観察するカシオに、苛立つティルは柄の先端にあるボタンを押し剣をボックスに戻す。その瞬間、カシオが「うわっ!」と驚きの声を上げ、目を丸くして天翔姫を見つめる。カシオの目から隠す様に、ティルはボックスを腰に掛け茶色のコートで見えなくする。天翔姫が見えなくなり、複雑そうな表情を浮かべるカシオは、渦浪尖を戻し背中に背負うとジッとティルを見つめる。そんなカシオと目が合うティルは、冷たい口調で言い放つ。
「いつまで見てるつもりだ?」
「もう少し見せてくれてもいいだろ? 俺の渦浪尖もみせてあげるからさ」
「興味ない」
カシオの言葉を一刀両断し、ティルは硬いベッドに横になり目を閉じた。カシオも急に黙り込み、ベッドに横になり黒ずんだ天井を見上げる。天井から聞える床の軋む音が、静かな牢屋の中に響き渡った。




