第139回 バルド対レイバースト
壁が砕けバルドの体が床を転がった。
緑色の髪が血で僅かに赤黒く固まり、額から流れる血が頬を伝いポツリと床に落ちた。
「はぁ…はぁ……」
両肩を大きく揺らし呼吸を繰り返す。右手には刃の長いナイフを握り、左手には刃の短いナイフを握り、真っ直ぐに先程壁に出来た穴の向うを見据える。
室内に広がる土煙の向うに赤い眼が見えた。
「クッ!」
瞬時に両手に持ったナイフの柄頭を合わせたバルドは、右手を引き風の矢を形成する。甲高い音が響き、爆音と共に放たれる。だが、その矢は土煙に穴を開け、遠くの方で壁が破壊する音だけが響く。
「何度やっても無駄だ。この第三の目がある限り、お前の攻撃は届かない」
重々しい声と共に土煙の向うから巨体の男レイバーストが現れた。額の赤い眼がジッとバルドを見据え、その不気味な顔に薄らと笑みを浮かべる。
これで、何度目になるだろうか。発射速度も威力も徐々に増しているが、それでもレイバーストにバルドの放つ矢は届く事が無かった。あの巨体で素早く動けるはずが無いのに何故当たらないのか、と苛立つバルドに、レイバーストの拳が振りぬかれる。
「チッ!」
紙一重でその拳を右にかわす。空を切ったレイバーストの拳は床を貫き、亀裂がそこを中心に一気に広がる。
「この距離なら!」
レイバーストとの距離数十センチ。この距離ならと、右手を引く。風が収縮され矢を形成。その時間僅か数秒。距離はまだまだ余裕がある。発射速度、矢の加速速度を計算に入れても、レイバーストに矢が届くまで何秒もかからない。バルドの頭で様々な要素を取り入れた計算がその一瞬で行われ、空中に浮いた不安定な体勢のまま、矢を放つ。
刹那。目が合った。レイバーストの額の赤い眼と。と、同時にレイバーストの体が動く。まるで全てを予期していた様に、矢の軌道から逸れる様体を捻る。矢を放った衝撃から、その動きを最後まで確認する事が出来ぬまま、バルドの体は窓ガラスをぶち破り外へと投げ出された。
「ぐっ!」
不安定な体勢から矢を射た所為か、その衝撃は凄まじく、バルドの表情はいつになく苦痛に歪んだ。受身を取れぬまま地面に叩きつけられ、バルドは暫く動く事が出来なかった。幸い、先程居た一室が二階だった為、地面に叩きつけられた衝撃もそれ程ではなかったが、その体は満身創痍なのは変わり様が無かった。
と、その時、少し離れた所で紅蓮の炎が夜空に上るかの如く柱を吹いた。すぐにそれがカインのモノだと気付き、バルドはゆっくりと体を起す。
「くっ……あっちも苦戦してるみたいだ……」
ふら付きながらも、そう呟いたバルドは双牙を構え直し、自分が先程まで居た建物の方に目を向ける。と、同時に建物が突如崩壊する。レイバーストの仕業なのだろうと、バルドは表情を顰めた。まるで自分の力を見せつけるかの様に、建物を破壊したレイバーストは、その瓦礫の山を踏み締めバルドを見下ろす。
「ふふふっ……魔獣化せず、この力。この力の前で、お前はどうする事も出来ない」
やはり無傷のレイバーストが、自慢げにそう告げ笑い声を上げた。
「黙れ……デカブツ」
笑い声を上げるレイバーストに低音の声でバルドがそう言い放つと、レイバーストの額に血管が浮き出す。
「貴様。今、何て言った」
「デカブツって言ったんだ……。何だ? 視力がよくても耳は悪いのか?」
「貴様!」
怒声を響かせ、宙を舞うレイバースト。この瞬間、バルドが双牙をレイバーストの方へと向け、右手を引く。
「空中では避けられまい!」
甲高い風音が周囲を包み、バルドの指先から放たれようと風の矢が暴れ狂う。今まで以上に風を集め威力を高めた矢。これなら、いけるとバルドは指を離す。解放された風は爆ぜる様に勢い良く飛び出し、宙を舞うレイバーストへと迫る。
レイバーストの巨体から生まれる降下速度と、放たれた矢の加速速度が重なり、威力が何倍にも膨れ上がった一撃がレイバーストをついに捉えた。
「ぐおおおおっ!」
レイバーストの呻き声が聞こえ、同時に風の矢がその形を保てなくなり破裂し、爆風が全てを吹き飛ばす。それはバルドも例外では無かった。凄まじい風に煽られ、立っている事が出来ずそのまま後方へと弾かれる。
「ぐっ……」
壁に体を打ちつけ表情を引き攣らせるバルド。風が収まったのは、それから数分後だった。
風が収まり、ようやく地に膝を落としたバルドは、荒い呼吸を繰り返す。あの風で殆ど呼吸が出来てなかったのだ。
「はぁ…かはっ……や、やった……か?」
苦しそうに呼吸をしながらも、周囲を確認する為に顔を上げる。激しく上下に揺れる視界で、土煙の向うを真っ直ぐに見据える。レイバーストの気配は全く無い。だが、異様な静けさにバルドは妙な胸騒ぎを感じ、双牙を構えなおす。
冷たい風が静かに流れ、土煙が消え去る。そこには瓦礫だけがつまれ、レイバーストの姿はやはり無かった。
「くっ……逃がしたか……」
表情を顰めそう呟くと、視界が急に暗くなった。と、同時に頭上から背中に衝撃が走る。
「ぐあっ!」
声を上げ、バルドの体が地面へと押し潰された。頭上から降りてきたレイバーストの右足に背中を踏まれて。
先ほどまでと違う漆黒の肌。赤い眼は更にその赤みを増していた。これがレイバーストの魔獣化した姿だった。今まで以上に強固となった肉体。これが、先ほどバルドが放った風の矢を防いだのだろう。
「ふははははっ。貴様の放つ風の矢など、この体には効かぬわ!」
「ぐあっ! ぐふっ!」
バルドの背中を何度も踏みつける。その破壊力に地面に亀裂が走り、バルドを中心に陥没していく。
背骨が踏みつけられる度に軋み、今にも砕かれてしまいそうだった。その衝撃にバルドは口から血を吐く。
幾度と無くバルドを踏みつけたレイバーストは、右足を背中から退けると、その頭を右手で掴み上げた。
「これが、力の差だ。思い知ったか」
「ぐっ……ううっ……」
もうろうとしながらも、バルドはレイバーストの顔を見据える。左手に握った双牙。その手を真っ直ぐに伸ばし、右手を添えた。と、同時にレイバーストが頭から手を離し、バルドの腹部に左拳を突き上げる。
「ぐふっ!」
突き刺さった拳にバルドは大量の血を吐き、吹き飛んだ。そのまま地面を転がり、仰向けに倒れ動かなくなった。
「あぁ…ぐぅ……」
まだ意識はあった。レイバーストの破壊力のある拳を腹部に直撃させたが、ギリギリ意識は失わなかった。だが、その体には相当のダメージを受け、体を動かそうとすれば、腹部に激痛が走る。呼吸をするのも苦しく、バルドは終始表情を歪ませていた。
地面に転がるバルドを見据えるレイバーストは、ゆっくりと歩みを進める。優越感に浸るようにゆっくりと。
体を動かす事が出来ず、苦しそうに息をするバルド。痛みに奥歯を噛み締め、この状況を打開する為の策を考える。しかし、どれだけ考えても今の状況を打開する策は浮かばない。それ所か最悪の方向への考えばかりが脳裏を過った。