第136回 血液
「はぁ…はぁ……」
呼吸を乱し、膝をつく。
周囲に散ばった血痕。ひび割れた床に突き刺さった蒼い刃の剣。それを支えに何とか立つ金髪の少年カインは、額から流れる血を右手で拭い、顔を上げる。
その視界に映るのは、一人の女エリオース。長い黒髪が顔を覆い隠し、その合間から見える不敵な笑みが不気味に映る。クモの様に糸を張り巡らし、壁に張り付くエリオースを見据え、カインは眉間にシワを寄せ叫ぶ。
「何故、お前が! 僕の炎を消せる! 炎血族の血は、本人の意思意外で消す事が出来ない!」
「ふふふふっ。何を言ってるの。人の血は、固まるのよ。違う型の血液と混じると。それは、種族が変わっても同じ事よ」
当然と言わんばかりにそう述べるエリオース。その言葉に、カインも少なからず理解した。コイツがカインとは別の炎血族の血を所有していると。しかもそれは、カインとは血液型の違うモノ。その所為で、炎が消えたのだと。
奥歯を噛み締め、表情を僅かに強張らせる。体はだるく、立っているのも辛い。それでも、カインはゆっくりと青天暁を地面から抜き、深く息を吐きながらジッとエリオースを睨む。
カインのその行動に不適に笑うエリオースは、糸を伝いながら床へと降り立つと、ゆっくりと二本足で立ち、長い髪を振り乱しその顔を現す。
「あんた。分かってないわね」
「何!」
「その状態で、私に勝てると思ってるの? ふふふっ。そう思ってるなら、あんたの頭は相当悪いわね」
バカにする様に笑うエリオースに、カインは表情を顰める。
エリオースの言っている意味を、カイン自身がよく分かっていたからだ。コッチは手の内の殆どを知られ、挙句炎を封じられ、貧血状態で立っているのもやっと。それに比べ、エリオースはまだ手の内を見せず、能力すらまだ分からない。しかも、まだ魔獣化と言う手段がある。これ程まで不利な状況で、光明など微塵も見えなかった。
自分の置かれた状況に、更に表情を険しくするカインは、青天暁の柄を力強く握り締めると、考えもなくエリオースへと突っ込む。
「ふふふっ。ただ、ガムシャラに突っ込むだけじゃ、私には勝てないわよ」
エリオースが指先から糸を飛ばすと、その糸がカインの右足を地面に貼り付ける。
「くっ!」
足に付いた糸は粘着力があり、そのままカインの動きを封じた。右足の糸を振り払おうとするが、もがけばもがく程、糸が足に絡んでいた。
「ふふふっ。私の糸の粘着性は強力よ。果たして、今のあなたに抜け出す事が出来るかしら?」
「ふざけ――!」
金髪の髪から白煙が上がり、僅かに赤く変化するが、それも数秒の間だけで、呼吸を乱しながらカインは膝を落とす。
「かはっ……」
「無理は良くないわ。あなた、ただでさえ血を使い過ぎて貧血状態なんだから、無理すると、死ぬわよ」
「黙れ……この……」
青天暁で足につく糸を裂く。だが、糸は切れず、そのまま青天暁も糸が巻きついただけだった。
「くっ!」
「言ったでしょ? 私の糸は強力だって」
「はぁ…はぁ……」
「もう限界みたいね? 今、トドメを刺してあげてもいいけど……どうしようかしら?」
頬を右手で触りながら考え込むエリオースは、その場に腰を浮かせて座ると、倒れるカインを見据え不適な笑みを浮かべる。苦しそうな表情を浮かべながらも、エリオースを睨むカイン。二人の視線が交わり、エリオースが立ち上がりカインの方へと足を進めると、動けないカインの頭を踏みつける。
「良いザマね。私、炎血族って嫌いなのよね。自分はどの種族よりも有能だって、思ってる所が!」
「くっ!」
頭を踏みつけ、不適に笑うエリオースは、その優越感に甲高い声を上げ笑い出す。
「ふふふっ……ふははははっ!」
「ぐっ……」
「ほら、何とか言ったらどうなの!」
何度も何度も踏みつける。額から溢れる血が、床一面に広がり、何度も踏みつけられ床にも亀裂が走っていた。次第に意識が遠退き、カインの動きが完全に止まる。
カインの反応がなくなり、つまらなそうな表情を浮かべるエリオースは、不機嫌そうな表情を浮かべると、右足を大きく振り上げ、
「チッ! もっと、苦しそうに悲鳴をあげろよ!」
叫ぶと同時に、振り上げた右足を頭の上に落とすと、爆音が轟き床が崩れる。衝撃に耐え切れなかったのだ。
「くっ! 脆い建物だよ!」
声をあげながら、糸を飛ばすエリオースは、瓦礫と共に落ち行くカインに一度目を向け、隣りの建物へと移動した。屋上の床に開いた穴から土煙が上がる。
その光景を見据え、つまらなそうに息を吐いたエリオースは、壁に張り付いたまま立ち上がると、ジッと穴の方へと目を向ける。風だけが吹き抜け、静けさが残された。
瓦礫に埋もれ、僅かな意識の中で、カインは自問する。何故、自分は弱いのかと。手を伸ばせば届く位置に転がる青天暁を、霞んだ視界に入れながらゆっくりと右手を伸ばす。だが、柄を掴む前にその手は地面に落ちた。全身を襲う激痛に僅かな呻き声をあげながら、カインは拳を握る。
「ああ……ぐあっ……」
瓦礫が崩れ、カインの体を押し潰す。激しく土煙が舞い上がり、血だけが床に広がった。
土煙が薄れ、カインの姿があらわとなる。青天暁に腕を伸ばしたまま完全に意識を失い動かないカインを姿がった。
意識を失ったカインの頭の中にもう一つの人格の声が響く。
(何故、立たない)
(何故、動かない)
(何故、戦わない)
と、カインに問いかける。
その問い掛けに、カインはただ一言答える。
(もう、体が動かない)
と。
カイン自身、戦いたい。そう願うが、体は言う事をきかない。このまま、冷たい床の上で寝ていたい。と、カインの瞼を重く閉ざす。体中に圧し掛かる重みも、感覚が麻痺してよく分からない。
今、どんな状態なのか、何をしようとしていたのかも薄れていく。記憶の端に浮かぶ沢山の思い出。そして、自分の犯したフォンに対する非道。例え、それが自分の意思ではなかったにしろ、自分の所為で苦しむフォンの姿を思い出し、右手の指が僅かに動き、中指の先が青天暁の柄に触れた。カランと、乾いた音が響き、ギュッと柄を握り締める。
「こ、こんな所で……寝て、られない……」
瓦礫の中から、ゆっくりと立ち上がる。服が裂け、血に塗れた肌が窺えた。左肩から腕を伝い指先からシトシトと血が滴れる。膝を僅かに震わせながらも、何とか両足で立つカインは、呼吸を荒げながらぽっかり開いた穴を見上げた。
「はぁ…はぁ……」
足元がふら付くが、それでもその場に仁王立ちし、深く呼吸を繰り返す。体が重く、足が床に張り付いた様に動かない。青天暁がこんなに重く感じるのも、初めてだった。首を伝う血が時間が経ち、凝血し黒ずむ。凝血した血の感触が、気持ち悪く不快な気分だったが、そんな事よりもこれからどうするかを考えていた。
「くっ、はぁ…はぁ……」
動こうと足に力を込めると、激痛が走り苦悶の表情を浮かべる。
半歩動くのがやっとのカインは、表情を歪めたまま、また深く呼吸を繰り返す。
その場で佇む事数秒。その時間、カインは瞼を閉じ、意識を集中する。
「すーっ……はぁー……」
ゆっくり息を吸い吐き出す。痛みは多少和らいだが、依然体を動かそうとすれば激痛が走る。
「もう……少しだけ、力を……」
胸の前で、左手を握り締め、ゆっくり息を吐く。金色の髪がシューッと音をたて、白煙を上げる。白煙がカインの体を包み込んだ。