第127回 遅れてきた二人
揺らめく炎の中、佇むガゼル。魔獣化が完了し、周囲には圧倒的な威圧感が広がる。
距離を置いているはずなのに、その威圧感に押し潰されそうになるカルールとケイス。それでも、武器を構え真っ直ぐにガゼルを見据える。
静かに三人の対峙が続く。
ライフルを握る手を僅かに震わせるカルールは、自らの心を落ち着ける為に深く息を吸い静かに吐き出す。と、同時に瓦礫が崩れる音が響き、ガゼルの姿が消える。遅れて炎が揺らめき、ケイスの目の前にガゼルが現れ、
「調子に乗るなよ!」
叫び声と同時に重い一撃がケイスに見舞われた。だが、ケイスは大剣を地面に突き刺し、剣の平でガゼルの拳を受け止める。衝撃だけが後ろへと突き抜け、ケイスの白髪が激しく乱れる。激しい土煙が舞うが、ケイスは大剣の向うにいるガゼルの赤い瞳を見据える。
「ケイス! 大丈夫か!」
「心配無用。処罰続行」
ケイスはそう口にすると、静かにもう片方の大剣を素早く突き出す。ガゼルはその突きを跳躍してかわすと、手の平に炎を灯す。
ケイスは素早く地面に突き立てた大剣を抜き、ガゼルへの追い討ちの為に空へと視線を向ける。ケイスとガゼルの視線が交わり、銃声が単発で何度も響く。そして、ガゼルに弾丸が打ち込まれ、体が跳ね上がる。
「二対一だって事忘れんじゃねぇぞ」
カルールは何度も引き金を引き、空中に居るガゼルに弾丸を浴びせる。衝撃は微々たる物だが、ガゼルのバランスは完全に崩れ、地上へと落ちた。
「ぐっ……きさ――」
「処罰!」
地上へと落ちたガゼルに、追い討ちを掛ける様に、ケイスが右手に持った大剣を振り下ろす。その重い一撃がガゼルの右肩に入った。
「くっ!」
魔獣化したガゼルの硬い皮膚に僅かに刃が食い込む。だが、致命傷には至らず、薄らと血が滲む程度だった。渾身の一撃だったが、この程度の傷。これ程、魔獣人との力の差があった。それでも、ケイスはもう片方の大剣で二撃目を見舞う。
「ぐっ!」
先程よりもスピードの乗った重々しい一撃が左肩に決まった。その衝撃に地面が割れ、爆風が土煙を舞い上げる。
地面に飛び散る鮮血。
深く食い込む刃。
そして、重々しくガゼルの肩に圧し掛かる大剣が力なく地面へと落ちた。
よろめくケイス。その右肩には深々と一本のナイフが突き刺さっていた。
「そろそろ、俺も入れてもらおうか」
突如ケイスとガゼルの間に現れた男。長い黒髪に、色白の肌。漆黒のマントを身に纏い、薄気味悪い細い目が黒髪の合間からケイスの顔を覗き込む。その目は冷酷で、自然とケイスの足を半歩下がらせた。
男はゆっくりとマントの中に手を滑らせると、大型のナイフを取り出す。ケイスは右肩に刺さったナイフの柄を握り、苦痛に顔を歪めながら引き抜く。鮮血が栓を抜かれた様に派手に溢れる。ナイフを投げ捨て、その傷を押さえるケイスは、荒い呼吸で更に二歩後退した。
大剣を両肩に直撃させたガゼルは、薄らと肩に血を滲ませながらも、目の前に佇む男の背中を見据え、
「ジャガラ……誰が手ぇ出していいって言ったんだ……」
と、右手でジャガラと呼んで男の肩を掴む。
そんなガゼルに、ゆっくりと振り向くジャガラは、手に持ったナイフを喉元に向け、
「悪いが、これ以上時間を無駄に過ごしたくない。俺は暇じゃないんだ」
「くっ……」
奥歯を噛み締め言葉を呑み込む。その様子にゆっくりと喉元に向けたナイフを離し、静かにケイスの方へと目を向ける。
荒い呼吸を繰り返すケイスは、血に塗れた手で大剣の柄を握り、構えなおす。と、背後からカルールの声が響く。
「伏せろ! ケイス!」
その声にケイスは体勢を低くすると、カルールは両手に持ったライフルを乱射した。だが、ジャガラは乱射された弾丸をことごとくナイフで防ぐ。弾丸がナイフの刃に当たる度に火花が散る。無数に乱射された弾丸を全て防いだナイフは、刃がこぼれ使い物にならなくなってしまった。それを投げ捨て、マントの中からすぐさま次のナイフを取り出す。
「な、なに……コイツ……」
驚き声を漏らすカルールに、静かに視線を向けるジャガラは、ナイフの先をカルールに向け、
「残念だが、俺は弱者に対しても本気で行く。それが、俺に戦いを挑んだ者へ対しての敬意だ」
「敬意……なら、私も……その敬意に全力を持ってこたえるのみ」
「お、おい! ケイス! 退け! 今のお前じゃ――」
カルールの制止も聞かず、ケイスがジャガラとの間合いを詰め、左手に握った大剣を外から内へと振り抜く。その軌道を見据えるジャガラは、静かに一歩後退し、上半身を僅かに後方へと傾ける。ジャガラの目の前を大剣の切っ先が横切り、刃風がジャガラの前髪を揺らす。
大剣を振り抜いたケイスに、瞬時に体勢を整え間合いを詰めるジャガラ。ケイスもそれを予期していたのか、振り抜いた大剣を素早く内から外へと振り切る。だが、その刃に手応えは無く、刃風だけが吹き抜けた。
「くっ!」
「太刀筋は悪くない。だが、遅い」
屈んで大剣をかわしたジャガラは、更に間合いを詰め右手に持ったナイフを、ケイスの腹部へと突き立てた。
「グッ!」
「安心しろ。俺は奴とは違う。すぐに楽にしてやる」
腹部にナイフを突き立てられ、前屈みになるケイスにジャガラはそう告げマントの中から一本のナイフを取り出す。いや、それはナイフと言うよりも、剣に近い大きさだった。そのナイフの柄を両手で握り締め、首に向ってナイフを落とす。
「ケイス!」
カルールが叫ぶと何処からともなく風が吹き抜ける。と、同時にジャガラの振り下ろしたナイフが寸止めされた。そして、ゆっくりと視線が上がり、
「来た……か」
と、呟きナイフを構える。土煙が舞うその中で、二つの影が薄らと浮かぶ。その光景に膝を付いていたガゼルがゆっくりと立ち上がり、戦闘体勢を取る。
「くっそ……。何で俺がこんな所に」
幼い男の声が聞こえ、更に、
「うるさいぞ。黙ってろ」
と、凛とした男の声が聞こえた。土煙がゆっくりと晴れ、その二人の姿が見える。
一人は顔の右半分に傷を負う黒髪の男。右目には眼帯をし、腰には漆黒の鞘に納まった剣をぶら下げている。切れ長の目は真っ直ぐにガゼルとジャガラを見据え、右手は確りと柄を掴んでいた
もう一人は小柄で短髪の黒髪の少年。民族衣装の様なカラフルな衣服を身に纏い、こちらも腰に一本の刀をぶら下げる。表情はやや不満げで、眉間にシワを寄せガゼルとジャガラを見据える。
その二人を見据え、不適に笑うガゼル。何処か余裕を見せるガゼルは、両肩を大きく揺らし、
「くくくっ……。誰かと思えば……貴様等か。こんな所に何しに来たんだ」
と、静かに笑う。
ガゼルを見据える少年は一層不満そうな表情を浮かべ、
「笑われてんぞ。ワノール」
と、隣りに立つワノールと呼んだ眼帯をした男にそうなげかけた。
その言葉を鼻で笑ったワノールは、隣りの少年を軽く睨み付け、
「残念だが、笑われたのはウィンス。お前だろ」
静かにそう告げると、ウィンスと呼ばれた少年は苦笑し、
「冗談だろ……本気にするなよ」
「俺も冗談のつもりだが?」
「嘘付けよ。目が本気だって言ってんぞ」
更に苦笑するウィンスに、落ち着いた様子のワノールが、僅かに笑みを浮かべ、ゆっくりとガゼルの方へと視線を向けた。
やけに落ち着いた二人に、苛立ちを見せるガゼルは、奥歯を噛み締め鼻筋にシワを寄せる。