第122回 体内へ
風を切る鋭い音に遅れ、肉片が散る。
血飛沫は派手に散るが、手応えはまるで無い。それでも、アリアはカシオの道を作る為にひたすら剣を振るった。
返り血に真紅の髪も黒ずみ、衣服も肌さえも黒く凝血した血に塗れていた。どれ位斬ったのか、後どれ位斬ればいいのか、そんな考えがアリアの頭の中に過る。剣を振るう腕も徐々に重く感じ始め、呼吸は荒々しく変わっていた。
「これ以上は無理だ……下がれ」
乾いた声でカシオがアリアにそう言うが、アリアは頑なに首を振り、刃を振るう。これも、特別部隊参謀と言う肩書きの意地なのだろう。
必死の二人を鼻で笑うクローゼルは、その巨大な体をしならせると、大きな尻尾を二人に向って振り下ろした。影が二人を覆い、一瞬にして地響きと衝撃が周囲を包む。舞い上がる土煙に、クローゼルの半身が包み込まれ、二人の姿は完全に消えた。
『これで……終わった……』
「何が……終わったって?」
掠れた声が何処からとも無く聞こえ、クローゼルが叫ぶ。
『貴様! 何処にいる!』
その声に対し、カシオがゆっくりと土煙の中から姿を現した。ボロボロの体に額からは激しく血が流れ出している。左腕にはアリアを担ぎ、右手に握った渦浪尖を地面に突き立て、ようやく立っている状態を保っていた。
咄嗟の判断だった。カシオは、渦浪尖を地面に勢い良く叩きつけ、その衝撃を利用してその場を離れたのだ。その為、体はボロボロだった。
「ハァ…ハァ……さて、そろそろ肉体的にも限界なんで、終わらせたい所なんだが……」
口ではそう言ってみせるカシオだが、もうその場を動く程体力は無かった。渦浪尖で何とか体を支えているが、渦浪尖を握るその手の握力すら弱々しいものだった。
左腕に抱えたアリアがゆっくりと瞼を開き、クローゼルには気付かれない程の小さな声でカシオに囁く。
「チャンスは一回きりです」
「分かってる……でも、アイツが俺に協力するとは……」
「大丈夫です。あの人なら、協力すてくれます。それより、体は大丈夫ですか?」
「大丈夫……って言いたい所だけど、もう限界だ。早い所楽になりたいもんだよ」
小声で話す二人に、クローゼルが喉の奥から吐き出した様な声で怒鳴る。
『虫ケラ共が! 俺の手を煩わせるな!』
巨大な体が大きく持ち上がり、大口を開き顔からカシオに向って突っ込んで来る。その瞬間、カシオはアリアの体から手を離し、アリアも勢い良く反転しながら持っていた切っ先の尖った剣をクローゼルに向って投げる。
『くふふふっ! その程度――』
クローゼルがそう口にした刹那だった。乾いた破裂音が連続で響き、空に紅蓮の炎が柱を伸ばす。それと同時に体にムチを入れ走り出すカシオは、大きく開かれたクローゼルの口の中へとダイブする。それに遅れ、二発の弾丸が口の中へと被弾した。
『ぐぅ!』
突如起きた異変にクローゼルがそう声を上げる。
クローゼルの口に被弾した玉は青の硬弾だった。その為、クローゼルの大口は開いたまま閉じられなくなっていた。
『うぐっ! な、何が……!』
自分の身に起きた事態にうろたえるクローゼルが、その巨体を大きく持ち上げる。
その隙に土煙の合間にグライブが姿を見せ、アリアを抱えその場を去る。
「あれでよかったのか?」
「えぇ。ありがとうございます。後は、あの方が……」
「いいのか? あんな奴を信じて?」
グライブが眉にシワを寄せ不満そうにそう口走る。だが、アリアは何処か自信ありげに笑むと、
「大丈夫ですよ。わたすの考えが正すければ、あの中は、彼がもっとも力を発揮できる環境ですから」
「あいつがもっとも力を発揮できる環境?」
不思議そうに聞き返すグライブは、一旦体を反転させ左手に握ったライフルの引き金を引く。轟音を轟かせ青白い閃光が大気を走り、大口を開き大きく仰け反るクローゼルの腹部へと突き刺さった。だが、殆ど効果は得られず、グライブはもう一度反転し、走り出す。
「音の割りに、威力が弱いんですね」
「うるせぇよ。元々、あんな化物相手にする為の武器じゃねぇよ」
「対人間用って事ですか?」
その言葉に、グライブが僅かに表情を引き攣らせる。人だけを殺める為の道具。そう言われた気がしたからだ。アリアの言う事は間違ってはいない。グライブ自身、カシオを殺す、それだけの為に、このライフルを扱っているわけだから。
反論する気もなく、黙るグライブに対し、アリアはもう一つ気になる事を問う。
「何で、あの人を殺そうとしてるんですか?」
「――ッ!」
グライブの表情が更に険しく変わり、眉間にシワが寄る。その表情に、アリアも僅かに表情を顰めた。聞いてはいけない事だったのかと。だが、グライブは奥歯を噛み締めると、静かに口を開いた。
「アイツと親父に、母は殺された。それだけだ」
「お母様が? でも、わたすの調べだと、お母様は病死じゃ……」
アリアがそう口にすると、グライブの表情が一層険しくなった。アリアがこの事を調べたのは、つい先日になる。王であるブラストの命で、飛行艇に集めた人間の素性を調べる様に言われたのだ。その中にカシオの名前とグライブの名前も刻まれていた。その為、アリアは二人の家族関係を詳しく記憶している。だからだろう。グライブの「母は殺された」と、言う発言が気に掛かったのだ。
だが、その後グライブが口を開く事は無かった。
大量の水飛沫を上げ、カシオの体は奇妙な液体の中へと落ちた。
「うわっぷっ……。な、何だこりゃ……」
立ち泳ぎで液体から顔を出したカシオは、ゆっくりと周囲を見回した。ぶよぶよの壁がグチョグチョと音を起て動き、液体が激しく波打つ。呼吸を整えるカシオは、頭上を見上げ表情を引き攣らせる。
「マジ……ッスか? アリアの奴……俺を胃酸で溶かす気か!」
カシオが大声で叫ぶが、その声は響かず消えた。ぷかぷかと浮かぶカシオは小さく息を吐き、もう一度周囲を見回す。
暫く周囲を見回し、この液体が胃酸である事が分かった。そして、今も尚自分の体がジワジワと消化されようとしている事も、感覚で分かった。右手に握った渦浪尖。その柄が僅かに溶け始めていた。
「くっそっ……ただでさえ体がボロボロだって言うのに……この仕打ちは何だ。まぁ、いい。とりあえず、これから――」
「これからなんだって? 俺の体の中で何をしてる」
突如背後から聞こえた声に振り返ると、そこにクローゼルがいた。水面に波も立てずに立ち、真っ直ぐにカシオを見下ろす。息を呑み、そのクローゼルを見据えるカシオは、渦浪尖を握り直す。刹那、無数の腕がぶよぶよの壁から生え始める。
「クククッ……。お前は、ここで死ぬ」
「死なねぇよ。俺は、生還して見せるさ」
「ここから、どうやって出るつもりだ?」
「腹を切り裂いて出るに決まってるだろ?」
当然と言わんばかりにそう言うカシオを、鼻で笑うクローゼルが腕を上げると、壁から生えた無数の腕が一斉にカシオへと襲い掛かった。その動き出しにあわせる様に、カシオは僅かに息を吸うと、液体の中へと体を沈める。
刹那、カシオの目に液体が入り込み、一瞬にしてカシオの灰色の瞳が銀色へ変化し、その目に映るものが全てスローになる。水呼族特有の能力を発動し、カシオはゆっくりと渦浪尖を構えた。腕が液体に着水する度に激しい飛沫を上げ、カシオに向って直進する。だが、全てがスローに映るカシオには、それは容易くかわす事が出来、同時に容易に反撃する事も出来た。
しかし、向って来る拳はことごとくカシオの体を直撃し、血が液中に広がった。