第121回 本体
うごめく無数の腕。
漂う土煙と、降り注ぐ砕石。
不適な笑みを浮かべるクローゼルに対し、苦悶に表情を歪めるカシオ。先程受けた打撃で体はボロボロだった。それでも、しっかりと渦浪尖を構え、クローゼルの顔を睨み付ける。
静寂の中に吹き抜ける乾いた風。巻き上がる土煙。摺り足で右足を前に出すカシオは、重心を前方に傾けゆっくりと前傾姿勢を取る。
そんなカシオの姿を嘲笑う様に肩を揺らすクローゼルは、不適に口を開く。
「幾ラヤッテモ、オ前デハ俺ニ勝テナイ」
「うるせぇよ。俺は、諦めが悪いんだよ。何度でも挑んでやるからよ」
「ナラ、俺ハ次デ、オ前ヲ殺ス」
「俺も、次でお前を倒す」
力強くそう言って退けたカシオは、右足に重心を傾け、一気に地を駆ける。ダメージの影響で本来のスピードを出す事の出来ないカシオだが、今出せる全力の速度でクローゼルへと迫った。降り注ぐ拳を裂きながら、遂にクローゼルを自らの間合いへと捕捉する。
「これで、最後だ!」
カシオが力強く右足を踏み込み、同時に渦浪尖を一本槍から三本槍へと変化させる。刃が一瞬で三つに分かれ切っ先がクローゼルの胸を貫いた。血が大量に飛び散り、カシオの手が鮮血に染まる。
足元に広がる血溜り。
力なく地面に落ちる無数の腕。
そして、カシオの手に伝わるしっかりとした手応えに確信する。勝った――と。
だが、次の瞬間、カシオの体は宙を舞っていた。視界が一転し、激しい衝撃と共に地面へと叩きつけられる。
「ぐっ……」
呼吸が一瞬止まり、視界が真っ暗になった。何が起こったのか理解出来ず、呼吸を乱しながら瞼を開くと、薄ら笑いがその耳に届く。
「くくくくっ……勝ッタト思ッタカ? 俺ハ不死身ダ」
不適な笑いと共に地中から這いずり出て来るクローゼル。そして、渦浪尖の刃には薄い皮の様なモノだけが残されていた。
「くっ……てめぇ……ようやく全貌が見えてきたぞ……」
苦しそうに表情を引き攣らせ、奥歯を噛み締め体を起したカシオは、渦浪尖を地面に突き立てようやく立ち上がる。また、顎をかち上げられたのか、視点が揺らぎクローゼルの姿が二重にも三重にも重なって見えた。それでも、視線は強く真っ直ぐにクローゼルを睨み付ける。
一方で不適な笑みを浮かべるクローゼルは、もう一度地面から無数の腕を出し、ゆっくりとカシオの方へと足を進めた。
「オ前ニ俺ハ倒セナイ。オ前ハ、俺ノチカラノ前ニ平伏ス事シカ出来ナイ」
「さっき……言ったろ? お前の全貌が見えてきたって……」
「俺ノ全貌? くくくくっ……オ前如キニ分カルハズガ無イ」
「なら、試してみようじゃないか……」
口元に笑みを浮かべたカシオは、震える膝に力を込め、ゆっくりと渦浪尖を構えた。もう自ら動く力など残っては居ない。それでも、反撃する為に少しでも体力を回復する為に、カシオはその場でジッと仁王立ちする。
倒しても起き上がり、力の差に臆す事無く、強気な態度を見せるカシオに、クローゼルの中でジワジワと怒りが溢れ出す。そして、余裕を浮かべていたクローゼルの表情が一変し、怒りのこもった表情へと変わる。
大気が僅かに震え、足元には土煙が舞い上がる。僅かに大地が揺れ、轟々しい音が地中深くから聞こえてきた。そして、クローゼルの足元に細かな亀裂が走り、徐々に地面が突起し、徐々に得体の知れない巨大なモノが姿を見せ始める。
「それが……本体ってわけかよ……大方……よ、予想通りだな」
戸惑い気味のカシオは、ゆっくりとその物体を見上げ、表情を引き攣らせた。
カシオの目の前にそびえるのは大蛇。大きさは五十メートル程で、その体の太さは五メートル程あった。そして、その大蛇の背中からは無数の腕が伸び、頭の上に小さなクローゼルの体が乗っかっている。
その規格外の大きさに唖然とするカシオ。自分が予測していたモノと全く違うそのクローゼルの姿に、「あぁー」と小さく声を発した。
『これが、俺の本当の姿だ』
「いやぁー……でか過ぎだろ? こんなの、どうやって……」
カシオが全てを言い終える前に、大蛇と化したクローゼルの尾がカシオを襲う。衝撃が広がり地響きが起こる。地面が砕け砕石と土煙が激しく舞い上がった。
直撃は避けたものの、その衝撃になぎ払われたカシオは、地面を転がり数十メートルも吹き飛ばされていた。
「くっそっ……これじゃあ、体力回復とか、悠長な事言ってる場合じゃねぇな……早く何とかしないと……」
「む、無理ですよ……あ、あんなの、勝てるわけ無いって分かってるはず……」
突如背後からアリアがそう言葉を掛けた。まだ恐怖で震える体。手には折れた剣と尖った剣を握り締め、潤んだ黒の瞳がジッとカシオを見据えていた。彼女自身、何度もカシオの援護に回ろうとしたが、一度感じた恐怖に打ち勝てず動く事が出来ずに居た。
そして、クローゼルの本体を見て、アリアは更に絶望的な力の差を感じ、こうしてカシオに忠告しにきたのだった。それでもカシオは無理に笑顔を見せ、
「大丈夫……俺は、勝つ……。それしか、道が無いからな……」
おしゃべりなカシオが、それだけを言い口を閉じた。それ程まで体力を消耗し、追い込まれた状況だった。
喉が渇き、呼吸が苦しい。自分が今どう言う状況なのかもハッキリとしないまま、カシオはゆっくりと足を進める。引き摺る様に一歩一歩。だが、それを制止する様に目の前にアリアが立ちはだかった。
「な、何でそこまでするんですか! あなたは、自分の身がどうなっても言いと言うのですか!」
「……俺だって……辛いのは……嫌だ。でも……誰かが、倒さなきゃ行けない……だろ?」
「その誰かが自分だと、言うのですか?」
アリアの問いにクスッと笑うカシオは、静かに空を見上げた。
「違う……俺は……そんな器じゃない……ただ、俺が少しでも……奴の体力を削れば……次の奴はそれだけ楽に戦える。それに……俺には、もう奴を倒す術も、体力も無いから……少しでも……」
「くっ! お、男は皆そうです! 自らの身を犠牲にして次に託す! 何を考えてるんですか! あなたを待ってる人はどうなるんですか!」
声を荒げるアリアに、カシオはもう一度笑みを浮かべる。
「俺を待ってくれてる人……か……。そんな奴……」
「貴様を殺すのは俺だ。ここで死なれては困るんだよ」
金属音と共にカシオの頭部に銃口があてがわれた。
「な、何すてるんですか! 彼は――」
「黙れ、お前に関係ない。これは、コイツと俺の問題だ」
「今は、そんな事を言ってる状況じゃ無いんです!」
もめる二人を尻目に、ゆっくりと足を進めるカシオは、クローゼルの姿を目視し小さく息を吐いた。全体重を右足に乗せ、前傾姿勢に入る。その動きにクローゼルが気付く。
『くっくっくっ……無駄な足掻きだ……』
「無駄かどうかは……最後までやってみなきゃ分かんねぇだろ!」
カシオは叫ぶと同時に地を駆ける。動き出しは遅く、その動きも今までで一番遅い。それでも、一直線に着実にクローゼルへと迫る。しかし、それを阻む様に無数の腕がカシオへと襲い掛かった。今のカシオには、これらを全て避けて行く体力は残されておらず、ただひたすら直進する。
刹那、カシオに襲い来る腕が裂け、道が開けた。
「あなたの様な一般人にここまでされては、特別部隊参謀の名が廃ります! 私が道を切り開くので、迷わず真っ直ぐ進むといいです!」
折れた剣で次々と腕を切り裂いていくアリア。その動きにもう恐怖は無く、いつものアリアの動きに戻っていた。