第119回 不死身
音も無く地を駆けるアリア。
逆手に握った薄く鋭い刃の先が時折地面に触れ、後塵を巻き上げる。胸の前に構えられた切っ先の尖った剣で、予備動作も無く鋭い突きを見舞う。クローゼルの胸を狙いすました一撃だった。だが、刃は空を斬る。運が悪かった。刃が触れるその刹那に、クローゼルの足元の土が崩れたのだ。地面が崩れたことにより、クローゼルの体が大きく傾き、アリアの放った突きは脇の下をすり抜けてしまった。
しかし、一切表情を変えないアリアは、素早く突き出した手を引くと、逆手に握った剣を振り上げる。斜め下から一直線振り上げられた刃は、クローゼルの左脇腹から右肩へと抜けていった。
仰け反るクローゼル。
傷は浅いが派手に飛び散る血。
踏み込んだ右足に更に体重を乗せ、振り上げた逆手に握った剣をクローゼルの胸へと突き立てた。鈍い短音が聞こえ、血が放射線状に飛び散った。突き立てた刃が振動する。元々、斬る事に卓越した刃の為、振動に耐え切れず刃に僅かな亀裂が走った。
動きを止めたクローゼルの体から血が地面に広がる。アリアはそれを見届けると静かに息を吐き、クローゼルの胸から刃を抜いた。その衝撃は軽いものだったが、亀裂の走ったその刃はいとも簡単に折れてしまった。
「ぐ~ぅ……開発部の連中め、もう少す強度を上げろと言っておいたのに……」
ボソッとそう漏らすアリアは、二本の剣を回転させ華麗に鞘に収めた。
驚くカシオは口を開けたまま唖然としていた。あのクローゼルをこうも簡単に倒すとは思っていなかったからだ。
唖然とするカシオの方へと真紅の髪を揺らし体を向けたアリアは、小さく息を吐いた後ニコッと笑みを浮かべた。その笑みでようやく我に返ったカシオは、引き攣った笑みを浮かべると、持っていた渦浪尖を下ろし小さく息を吐いた。
安堵の表情を浮かべるカシオだが、それも束の間だった。突如として周囲に爆音が轟き、何処からとも無くクローゼルの声がこだましたからだ。
「グハハハハッ! 俺ハ死ナナイ! 俺ハ――」
「おとなすく成仏しろ!」
アリアが腰から二本の剣を抜くと、切っ先の尖った剣を逆手に握り、振り向き様にそれを投げつける。だが、そこにクローゼルの姿は無く、二本の剣を繋ぐ鎖だけが虚しく音をたてる。
怪訝そうな表情をするアリアは、鎖が伸びきった所で一旦それを引き剣を手元に戻すと、ゆっくりと周囲を見回す。
「……いない?」
小首を傾げると、突如地が揺れる。僅かに驚いた表情を見せたアリアだが、すぐにその場を飛び退く。それと同時に地から二本の腕が飛び出す。砕石が舞い、拳がアリアの右頬を掠める。
「チッ!」
軽い舌打ちを残し、軽やかなバックステップで拳をかわす。幾度と無く舞い上がる砕石と爆音。終始圧倒されるアリアだが、折れた剣を逆手に持ち返ると前傾姿勢をとり、踏み込んだ右足のつま先に全ての体重を乗せ、一気に直進する。拳はアリアの遥か後方に落ち地面を砕く。それを確認し、アリアは上体を落とし更に加速する。
「隠れても無駄だ!」
折れた剣で地を割き、遅れて切っ先の尖った剣をそこへと突き立てた。根元まで深く刃が刺さり地面から血が溢れる。今まで唸っていた長い腕が大きな音を立て地に落ちた。僅かに呼吸を乱すアリアは、鎖を引っ張り突き立てた剣を抜くと、周囲を警戒する様に見回す。
地面から抜かれた刃には血が付着しているが、怪訝そうな表情を浮かべるアリアは、すぐに剣を持ち直しその場を立ち去る。
その動き出しと同時に、もう一度地が揺れた。あらかた予測していたアリアはすぐさま真剣な表情を見せると、カシオに向って叫ぶ。
「立ち去れ! 奴は何か変だ!」
多少乱暴な口調になるアリアを、地中から飛び出した腕がもう一度襲う。相変わらず縦横無尽に動き回る腕が、アリアの右足に絡まる。
「チッ!」
「アリア! 今、助けに――」
「助けなど要らない!」
力強くそう言い退け、アリアは折れた剣で右足に絡まる腕を裂いた。派手に血飛沫が飛び散り、その腕が力なく地に落ちる。だが、次々と地中から腕が飛び出しアリアへと襲い掛かった。
折れても尚切れ味の衰えぬその剣で、次々と腕を切り裂くアリアは、前進と後退を使い分け上手い具合にその腕との間合いを詰めながら攻防を続ける。
カシオもその手助けをしようとするが、まだ足を動かす事が出来なかった。あの時のクローゼルの一撃がかなり堪えている様だ。それでも奥歯を噛み締め渦浪尖を構えたカシオは、ゆっくりと右足を踏み込むとそれを突き出した。衝撃が螺旋を描き直進し、アリアを襲う無数の腕を弾く。威力は弱いもののアリアの逃げ道を作るには十分な破壊力だった。
抉じ開けられた道を進むアリアは、向かい来る腕を折れた剣で裂きながらカシオの方へと辿り着くと、静かに口を開く。
「あれが、魔獣人の力なんですか?」
「俺に聞かれても分かるわけ無いだろ。俺だって、魔獣人と対峙するのは初めてだし……」
「役立たずですね」
「うっ……痛い所をザクザク抉るね……キミ」
「本当の事を言っただけです」
サラッとそう述べたアリアは、地中から突き出た腕を真っ直ぐに見据える。相手はクローゼル一人なのに腕は無数。この異常な状態に、小さく舌打ちをするアリアは、眉間にシワを寄せ頭をフル回転させる。
様々な事を考えていた。この現象はなんなのか、クローゼルは何処なのか、何故生きているのか。疑問が疑問を呼び、アリアは激しく首を左右に振った。全ての疑問をなぎ払うように。
そんな状況の中、地上がより一層揺らぐと、うごめく腕の中心で地面が大きくめり上がった。亀裂が大きく走り、そこから恐ろしい程の殺気が漏れる。
殺気に思わず半歩下がる二人。脳が瞬時に逃げろと信号を送るが、体がそれを拒絶する様に体を震わせる。鼓動が速まり、瞳孔が開く。全ての音が遮られた様な錯覚を感じ、二人は自然と息を呑んだ。
「ぐふふふふっ……俺ノ姿ニ……恐怖シロ」
「あんな事言ってるけど……どう? 恐怖してる?」
やや強がりながらも、カシオは笑みを浮かべ横に立つアリアに目を向ける。しかし、アリアの表情は強張っていた。カシオよりも感覚が優れているからだろうか、直にクローゼルの放つ殺気を感じてしまった。人ならざるものの放つ異様な殺気に完全に支配されたアリアは、体を僅かに震わせもう半歩後退する。
先程までの様子と違うアリアにカシオの表情から笑顔が消えた。流石にヤバイと判断したのだ。静かに息を吐き出し、珍しく真剣な表情をするカシオは、首からぶら下げた割れたゴーグルを額へと掛け、ゆっくりと右足を前に出し渦浪尖を腰の位置に構えた。
三又に分かれた渦浪尖の刃が微かに揺れる。知らず知らずカシオの体が震えていたからだ。頭では殺気など気にしていないと言い聞かせても、体の方はその恐怖に自然と震えてしまう。それでも、無理に口元に笑みを浮かべたカシオは、強気な態度でクローゼルに答えた。
「恐怖するのはお前だろ。俺の強さに逃げ出すなよ」
「くふふふふっ……ソノ態度ガ、何時マデ続クカナ」
不適な笑いを浮かべながら地中からクローゼルが姿を見せる。両肩から伸びる無数の腕。触手の様なその腕が地面を抉りながら地上へと現れる。息を呑むカシオは、その姿に薄らと笑みを浮かべ、もう一度静かに息を呑んだ。