第110回 将軍ツヴァル
漂う土煙の中、フレイストがゆっくりと腰を落とした。大きく両肩を揺らし、深く呼吸を繰り返し右手に握っていた鱗龍を地面に置く。
静まり返った中で、初めに聞こえたのは兵達の歓声だった。リオルドを失った事で統率を失った魔獣達が、次々逃げ帰っていくからだ。その光景にフレイストも静かに笑みを浮かべた。
小さな吐息と共に、赤紫の髪が揺れる。困った表情で頭を掻く青年は、もう一度吐息を漏らす。そして、目の前に佇む小柄の老人に目を向ける。
「――ッ! ――ッ!」
「何なんだ! この老いぼれは!」
呻き声の様な言葉を発する老人に、そう叫んだのは背中から漆黒の翼を生やしたディクシーだった。苛立ちの見える表情に、青年がもう一度ため息を漏らす。それに遅れて、もう一つの声が妙な口調で言葉を発する。
「あのさ〜。ちゃちゃと〜、終わらせない?」
「うっせぇ! テメェは黙ってろ」
「何々? 少し階級上だからって〜、命令? 言っとくけど〜、俺、誰の指図もうけないけど〜」
何かとイライラとする喋り方のクローゼルに、ディクシーが手に持った剣を首筋に突き付ける。
「黙ってろ。今、私が話してるだろ」
「あ〜……。すいません。今すぐ退けるんで……」
困った様に頭を掻いていた青年が発した言葉に、小柄な老人が何か言葉を発する。だが、何を言っているのか理解は出来なかった。深々と頭を下げた青年は、老人を兵士に任せ、ゆっくりとディクシーとクローゼルの方へと向ける。
アチコチで起る爆音に、ディクシーが渋い表情を見せた。一方で、大きな欠伸をするクローゼルは、耳を指でほじりながらその光景を見て笑う。
「ククククッ……。面白いねぇ〜。あの老人、戦えるの〜」
「戦えないから、退けるんだろ。少し黙ってろ」
「分かってるけど〜。黙ってるのは〜、俺のポリシーに――」
「ウルサイ! 黙れ」
ディクシーの右手の剣がもう一度クローゼルの首元に向けられた。その行動に押し黙るクローゼルは、ゆっくりと後退し切れ長の細い目でディクシーを見据える。ニヤニヤと笑みを浮かべるクローゼルに、不快な感情を抱くディクシーは、右手を下ろし視線を青年の方へと向けた。
老人がその場から立ち去ったのを確認した青年は、静かにディクシーの方に体を向け、穏やかな笑みを見せる。
「すいません。どうも、先代の方がボケてまして……」
「それより、奴は何処だ?」
「……奴? それは誰の事ですか?」
少々丁寧な口調で問うと、ディクシーが眉間にシワを寄せ、視線を逸らした。小首を傾げ、青年は頬をポリポリと人差し指で掻く。
困り果てた様子の青年に対し、ふてぶてしい笑みを浮かべるクローゼルが相変わらずの口調で話しかける。
「あのさ〜。ちゃっちゃと始めちゃわない? 俺等〜、結構忙しいんだよねぇ〜」
「僕の方は、もう少しゆっくりしてもらうと、助かるんですけど」
「それじゃ〜、お前だけ、ゆっくりしてろよ!」
突如地を駆けるクローゼルが、低空姿勢から長い腕を振る。撓り風を切り、交互に左右の拳が青年の体を直撃し、軽快な打撃音が歯切れ良く聞こえ、数発殴打された青年の体が激しく地面を転げた。
石畳の上を転げる青年の右手で何かが煌き、乾いた破裂音が周囲を静まり返す。しかし、乾いた破裂音だけが聞こえ、弾丸は一切見えなかった。
「あれ〜? 今の破裂音は、何かな〜?」
ふてぶてしい笑みと同時に、クローゼルが追い討ちを掛ける為に青年に迫る。そんなクローゼルに向って、更に乾いた破裂音が数発轟く。
「ば〜かじゃない。そんな子供騙し――ッ!」
突然、クローゼルの両肩から血飛沫が舞い、体が後方へと弾かれた。石畳の上に血痕を広げ転げるクローゼルは、仰向けに倒れたまま動かない。空を見上げるクローゼルに歩み寄るディクシーは、冷やかな視線を送り、背中の漆黒の翼を広げた。
「テメェに、奴は任せる」
「あれれ〜? 逃げるつもり〜」
「黙れ。そして、死ね」
「死なないから〜」
スクッと立ち上がったクローゼルが、馬鹿にした態度でそう言うと、ディクシーがそれを無視して青年の方へ目を向ける。青年はその視線に気付くとニコッと笑みを浮かべると、軽く会釈した。
青年の態度に多少なりに苛立ちを覚えるディクシーだが、目的の為に静かに怒りをかみ殺す。ゆっくりと口から息を吐き出し、心を落ち着かせるディクシーは、淡々とした口調で青年に問う。
「国王はいつ戻る」
「さぁ? 僕には検討も付きませんけど、王に何か用ですか?」
「テメェには関係ない」
「そうでもないんですよ。将軍の名を受け継いだ以上、国王に降り掛かる火の粉は払わせてもらいますよ」
右手に握った奇妙な形の短刀の切っ先がディクシーの方へと向けられた。怪訝そうな表情をするのはクローゼル。あの短刀の何処からあの乾いた破裂音がしたのか、分からなかったからだ。
涼しい表情のまま短刀を構える青年は、ゆっくりと右足を踏み込み、腰を低くする。その動きにディクシーも剣を構えた。
「そんな短刀で勝てると思ってるのか?」
「これが、ただの短刀に見えますか?」
「十分、そう見えるんだけど〜」
「ここは発明大国ですよ。そんな普通の短刀なんて――使いませんよ!」
青年が短刀を振るうと、乾いた破裂音が響く。遅れて、血飛沫が舞いディクシーとクローゼルの体が弾かれる。地面に倒れるクローゼルと違って、その場に踏み止まるディクシーは、口の端から血を流しながら、不適な笑みを浮かべた。
赤い瞳が静かに青年を見据え、右足を静かに前に出す。握っていた刃を下段に構え、口を開く。
「貴様の名前を聞いておこうか」
「僕は第三十六代将軍。ツヴァル」
「私は十二魔獣第六席。ディクシー」
「俺は〜、十一席の――」
クローゼルの言葉を無視して、両者が走り出す。二人の軽快な足音が近付き、遅れて刃がぶつかり合う澄んだ音が響いた。僅かに吹き抜けた風が、両者の髪を撫でる。二人の視線が刃を挟んでぶつかり合う。
黒の瞳が右に動き、ツヴァルが身を屈め右足を踏み込む。短刀が滑る様にディクシーの刃を受け流す。同時に短刀を逆手に持ち替え、一瞬でディクシーの死角へと回り込んだ。
だが、刃をその体に突きつける前に、何処からともなく伸びてきた拳が、ツヴァルの顔面を殴打した。
「――ッ!」
よろめき後退するツヴァルに、追い討ちを掛ける様に撓った腕が拳を何発も飛ぶ。拳が何発も顔を往復し、ツヴァルが遂に膝を落とした。ゆっくりと距離を取ったクローゼルはふてぶてしく笑みを浮かべる。