第106回 蠢く咆哮
閃光一閃。
弾ける火花。
砕ける地面。
舞い上がる砂塵。
一瞬にして静寂が戻り、両者の距離が離れる。
静かに息を吐き出すフレイスト。緑の瞳がリオルドの真っ赤な瞳を見据える。
膨れ上がった右腕で大剣を握るリオルドは、クッ、クッ、クッ、と小さな息継ぎを繰り返し、ゆっくりと体勢を整え、口を半分開く。両肩が揺れ、ゆっくりと息が吐き出される。足の爪が地面に突き刺さり、乾いた音を響かせた。
刹那に響く風音に続き、身を屈めたリオルドがフレイストに突っ込む。大剣が風を切り、衝撃と火花を散らす。鱗龍によって防がれたからだ。
凄まじい衝撃に僅かにフレイストの表情が歪み、上半身が弾かれ仰け反る。と、同時にリオルドの右腕が引かれ、もう一度大剣が振り下ろされた。
だが、それは空を切り、切っ先が地面だけを砕く結果となる。
「クッ」
短音の声に続き、視線が横に向けられた。そこには、体勢を崩したフレイストが座り込んでいた。側転で刃をかわした結果、そうなったのだ。
立ち上がり、鱗龍を構えなおす。僅かに上半身がふら付いたのは、まだ先程の衝撃が残っていたからだろう。
それを知ってか知らずか、間髪居れずにリオルドが切っ先を地面に減り込ませたままフレイストに迫る。地面の砕ける音が迫り、間合いにリオルドが入った――刹那、振り抜かれた鱗龍。閃光だけが走り、何事も無かった様に振り抜かれた鱗龍が構え直される。
「紙一重……ですか」
「馬鹿言え。あんなの掠りもしねぇよ」
「そうですか……。それじゃあ、後一歩踏み込むとしましょう」
ボソリとそう述べたフレイストが、距離を測る様に足元に目を落とした。
右足を半歩前に出し、腰を落とす。ゆっくりと上がった視線の先で、リオルドが不適に笑う。
「お前、次があると思ってんのか?」
「無いと、思いますか?」
「当然だ。貴様と俺は雲泥の差があるからな」
「そう思っているのは、あなただけですよ」
そう言ってフレイストが微笑む。だが、その笑みは何処か無理をしている様に見えた。それでも、周囲に張り巡らされた警戒心は途切れる事無い。
風が静かに流れ、土煙が舞う。周囲で轟く爆音が激しさを増し、血生臭い臭いが僅かに漂い始めていた。
円を描く様に右足を動かしたリオルドは、その足先に全体重を掛け、地を駆ける。地面を砕く切っ先が切り上げられた。瞬時に身を退き刃をかわすと、右足を踏み込みリオルドの懐へと潜り込む。が、すぐにそれが失敗だと思い知る。
「――ガッ!」
顎を右膝がかち上げた。視界が一瞬揺らぎ、フレイストの体が真っ直ぐに伸び、動きが完全に止まる。切り上げられた刃が、その重量も共なって勢い良くフレイストの体へと振り下ろされた。
――衝撃。
――激痛。
――血飛沫。
静寂が周囲を包み込み、土煙が巻き上がる。緩やかに流れる風が、巻き上がる土煙を薄めていく。
シトシトと滴れる赤い液が、地面に落ち弾けた。砕かれた地の破片が鋭利に上に向き、その先に血が付着している。
「ハァ…ハァ……ッ!」
深い息遣い。右肩口から左脇腹に架けて浅い切り傷が走っていた。切っ先が僅かに掠ったのだろう。それでも、血だけが大袈裟に溢れ、地面に雫を落とす。
右手に握られた鱗模様の刻まれた大剣の切っ先に、地面が触れる。カツッと小さな乾いた音が聞こえ、続けて風を切る音が微かに流れた。ただ空を斬った刃が天を指す。
「何のつもりだ? それとも、気でも狂ったか?」
「――いえ。……私は、至って冷静です。ただ――」
言葉を濁し、フレイストの視線がゆっくりと地面へと落ちる。美しい緑の瞳が、もの悲しげに――それでいて、強い決意を見せていた。それが、何なのか分からないが、小さく長く息を吐き出すフレイストが、ゆっくりと瞼を閉じた。大気が震え、空気が変わる。乾いた風が足元から吹き上がり、オレンジブラウンの綺麗な髪が穏やかに揺れ、傷口から流れる血が引いていく。
奇妙な威圧感にリオルドが右足を一歩退く。爪が地面を引き裂き、裂けた口から見える牙をむき出しにし、威嚇する様に喉を鳴らす。獣としての本能が行った行動と同時に、地を駆ける。鋭い爪が地面を砕き、右手の大剣が地面を裂く。
乾いた音を奏でながら、刃によって引き裂かれる地面。砕石が後塵として舞い、土煙がそれを覆う。
「ウオオオォォォォッ」
喉元から吐き出される低音の声。雄叫びの様にも聞こえるが、全てを裂く様にこだまし、地面を裂く刃が、何かを断ち切る様に天を目指し空を走る。
――ガキッ!
金属がぶつかり合う音が鈍く響き、突風が吹き荒れた。
踏み込み大剣を振り抜いたまま動かないリオルド。右腕が僅かに震え、表情が険しく変わる。
砂塵が消え、フレイストの姿があらわとなる。背中から突き出た不気味な尻尾と共に。
「それが、貴様の龍……と、言うわけか」
「残念ですが、そんな……クッ、生易しいモノじゃ……」
フレイストの表情が引き攣り、体に亀裂が走り光が溢れる。禍々しい殺気と共に溢れるのは、不気味な咆哮。刃を押さえ込むのは硬い鱗に守られた強靭な尾。そして、それがいとも容易くリオルドの体を弾いた。地を抉り激しく土煙を巻き上げる。
土煙の中へと消えたリオルドを探す様に目を凝らす。その間も拡大する体の亀裂。地響きの様な低音の声が更に巨大になり、ハッキリと聞こえる。
「なっ……なんなんですか……あれ」
「知らんのか? って、無理も無いか……。今では一部の龍臨族しか持たない力だからな」
レヴィの問いに、当然の様に答えるアルドフ。だが、その表情に僅かに焦りが見えた。フレイストの過去を知り、その力の強大さを知っているからだ。
「さぁて……。お前は俺の背中に隠れてろよ」
傷口を押さえながら立ち上がったアルドフが、不意にそう呟いた。その言葉の意味を理解するまで数秒。呆けていたレヴィは、突然首を左右に振ると、立ち上がりアルドフへと駆け寄った。
「な、何言ってるんですか! 隊長こそ、動かず私の後ろへ――」
「馬鹿野郎。龍臨族の力は、同じ龍臨族しか止められない」
厳しい口調でそう述べた後、優しく微笑んだアルドフは、「気持ちだけは受け取っとくがな」と、付け加えた。
自分の無力さに俯くレヴィは、右手に持った剣の切っ先を見据えた。
蠢く龍の尾。轟く咆哮。揺れる大地。放たれる衝撃が地面を喰らうかの如く砕き、土煙だけが激しく風に舞い上がる。痛々しい程肌を突き刺す殺意と憎悪。フレイストの肢体に押し込められていた龍自身が放つ、フレイストに向けた恨み。
身の危険を感じるアルドフは、小さく息を吐き出す。肩口の傷の痛みなど忘れる程、意識を集中していた。そうしなければ、一瞬で喰われてしまいそうだったからだ。
それ以上に、フレイストは身の危険を感じていた。肉体を引き裂く様な激痛がフレイストの背中を襲い、くぐもった咆哮が腹から響く。