第105回 国王
砲撃や咆哮、金属音の響く中、その一角だけ静けさを漂わせていた。
大剣を突き出すリオルド。刺々しい黒髪が揺れ、膨れ上がった右腕が脈を打つ。裂けた口から覗く鋭い牙をむき出しに笑う。不気味な笑い声に重なり喉から吐き出される息が、異臭を漂わせる。
武器を失ったアルドフ。だが、その目は未だ闘志を宿していた。勝算は限りなくゼロに近い。それでも、アルドフには一つだけ策が残されていた。リオルドにどれ程通じるか分からないが、出来る限りの事をしようと、アルドフは拳を握り締めた。
空気が振動し、けたたましい低音の声が突如響く。
“ヴオオオオオッ”
大気を震わす低音の声が、周囲に僅かな衝撃を広げ、土煙を巻き上げる。
空気が一変した事により、リオルドの表情も一瞬で変化する。笑みは消え、大剣が確りと構えられていた。右足に体重を掛け、前傾姿勢を取るリオルドは、そのまま地を蹴りアルドフへと迫る。右手に握られた大剣の切っ先が地面を抉り、土煙を激しく巻き上げていく。
「何をする気か知らねぇが、んな時間与えねぇよ!」
砂塵を巻き上げながら、右足を踏み込むと同時に大剣を横一線に振り抜く。震える大気を裂き、風が吹き抜ける。荒々しく鋭い音を響かせながら。
だが、刃はアルドフに触れる前にピタリと動かなくなった。
「クッ! た、隊長! 何してるんですか!」
リオルドの大剣を細身の刃で受け止めるレヴィが、アルドフにそう叫ぶ。太い右腕から発揮される怪力がレヴィの握る細い剣を体ごと押して行く。手が震え、刃が擦れ合いカタカタと音が響く。
そのレヴィの背中を見据えるアルドフは突如怒声を発する。
「バカ野郎! コイツには手を出すな、と言っただろうが!」
「な、何を言ってるんですか! 隊長を守るのも部下の――」
「テメェ如きが、この俺をどうにかできるなんて、思い上がってんじゃねぇ!」
「レヴィ!」
澄んだ金属音と共に弾け飛んだ細い刃が空中を回転し、弧を描きながら地面へと突き刺さった。鮮血が地面にボトボトと滴れる。
刃に付着した血を払うリオルドは、鋭い眼差しをアルドフの方へ向け、静かに笑う。
「クックックッ。身を呈して部下を守るか……。流石、隊長と言った所か」
「クッ……」
表情を引き攣らせるアルドフの右手の指先から、血の雫が滴れていた。右肩の刃傷。それは深く、血が止め処なく流れていた。右膝を落とし、深く息をするアルドフは、左脇に抱えたレヴィを下ろし、静かな口調で述べる。
「ハァ…ハァ……。俺の……事は、心配、するな。それよりも、ハァ…ハァ……」
言葉が途切れた。呼吸が荒く、時折苦痛に表情が歪む。重々しい鎧の破片が地面に落ち、アルドフは静かに笑う。何がおかしいのかは分からないが、自然と出た笑いだったのだろう。その後、すぐに表情が苦痛に歪み、口から血を吐いた。
既に意識は朦朧としているであろうアルドフの顔を見据え、レヴィは自らの失態に唇を噛み締めた。自分がアルドフを庇おうとリオルドの前に出なければ、こんな事にはならなかったはずだ。少し考えれば分かる事だった。隊長であるアルドフが敵わぬ相手に、副官のレヴィが敵うはずがないと。
俯くレヴィの肩を握り、アルドフは耳元で囁く。途切れ途切れのその言葉に、「でも!」とレヴィが声を上げた。しかし、アルドフは声色を変える事無く淡々と言葉を告げる。
「これから先は……お前が、指揮を……」
言葉が途切れ、アルドフが吐血する。地面に吐き出された血が、乾いた土に染み込んでいく。
地面に着いた左手。苦しそうに口から漏れる吐息。意識は朦朧とし視点も定まらないが、それでも両足に力を込めゆっくりと立ち上がる。
「いいか……お前は、優秀だ。だからこそ……生きろ」
「私は一兵士です。戦場に立つ事が――」
「馬鹿……や…ろう。お前は、若い。こんな……戦場で……無駄に……命を落とすな」
表情を歪めながらも、いつもの様に笑みを見せる。その弱々しい笑みにレヴィは眉間にシワを寄せた。アルドフの判断は正しいものだった。ここに居る者にリオルドを倒せる力は無い。それ所か、アルドフが倒れれば間違いなく皆殺しにされるだろう。
緊迫した空気に息を呑むレヴィ。瞬間、リオルドの右腕がゆっくりと振りあがった。“来る”そう判断したと同時に、空気が一変する。全ての音が切り取られた様に静寂が周囲を包み、張り詰めた空気の中に殺気が渦巻く。
凍える様なリオルドの視線が、二人の体を硬直させる。不適な笑みが口元に浮かび、重心を踏み込んだ右足へと移動させた。刹那に悟る。来ると。砂塵が舞いリオルドが地を駆ける。振り上げられていた大剣が、唸りを上げ二人に向って振り抜かれる。刃が風を切り、不気味な風音が――響かず奇妙な金属音だけが周囲に響き渡った。
振り上げた大剣が震え、金属と金属が擦れる嫌な音が聞こえる。
「……貴様!」
リオルドの鋭い眼差しを受け、静かな落ち着いた声が微かに聞こえてくる。
「これ以上、私の治める地で暴れるのは止めて頂きたい」
美しいオレンジブラウンの髪が揺れる。綺麗な程澄んだ緑の瞳が、その顔付きを凛々しくも猛々しく彩っている様に見えた。両手に握られるのは鱗模様の大剣。名は鱗龍。リオルドの持つ大剣とは対照的だった。
交錯する両者の大剣が弾かれ、二人が距離を取る。それは、リオルドが咄嗟に取った行動だった。
「貴様! 何でここに居る!」
「私がここに居ると、何か不都合でもあるんですか?」
爽やかな笑みと共に、摺り足で右足を前に出す。両手に握った鱗龍を腰の位置に水平に構え、ゆっくりと息を吐く。
そんな彼の登場に驚くレヴィは、アルドフの方に目を向ける。
「た、た、隊長! フレイスト様が――」
「何驚いてる」
レヴィと違い落ち着いた様子のアルドフは、静かに息を吐き大らかに笑う。まるでフレイストが来ている事を知っていたかの様に。そのアルドフの表情でレヴィも全てを悟り、怒りの篭った声で怒鳴った。
「し、知ってたんですね! フレイスト様が来ている事を!」
「知ってたも何も、あの時見えたからな」
「あ、あの時って、まさか私が――」
「そうそう。お前が乱入しなければ、俺と王子――いや。国王で同時に攻撃出来たんだがな」
呆れ顔でそう述べたアルドフに、レヴィの鉄拳が飛んだ。鈍い音と短音の悲鳴が聞こえ、フレイストが困った様に笑う。
「あの〜。もう少し、緊張感を持ってくださいよ。アルドフさん」
「いや〜っ。悪いな。どうも、坊ちゃんを国王と呼ぶのは――」
「そっちの事じゃないですよ! す、すいません。フレイスト様! 私達はすぐにここから――」
「大丈夫です。もう、傷付けさせません」
静かな口調に穏やかな声。鱗龍を腰の位置で水平に構え、ゆっくりと腰を落とす。
フレイストを見据え、押し殺した声で笑うリオルドが、右手に持った大剣の切っ先を地面につけた。構えなどは無く、不適に笑うだけ。それだけでも迫力があり、斬られた様な錯覚を覚える程だった。
冷静になる為にゆっくりと口から息を吐く。鼓動だけが早まり、緊張から鱗龍の柄を握る手にも自然と力が入る。