第102回 闇を裂く赤き閃光
静かな夜に響くけたたましい咆哮が、建ち並ぶ建物を片っ端から破壊する。
残骸が飛び交い土煙が舞い上がる。佇む巨大な化物は、純白の毛を滑らかに揺らし、重々しく動き出す。血に飢えた金色の瞳が闇の中でも輝き、ひたすら獲物を探す様に動く。狼の様なそのいでたちに、足の付け根から飛び出る鋭利な刃。それが、闇に煌く。
空を舞うノーリンは、吹き荒れる強風に耐えながら、その化物を見下ろす。他の者達はどうなったのか気になる所だが、現状ではどうする事も出来ず空中で待機していた。
その頃、何とか先の一撃を逃れたティルとバルドは行動を共にしていた。所々出血している所があるが、掠り傷程度で大した傷では無かった。
天翔姫を剣へと変え、建物の影に隠れ様子を窺う。流石にあれ程の巨大な化物とは正面からぶつかれない。間違いなく死ぬ。何らかの策を立て全員で力を合わせて戦うしかないが、果たして今の戦力で何処まで戦えるか――。不安に押し潰されそうになりながら、ティルは眉間にシワを寄せた。
周囲を見回すバルド。気持ちが落ち着いたのか、それともただ焦っているだけなのか、何度も何かを確認する様に頭を動かす。
「少し落ち着いたらどうだ?」
見かねたのかティルが不快そうな表情を向ける。その視線に気付いたバルドは、ティルの目を睨み返し、何も述べずに立ち上がる。どうやらいつものバルドに戻った様だ。
二・三歩足を進め、更に周囲を見回す。上空のノーリンとフォンの姿を確認。建物の向こう側に僅かに見える化物の頭を確認。そして、その向うの建物の屋上にいる白髪に白衣の男をその視界に捕らえる。
「おい。あいつの姿が見当たらない」
「あいつ?」
「カインとか言う――」
「カインなら心配要らないと思うが、どうしてだ?」
不思議そうな顔をするティルに対し、真剣な表情を向けるバルドは、静かな口調で告げる。
「俺達が散り散りになった時、アイツの様子が変だった」
「変?」
「ああ。異常な殺意の様なモノを感じた」
「大丈夫だと思うぞ。あいつは喜怒哀楽がハッキリしてるが、ここ一番では冷静な判断が出来る奴だ――と、思う」
僅かに不安そうな表情を見せたティルが、引き攣った笑いを浮かべる。カインの急激な感情の変動を、ティルには理解できなかったからだ。小さくため息を漏らし頭を抱えると、何処からかカインの声が響く。
「燃え上がれ! 紅蓮の――」
木霊していた声が途切れる。聞き覚えのある声に、ティルとバルドが顔を上げ、上空を舞うノーリンがその声のする方へと目を向けた。
闇に揺らぐ紅蓮の灯火。それが、闇を彩る様に点滅する。何が行われているのか遠めではハッキリと分から無いが、点滅する炎が突如それをやめた。不気味な程静まり返り、風の音だけが轟々しく聞こえる。だが、すぐにその静寂を破るカインの声が響く。
「――穿孔」
声と共に闇を貫く真っ赤な炎。乾燥した空気の所為か、流れる風の影響か、その炎は次第に加速し、向いの建物の屋上に立つ一人の男に向って一直線に突き進む。それを阻もうと巨大な化物の左前足が振り上げられ、鋭い爪が炎を一掃する様に振り下ろされた。
轟々しく地面を砕く化物の前足。爪が地面へと減り込み、爆風が建物の合間を抜ける。
「良くやりましたよ。オルーグ。フハハハハハッ!」
高笑い。閃光。静寂。それが、一瞬で起った。何が起ったのか、分からぬ程の神速の動き。目に焼きつく闇に描かれた赤い線。それが、カインの振るった青天暁の軌跡だと、気付くまで数十秒。遅れてひび割れた眼鏡と白髪の頭が床へと落ちた。
赤い髪が色あせ金髪へと戻り、朱色の刃も色を元に戻す。頭を失い崩れ落ちる肢体を、真っ直ぐに見据えるその目から、殺気が徐々に薄れていく。全てを終えた。そう思っていた。だが、すぐにそれが間違いだったと気付く。
「フフフフフッ。流石は私の作った最強の兵器」
「――ッ!」
振り返ったカインは驚愕する。そこに居たのは、先程首を刎ねたはずのロイバーンだったからだ。憎しみと怒りと困惑の三つが混ざり合うが、怒りが先に爆発する。金色に戻り掛けていた髪が発火した様に紅蓮に染まり、蒼い刃が朱色に変わる。目に宿った殺気が、もう一つのカインの人格を呼び覚ます。
「貴様ァァァァァッ!」
振り抜いた刃が鮮やかな紅蓮の線を描き、ロイバーンの肢体を二つに裂いた。だが、手応えが感じられず、表情が厳しくなる。二つに裂けたロイバーンの肢体から煙が上がり、その肉体が消滅する。
奥歯を噛み締めるカインは「クッ」と短音を鳴らせ、鋭い目で周囲を見回す。ロイバーンの気配を僅かに感じ、奴が近くに居る事が分かっていたからだ。しかし、ロイバーンの姿は何処にも無く、代わりに化物の咆哮がカインを襲う。
「ガアアアアッ!」
渦巻く波動が建物の屋上をカイン事吹き飛ばす。瓦礫と共に空を舞うカインは、何事も無い顔で体勢を整えると、落ち行く瓦礫を飛び移りながら先程の建物の方へと戻ってきた。そして、その手に持つ朱色の青天暁を大きく振りかぶり、紅蓮の灯火と共に斬撃を放つ。
「クハハハハッ! 無駄だよ。無駄。幾ら私の作り上げた優秀な殺戮兵器でも、このオルーグには傷一つ付けられませんよ」
突如響くロイバーンの言葉通り、化物は無傷だった。斬撃は確かに直撃したが、あの純白の毛が全てを防いだ。小さく舌打ちをしたカインは、右足を踏み込み下段に構えていた刃を切り上げる。切っ先が床を裂き火花を散らせ、疾風を巻き上げる。風が炎を纏い化物に襲い掛かった。
纏わり付く様に炎が化物の体を呑み込んでいく。だが、それは誰かが意図的にそう仕向けた様にも見えた。それでも攻撃をやめないカイン。それを止め様と、ノーリンが叫ぶ。
「止めぬか! カイン!」
カインに向って突っ込むノーリンだが、それを阻む様に横から咆哮が飛ぶ。衝撃波が炎を纏い、一瞬にしてノーリンの体が炎へ包まれた。下から見ていたティルとバルドの二人は、その状況に危機を感じ同時に駆け出す。ティルはノーリンの真下へ、バルドは建物の屋上へ。別々の行動を取った二人の目的は一つ。ノーリンの救出だった。
屋上へと上がったバルドは双牙を構えると、出力を最大限まで引き上げた矢を生み出す。そして、狙う場所は一箇所。
「クッ……」
双牙が軋む。改良された双牙の刃に出来た妙な彫り込みが生み出した風の流れが作用していた。格段に大きく膨れ上がるその力が、バルドの手から解放され様と暴れ狂う。照準がブレ、体がジリジリと前方に引かれる。それを何とか堪えるバルドの耳元で、気味の悪い声が囁く。
「邪魔はしないで欲しいねぇ」
「――ッ!」
激痛が背中を襲う。引き攣る表情と共にバルドの膝が床に落ちた。それでも、双牙を握る手は緩めず、ブレる照準を修正し矢が放たれたと同時にバルドは床に手を付いた。